ママうさの職場の先輩、Mさんは進行性の病気でした。

昔は頭がキレて仕事ができる事で有名でしたが、

4年前に初めて同じ職場になったときは少し病気が進行して

言葉が聞き取りにくくなっていました。

それでも、ママうさや同僚は経験豊富なMさんに色々教えて貰い

みんな仲良く楽しい職場でした。



定例の人事異動で少しずつ職員が入れ替わり、

昨年は異動当時のMさんを知る同じ係の職員は、

ママうさだけになっていました。

そして今年の4月、Mさんはご自宅に近い職場に異動していかれました。


一緒にいた3年間で病気は目に見えて進行し、何度か救急車で運ばれたり

動けなくなったり、いろいろな事がありました。

異動の日、沢山の荷物と共に同僚の運転する車で出て行かれるMさんを

玄関先まで見送ったママうさは、3年間の変化を思って涙が出そうでした。

もう会えないかもしれない…ちらりと思って慌てて頭をぶんぶん振りました。



昨日、Mさんの異動先の職場のお友達と一緒に食事をした時、

Mさんが先月半ばから休んでいると聞きました。

私は丁度夏休みでいなかったので詳しい事は知らないけど…と、

話してくれたところによると、

通勤途上で倒れ、救急車で運ばれてからずっと休んでいるそうです。

職場にはご家族があいさつにいらしたそうです。



病気の特徴で倒れそうなくらい前のめりに歩くMさんでしたが、

その速度はその足取りからは想像できない位速かったのですが、

最近は歩くのも遅くなってしまっていたと聞かされました。


  ママうさと一緒の時も何度か救急車を呼ばれました。

  転んだりすると立ち上がるのが困難で、言葉が聞き取りにくいため

  知らない人には大変な重病人にみえるからです。

  一度はママうさが付き添いで市立病院まで行きました。

  Mさんは救急隊や119番してくれた人に悪いと思うのか

  病人らしくかたくなに目を閉じていました。

  ママうさは病院の控え室で周りに聞かれないように

  「大事になっちゃいましたね。」とMさんに言いました。

  Mさんは付き添ったママうさにも悪いと思うのか黙っていました。

  でも、少し休んだ後、いつもきちんと自分の力でご自宅まで帰れていたのです。

  ご家族が迎えに来ることはありませんでした。

  ましてやご家族が職場にいらした事もありませんでした。

  


ママうさは心配です。

病気がドンドン進行して体が動かなくなる中、

Mさんの優秀な脳ミソが何を思うかと考えると、

余計なお世話だけど、ママうさは

  悔しくて

    切なくて

     泣きたくなります。



ママうさの夫が脳血管疾患で倒れ、障害が残ったために

「ボケちゃったんです。言う事聞かないで困ります。」と話した時も

「私よりきっとボケてないよ。大丈夫。」

と、根拠もなく励ましてくれました。



「発症してから10年になるから、生きているのが不思議なんだよ」

そう笑いながら話してくれたMさんは、

一見強面だけど、実はやさしさに溢れた人です。

そして、とてもとても強い人です。


でも、「博士の愛した数式」の博士が

毎朝目覚めたときに、自分の現実に一人涙するように

Mさんがどんなに悔しい思いでいるかと思うと

たまらない気持ちになります。



ママうさはMさんが笑うと、いつもとても幸せな気持ちになれました。


今日でもいい、明日でもいい

一日でも早く

誰かパーキンソン病の特効薬を開発してください。