無題 | 月のベンチ

月のベンチ

両親の闘病記


人の犠牲の上に得るものに
何の価値があるのか

ましてや
大切な人たちの犠牲の上に得る『徳』だの『修行』だの
私は要らない

自分自身に降りかかる災難、病、、
その方がましだ

『代われるものなら代わりたい』

そう思わないか?

なのに、大切な人たちの苦悩、苦痛を踏み台に
どうして自分の成長など考えるだろうか?


それはきっと、大切な人たちと一緒に闘い、闘い続けて、
自分自身の底から絞り出された慟哭を聞き

気がついたときに
自然と纏っている『もの』なのではないか?

意図して身に付くものでは、決してない。



それは
自分自身のためのものではないからだと思う。

成長しようとしてできるのではなく
徳を積もうとして積めるのではなく

無心に
ただ無心に
大切なもののために心を砕く

その末のことなのではないか?



やろうとしてできるものではなく
自分のためではなく



愚痴を言わないことで何もかもが好転することなどない。

言っても言わなくても、いろいろなことは起こる。

愚痴を言わないことで全てが好転するなら、言葉や感情を持たない生物は

悲惨な目には遭わないはずではないか

だからそうした考えは、人間が人間のためだけに考え出したものだと思う


この世は
人間のためだけに存在するのではない