孤立と孤独 | 月のベンチ

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両親の闘病記

孤立と孤独の違いって何だと思いますか?



昔、私が高校一年のとき。
三学期の始業式に、校長先生がひとりの女生徒の死を告げた。

自宅マンションの屋上から身を投げたという。


彼女は大人しくて細くて色の白い可愛い女の子だった。
友達もいた。
彼女の友人たちは、何で何も言ってくれなかったのかと泣いていた。

彼女はなぜ、何も言わずに逝ったのだろうか?

遺書はあったという。


彼女はリーダー的存在ではなかったが、気遣いのできる優しい子に見えた。
友達もたくさんいた。
でも、本当の姿はわからない。

たとえば、学校で孤立しているように見えても、家に帰れば家族の愛や理解に包まれて満たされている子もいる。

一方、たくさんの人の中にいても、孤独な人もいる。
家族や友人がいても、どこかチグハグで、そこが自分の『居場所』ではないと感じている人もいる。

ようやくと自分を認め、理解してくれる人や場所に出会えても、自分は何十分の一、何百分の一の存在なんだと気がつく。

自分を真実(ほんとう)に理解して認めてくれるはずの人は、自分が出す必死のSOSにも気がつかないのだと知る。



彼女は、そうだったんじゃないか。

当時、母の病に振り回されていた私は、何となくそう思った。

『何で何も言ってくれなかったの』
彼女の友人たちは言っていたが、たぶん、彼女は彼女なりにサインを出していたんだと思う。

それがわかる人と、わからない人がいる、というだけのこと。



確かに周りには人が大勢いるのに、その中で自分も笑っているのに、自分だけが異空間にいるような気がする。


そういうこと、ないですか?