東京大空襲 | Ulysses Bass Lamo

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Exciting Rock Band ユリシウスのベーシストLamoの雑記帳

3月11日にわずか数時間だけ投稿した記事に「いいね!」を付けてくれた皆様。

ありがとうございます!

寄付金クリックを3月11日限定で募る投稿だったので記事は削除しましたが、自分の意志というよりMy Sweet Honey(笑)の記事に絆されてのリンク記事でしたw(こちらの記事)

Honey は「こんなことぐらいで支援になるのかな?」って嘆いて少し凹んでましたが、、、
「気持ち」「忘れないこと」は1番大切なことだと思ってます!




さて、、、

3月11日の1日前、3月10日は何の日か皆さんはご存知ですか?

東京大空襲があった日です。。。

偉そうにのたまわりましたが(汗)自分もラジオを聴いてて再認識したことです。。。


1945年(昭和20年)3月10日、第二次世界大戦末期のこの日、
アメリカ軍は東京の江東区・墨田区・台東区・中央区を中心に大規模爆撃を行った。
木造家屋が密集する下町の市街地が日本の軍需産業が密集する生産拠点という理由付により、その4区を中心に目標を定めたB-29爆撃機はまず環状に爆撃を行った。そして退路を断った後にその環状の中を住民もろともと焼夷弾で焼き尽くした。
爆撃による火災の煙は高度1万5000メートルの成層圏にまで達し、炎は竜巻となり暴風が吹き荒れ、さながら火山の大噴火を彷彿とさせたと云われている。
アメリカ軍機の退去により空襲警報は解除されたが、想像を絶する大規模な火災は消火作業も満足に行われなかったため10日の夜まで続いた。

単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大であり、東京(現23区)の3分の1以上を焼失。

この空襲での死者は8万人を超える。。。 


戦時には狂気が正気となりますが、人の命は戦時も平時も同じはずではないでしょうか?!


無差別爆撃であった東京大空襲は戦争犯罪ではないか?との指摘もあったにも関わらず、日本はサンフランシスコ平和条約で賠償請求権を放棄している。
その後、日本は本土爆撃の指揮官に勲一等勲章を与えてることも驚く。
「覆水盆に返らず」の思想を引用し、ねじ曲げ、平和終結に導いたとのこじつけだろうか?


2013年5月7日、第2次安倍内閣は東京大空襲についての答弁書を閣議決定した。
答弁書では、「国際法の根底にある基本思想の一つたる人道主義に合致しない」点を強調する一方、「当時の国際法に違反して行われたとは言い切れない」とも指摘し、アメリカへの直接的な批判は避けている。


戦後、日本はアメリカに半ば媚を売るに近いかたちで友好関係を築き、豊かで平和な国を築いてきた。

よく平和ボケと云うけれど・・・平和でボケられるほど幸せなことはない。

しかし豊かさはどうだろう?
例えば、隣人が倒れてる時に見て見ぬふりをするのは貧しい心のような気がする。。。

でも、多くの人がまだ復興が続く東日本を救いたいと思う気持ちは国以上に持っていて、それは救われる思いでもある。
記念日という言葉は平和なこと楽しいこと以外適切ではないと思うけど、ましてや3.11を記念日にするなどという考えは自分は反対!
まだまだ継続してることですから!



ラジオで聴いた話はTVや動画よりもリアルに伝わり想像力も働いたのでなんかいろいろ考えちゃって、着地点見つからないままつらつらと駄文書きました (^_^;)


東京大空襲のこと自体については長文になりそうだったので極めて簡潔に書きましたが、もっと知りたい方はこちらをご覧ください。














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