こんにちは、

昨日に引き続いてお勉強の話ですが、


わたくし、昔から先生運は凄くいいんです。
いい先生にいっぱい出会ってきました。


最初に出会ったのは小学生の頃のお絵かき教室の先生。
子供が自由に楽しく遊んでいるというだけで、絵を書くことを教えてくれてたんです。優しい先生でした。

次にであったのは高校生の時の現国の先生。私は理系クラスにいたので、現国の授業なんて、だーれも聞いてないわけです。
寝てるか、内職してるか。
しかしその先生はそれをいいことに(逆手にとって?)、おかしなこと、やばいことばっかり授業中に喋ってるんです!
「君たち、この教室には餓鬼がいっぱいいる。目には見えないかもしれないが、どれいっちょ捕まえてみよう!」とかいって、
大きく腕を振りかぶって、その後高らかと拳をかざして見せて、
「ほーら、つかまえた~♪」
とか言ってるんです。
当然ながら、誰も反応しません。聞いてません。

何この人!こんな大人でも学校の先生とかできんだ!
と当時ネクラな女子高生だった私は嬉しい気持ちになりました。

その後現代詩を書くようになってから、今度は荒川洋治先生と出会いました。
私にとっては、荒川先生の言うことは絶対です。
なぜなら、「先生」だから。

「先生」とは本来そういうものだと思います。
先生は先生である以上、どんなにへんてこりんでも絶対なんです。
それが先生です。

夏目漱石「こころ」の先生は一体「私」にとってなんの先生なんでしょう?
でも、先生は「先生」なんですよね。
先生とはそういうもの。

なにかのスキルを身につけるために、授業料を払って教えてもらう人は「先生」ではありません。

先生はこちらがお願いして先生になってもらうもの
もしくは、勝手に先生先生、といってくっついていくものだと思います。

それは盲信ではないか?
なんか危なそう。。
と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、
「先生」に出会えばわかります。


他にも色んないい先生に出会えた私は幸運です。
きっとこれからも出会えるに違いないと思っています。