最近、「美容整形タレント」とでも言うような、新しいカテゴリーで登場している方々がいますよね。

ヴァニラさんやアレン君などでしょうか。

正直言って、彼らには、いろいろな意味で興味が引かれます。



自分が思う自分自身と身体とは必ずしも一致しないものです。

この不一致に精神的に苦しめられる人も多いと思います。

究極的な例えとしては、「自分は男性なのに身体は女性だ」というのも、「自分と身体との不一致」だと思います。

「本当の自分が身体によって疎外される」事態は、大なり小なり誰にでも起こりうると思います。

自分が認識している自分と比べて、写真に写った自分が老いていてショックを受ける、などそういうことも含めてです。


しかし、ヴァニラさんやアレン君は、そういうのをはるかに超えて、自分の思う自分に近づけようと美容整形技術の元、徹底的に自分の身体をコントロール化に置こうと試みていて、それはもう清々しいレヴェルです。


彼らが人々からいい意味でも悪い意味でも注目されるのは、そのあたりにポイントがある気がします。




正直、誰のうちにも無いとは言えない【「私」と「身体」との差異】に対する不満を、徹底的に吹き飛ばす勢いの彼らを見ていると、私個人としては、まあ悪い気はしないというか、見ていて実に清々しいです。


しかし、彼らは、「今さえよければそれで良い」という今だけの美しさを求めている気がして、10年後、20年後、強いては60代などになった時に、どうなるのだろうか、というのは個人的に、さらに興味が引かれる部分でもあります。


最近、偶然テレビで見かけて、アレン君が22歳ながら、すでに何度もリフトアップ手術を受けていると仰っていました。

22歳って・・・・どこに顔が垂れる要素があるのか・・・(と個人的には思いましたが)


そして、リフトアップ手術のしすぎで、リフトアップの糸を入れる(?)箇所の頭の皮膚が硬直してしまい、針が刺さらない状態になっているそうです。


スタジオにいた医師が言うには、リフトアップの手術は2度行えば十分美しく入られるそうで

45歳に1回目、65歳に2回目、がベストタイミングだそうです。

彼の場合、本当に必要になった時に、もうできないのでは・・・というニュアンスの言葉を医師が発言していたと記憶しています。




「ご利用は計画的に」ではないですが、技術は万能ではないですし、どう用いるかによって、良い結果だけでなく最悪の結果ももたらし得るので、自分の身体に対して作為的に何らかの結果をもたらそうと思うのならば、いろいろなことを十分に考慮し、かつ悪いように作用する可能性も、わずかばかりだとしても念頭に入れて覚悟すべきではないかなと改めて思いました。



しかし、人間いつかみんな「最後はどうせ骨」とも言えます。
限られた時間の中を精一杯、その人の自分らしさで生きることに対して、他人がとやかく言うのもどうかなとも思います。(個人的に誰の顔が好みで、誰の顔は好きじゃないとかは言えたとしても・・・)



生き方にもファッションにも、化粧にも、その人の感性が伺えるように

その人の身体にもその人の感性が見えるのかもしれません。



ヴァニラさんは人間離れしたフランス人形を、アレン君はダビデ像のようなものをモデルにしているようですし、海外ではバービー人形をモデルに自分を近づける人もいるようです。

ヴァニラさんは、ご自身の美容整形のことを「カスタム」と仰っています。


ところで、私たちが「カスタム」していないかというと


ある意味・・・「カスタム」しているとも言えます。


「私」と「身体」との関わり方は、人によっても様々ですが

自分の思う自分に身体を近づけるために、例えば・・・


自分の頭髪を切り、髪を利用してスタイルを作ったり

眉毛をハサミでカットしたり、形を変化させてみたり

頭髪の色を薬剤を使って化学反応を起こさせ変色させたり

手足の体毛を除去してみたり

耳たぶに穴を開けて、飾りを飾れるようにしてみたり

爪を伸ばして色を塗ったり

顔の骨を削って顔をシャープにしたり

顎に異物を入れて、尖らせてみたり

胸を大きくしたり



人によって程度も選択も様々ですが、多分、私たちは、それぞれ、自分の思う自分であるために、身体に様々な向き合い方や工夫をしていると思います。



ただ、身体はまるっきり別物と取り替えることは不可能ですし、「私」を生かすものです。この現実は覆せません。

私の身体に何があっても、私は死ぬまで自分の身体と付き合っていかなければならないことを考えると、自分の望む自分に身体を近づける目的が、何を身体にもたらすのか、考えてみなければならないと思います。

これを踏まえて考えると、「私」と「身体」の差を埋める方法として、「身体」の側を「私」に近づける方法と、「私」が「身体」に近づく方法のふた通りがあると思います。

後者は、自分の望みや選択が何一つ含まれず、ただ必然的に生まれた段階で与えられただけの「身体」であったとしても(要らぬとしか思もえぬ、鼻毛や脇毛が生えて来る体だったとしても!)これを部分的に肯定したり、あるいは受け入れたりする方法です。
つまりここでは「私」自身が思考の転換を行ったりして変化します。


前者は、先ほどから記しているように、自分の思うように「身体」の側を「私」に近づけるために手入れすることです。


私個人は、この両者をどちらも大切にしたいと考えていて、そのバランスをどのようにするかは、個人のセンスの問われるところだと思います。



ところで、私は、毎日、朝ドラ「朝が来た」にハマってしまって、欠かさず見ているのですが、

出演者の一人、宮崎あおいさんは、貧しく苦労する役柄で、化粧も薄く、テレビ画面いっぱいにお顔が映る時に、ふと気付いたのですが、彼女にはほうれい腺のシワがあります。

まだ、目立つほどガッツリとしたほうれい腺ではないですが、ファンデーションが若干溜まってしまうような様子です。また、笑うと、目尻にシワができます。

でも、それが貧しく苦労の中の子供思いのお母ちゃん役に合っていて、とてもいい味になっているのです。

目尻のシワは、優しい印象があり、とても好きです。
(あくまで私の好みです。)

なので、その目元の笑い皺、なくさないでほしいなあと、実に勝手ではありますが個人的に思っております。


テレビを見ていると「一本のシワも、一瞬のほうれい腺も許さないぞ」と思っておられるような勢いを感じる方もおられます。その方のお顔を見ていてその方の感性も伝わりますが、本当に人それぞれですね。


お年をとられても綺麗だなあと思う、吉永小百合さんなどは(←完全に私の好み)
お年相応にほうれい線もありますが、お肌にツヤとハリがあり、全くたるみがなく、しかし、笑った時の目尻のシワがとても優しそうで、いいなあと思います。

70歳の吉永小百合さん、明らかに50代の私の母と比べてお顔にたるみなく、シワもあまりないのに、それでいて、年齢不詳の美魔女的「魔女さ」を感じるかというと、そうでもなく、あくまで自然体を感じさせるところが恐るべきセンスの良さだと思います。



そんな風に、いろいろな人をテレビを通して見ながら・・・・

また、横目で、母を見ながら(「未来のあんたやで」と母は自分の顔を指して言うのです)


私はどうありたいのか、10年後、20年後、30年後、どんな自分自身でありたいのか、ルックスも中身もどちらもいろいろ考えさせられています。