居間にある、窓に面したシングルソファ。

雨が降る日、祖父はいつも決まってそこに座った。

何時間でも、ただ黙ってじっと座っていた。

僕は、一度だけ、何をしているのか尋ねたことがあった。

祖父は自慢げな笑みを湛えた顔をした。そして優しく人指し指を唇に当て、静かに、まだお前にはわかるまいと答えただけだった。


 晴れの日は布団から出ず、雨の日になると満足そうにただ座っている祖父を見て、母は、遂に気がおかしくなったかと僕に耳打ちをした。僕はそんな母が嫌だった。


 風が冷たくなって来た頃、祖父は亡くなった。病院のベッドで眠るように息を引き取った。

その日は大雨だったが、祖父の顔は、どこか悲しげだった。

 

祖父がいなくなった家は、別段何の変化もなかった。祖父のこの家で占めていた空間の小ささが、悲しいくらいに感じ取れた。

誰も座ることのないシングルソファの上には、埃が窓から差し込む光に照らされて輝いていた。

 

ほどなくして、母はパートに勤めるようになった。

僕より先に家を出る母は、まるで足枷が取れたかのように活き活きしていた。そんな母を僕は責めはしなかったが、代わりに内緒で学校を三回ほど休んだ。休んだ日は決まって雨の日だった。


 その日は雨音で目が覚めた。どんよりと重い朝だった。

玄関が閉まる音が聞こえ、僕は居間に向かった。

簡単な朝食を摂り、洗面所に向かう時、祖父のソファがふと目についた。

洗濯物が積み上げられたそのソファは、本来の自分の役目を忘れているかのように思えた。

 

腰掛けると、柔らかく包み込まれるような心地がして、僕は目を閉じた。

 

雨が窓を叩く。雨が窓を叩く。激しく、繊細に。力強いリズムで躍動する。窓をかすめる風の音が重なる。低く唸り、高く走り抜ける。滴る水の音が、頭の中の五線譜の上を鮮やかに転がりまわる。時にしっとりと、時に飛び跳ねるように。


 僕はいつのまにか夢中になって耳を澄ましていた。果てしない広がりを持つこの音たちは、何にも縛られることなく、ただ大地の強さと優しさを告げてくれる。

このあまりにも贅沢なオーケストラは息をすることすら忘れさせてくれた。

祖父がただじっと座っていたあの時、彼はもしかしたら世界の誰よりも幸せだったのかもしれない。

 

僕は雨の日は学校を休み、この誰よりも幸せな時間を享受することを楽しみとした。

ソファの上に埃は溜まっていない。

洗濯物のおかげじゃないことは、僕しか知らない。


 今日も僕はソファに座り、目を閉じた。

窓は鳴る。

鳥肌がたつ。

長いこと降りしきる音を浴びていた。


ふと眩しさに目を開けた。

 

ドアの前に立つ母が何をしてるのと尋ねた。

 

僕はそっと唇に人差し指を当ててみる。


窓に映る僕の顔はあの日の祖父と同じ顔をしていた。