突然カナダに発ってしまい、僅か1ヶ月半の間に、
結弦君が遂げた変化の大きさにファンの誰もが驚いた、先週のDOI。
そのパンフに掲載されていた結弦君のインタビュー記事の中に、
先輩ブロガーのいちごのさとさんが、気になる発言を見つけて問題提起してくださいました。
インタビューの中で結弦君は、
新しいシーズンに向けて、自ら「変わる」ことを選んだこと、
それがどんなに大変で辛いのかわからないけど、でも、その環境の中で自分を変えたいのだ、と語っているといるそうです。
そして、さらに、こんな言葉が続きます。
「がんばらなきゃな」
「力をつけないといけない」
「少しずつでも「またうまくなったね!」って思ってもらえたらいい。」
「「カナダに行ってうまくなったね」「行ってよかったね!」、そう言ってもらえるように。」
青字は、いちごのさとさんがご指摘下さった部分です。
英語でいうところの『must』がにたくさん出てきます。
思いつめているのではないかしら?、そして
他人の評価を意識し過ぎているように感じられる、と。
それで、みなさんは、どう感じましたか?という問題提起だったんです。
(追記:いちごのさとさん、ご了解ありがとうございました)
私も速攻で書き込み、
その後も2回も追記しちゃう反応過剰状態だったんですが、
他の方々も凄い盛り上がりを見せ、とんでもない数のコメントが付いてるんですよ。
http://ameblo.jp/s-t-113/entry-11283229174.html
みんな、結弦君のことが気になって堪らないのですよね。
私は、実は、このインタビューを読むうちに、
ふっと、ゆづと同年代の頃の自分が舞い戻ってきてしまい、
色んなことを思い出して、じーんとしてしまいました・・・。
というのは、私もかつて、自分の目標のために故郷を捨てて、
ひとりで頑張ったことがあったから・・・・。
もちろん、結弦君の挑戦に比べたら、全くもってささやかな挑戦。
並べて書くのは僭越至極です、すみません!
でも、あの頃の私のガケっプチ感や周囲から浴びせられた反応には、
今の結弦君と重なる部分があるんじゃないかなあと思いますので、、
ちょっとだけ(・・・といいつつ、また長文で語ってしまうのですが)、
お付き合いいただけますか?
私が18の時、大学受験は全落ちで、
(滑り止めを一つも受けなかった私が悪いのですが…(^_^;))、
ひとり、東京の予備校に通うことに・・・。
ウン十年も前の話です。
年が判ってしまうけれども、
男女雇用機会均等法が審議し始められた頃じゃないかと思います。
私が住んでいたのはかなり田舎。
「女の子が浪人するなんて!」という雰囲気。
まして「浪人のために上京させるなんて、親は一体何を考えているんだ」みたいな時代でした。
私以外にも浪人決定の子は2~3人いたけれど、
みんな、市内か最寄の中核都市の予備校へ。
(もっとも最寄の中核都市というのだって、汽車で峠を越えていくんですけどね。どんだけ田舎~?)
みんなはそんな感じだったけど、
私は一人、
自分の目標のためには近くの予備校じゃ絶対にムリ、
絶対に東京の予備校に通いたいと言ったんです。
高3の夏期講習に通ってみて、田舎との違いを見せ付けられていた、というのもあります。
そんな私の決意を尊重してくれた親に感謝しての上京でした。
まだ新幹線もなく、夜行列車での上京。
何時間、揺られたでしょう。
窓の外が白々と明けていきます。
関東の平野はだだっぴろく、
空の色は朝が近いことを知らせているのに、
なかなか太陽は出てこない・・・・。
これからの1年間、
どれだけ自分が頑張らなければならないのだろうか、
どれだけ強くあらねばならないのだろうかと、
ただただそれだけを考えながら、
夜明けの風景を見つめていました。
あの時ほど周りの目を意識したことはありませんでした。
自分のことを決めだけなのに。
実際に、色んなことを言われました。
ムチャだからやめろ、
地元の予備校で安心して勉強する方が絶対に成績が伸びるばすだ、
地元より東京が良いなんて幻想だ、
東京の予備校に行ったって東京の大学になんか、入れない・・・・・等々・・・・。
厳しい声の集中砲火でした。
あ!今思ったんですが、
オーサーコーチへの変更ついての記者会見が実現しなかったのは、
ゆづを、こんな否定的な感情の嵐に晒したくなかったからかもしれません・・・。
おっと、またとんでもない長文になってしまいました。
ここまでを「前編」として、一旦UPしますね。
という訳で、「後編」に続きます!!
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