高齢の家族を介護している人たちは、おそらく看取りを頭の片隅に置いているのではないだろうか。
若い家族の闘病と違い、なるべく穏やかに日々を過ごし、長い間お疲れ様と、旅立たせてあげたいという思い。
若い人たちは未来を見つめるけれど、高齢の母を看ている私は、たぶん違う場所を見ている。
うちに来てくれている訪問マッサージさんが言っていた。
どんなに拘縮のひどい患者さんでも、そのときが来るとスッと元に戻る。。と。
みんながみんなそうではないかもしれない。
少なくとも、マッサージさんが関わって来た方々はそうだったようだ。
生きる苦しみは、皆が抱えている。
生きている幸福を失う代わりに、生きる苦しみから解放される瞬間なのだろうか。
母は、人より少し多くの延命のための機器をつけられている。
療養病院では珍しくないその光景が、まだまだ『一般』の人たちには奇異にうつるらしい。
私だって、五年前まではそうだったから。
時々考える。
納得の行く介護は出来なくても、一瞬だけでも意識が戻って、私がわかるといいな…にっこり笑ってくれたらいいな…と。