風見鶏 | 月のベンチ

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両親の闘病記

今日も母は険しい顔だった。
病院に八時間以上いた中で、眠っていたのはほんの一時間くらい。
それも、細切れに。

それでも、マッサージや自主リハをしているときはまだいい。
何かやっていることで罪悪感などが薄れるから。
経管栄養中は顔のマッサージ以外、何もできない。
滴下速度を遅くしても、母の苦痛の表情は変わらなかった。
咽せが減ったけれど。
そのあいだ中も、排便による腹痛ではないか、漏れているのではないか。。。緊張から舌を噛むのも注意しなければならない。
(病院に着いたときすでに左の舌先を噛んだあとがあり、口内炎になっていた)

栄養が終わって二時間後、こんどは咽せが止まらなくなった。
刺激になるから様子を見ながら吸引をしても、一時間しても止まらなかった。
健常者でも咽せたらひどく疲れるのに。
体温は上がりSPO2は下がった。
咽せのせいで力が一層強く入り、ふだんでもパルスオキシメーターが数値を拾うのが難しいのに、今日はパルスをはじき飛ばしてしまった。
足で測った。

疲れたとか、眠いとか、つらいとか、そういうことではなくて、何だろう…?
言葉では表現できない感じ。
前に書いたくるくる回る風見鶏みたいな、いろいろな感情や思いが体の中で静かに螺旋を描いているような。
でも、出口がないような…
そのうち、また冷めた目で母を見ているような。
『もうやめて!』と誰にともなく叫びたいような。

母に対して?
いったい、誰に対して?

わからない。


わかっているのは、ここから逃げても事態は何も変わらない。
ということ。


近い将来?
(それさえもわからないけれど)
私はまた出来ない選択をしなければならないんだろう、ということ。

さんまさんだった?
『生きてるだけで丸儲け』と言っていたのは。
言えるの…?
母を前にして、母に同じことを。

私は言えない。

生きて、頑張ってくれていることに、尊敬も感謝もするけれど、、、


二年か一年半くらい前だろうか?
お母さんを十代で亡くした友人が言っていた。
『私だったら、どんな状態でも、お母さんが生きていてくれるだけでいいよ』

私も、そう思いたい。