23日、24日の認知症の在宅介護のドキュメンタリー。
『介護』の形も『看取り』の形も人それぞれ、生活環境も人の数だけあるんだな…と思った。
母の場合、きっと『看取り』は病院。
私には今の母をひとりで在宅でみることは無理。
少なくとも私にはムリ。
何度も書いて申し訳ないけれど、母はいくつもの『延命措置』をしている。
ただそれは、延命のための延命措置ではなかった。
まず、全麻での検査のために人工呼吸器を挿管。
麻酔から醒めたあとも気管の腫れが残り、呼吸困難で呼吸器挿管のまま数週間後の脳の手術に流れ込んだ。
その一回目の手術が失敗に終わり意識不明となったため、人工呼吸器は外れなくなった。
二回目の脳の手術まで一カ月半?近く開いた。
免疫力低下で感染症にかかる率が高かった。
口から挿管している人工呼吸器は二週間ぐらいが限度。
鼻からの栄養も誤嚥性肺炎や他の感染症になりやすい。
それを防ぐための気管切開と胃ロウだった。
治療し回復をしていくために、母の『延命措置』はされた。
残念ながら三回目の脳の手術後も、現在も、意識は回復していない。
同室の患者さんは認知症。
受け答えが可愛らしいので病院の人気者。
最近元気がないと、ご家族が心配している。
認知症のことは詳しくないけれど、症状も波があると聞いた。
ただ、元気がないのはご家族の前だけのようだ。
ご家族があまり心配されるので、スタッフさんたちが気にして様子を見ては、ご家族に知らせている。
元気がない…か。
母は、それすらよくわからない。
バイタルや顔色や、痰の状態、ほんのわずかな違いを探り出さなければ、ほとんどわからない。
毎日、あんなに苦痛に満ちた表情をしても、咽せ込んでも、『痛い痛い』と訴える人が優先される。
足に水ぶくれができても、腕に痣ができても、気づいてもらえない。
訴えられないからこそ、注意が必要。
訴えられないからこそ、確認しなければならない。
でも、それは家族の役目?
訴えられる人は、周囲すべてから気遣ってもらえる…
もうやめよう。
書けば書くほど愚痴にしかならない。
在宅にしない私が悪いのだから、他の人は関係がない。
私が気をつければいいのだから。
私が悪い。
私ができないのが悪い。
私がちゃんとすればいいだけだ。
私が何事もしっかりやらないからいけないのだ。
反省しなければならないのは私だ。