島にきて

 

4年目

 

最初は 本当に大変だった

 

一緒に来るはずだった人も 来られず

 

時々来るはずだった母も 来られなくなり

 

予想に反して

 

ひとりで こんなにとおくの みなみのしまで

 

むすめと ふたり

 

くらすことになった

 

・・・

 

わたしは ときどき すごくさみしくなり

 

ときどき とても執着して

 

ときどき とても怒り

 

ときどき

 

じゃなく 

 

とてもよく さみしくなった

 

 

そのことで すすまないこともあり

 

わかってるのに 

 

わかってるはずなのに

 

できなかったことが いっぱいあった

 

 

でも 島には よろこびがいっぱいあった

 

しあわせも あたたかさも いっぱいあった

 

 

そのなかで 草花や 海や とおくにいるともだちや ははに

 

ささえられながら 成長していってたのだとおもう

 

 

 

 

4年目にして

 

わかってるはずのことが

 

わかってきて

 

こころのおく

 

どまんなかのまま

 

だいじにいきることができるように

 

もっと

 

もっと

 

さらに

 

なってきて

 

 

とうとう

 

超えた

 

・・・

 

家事が

 

こどものことが

 

PTAのことが

 

島の行事が

 

しごとが

 

ぜんぶが

 

ひとりでやるのが

 

たいへんなんだ

 

むりなんだ

 

だれか きてくれないかな

 

そうおもってることが

 

よくあったけど

 

ひとつずつ

 

ほんとうに だいじなことをしていったら

 

そのひとつ ひとつが

 

らくになっていった

 

ほんとうに ほんとうの こころのまま

 

していった

 

 

さいしゅうてきに

 

家事 しごと こどものことは

 

ぜんぶひとりは やっぱりたいへん

 

とおもってた

 

でも よろこびのほうが 

 

おおきいから やるんだよ

 

しあわせだから

 

そのしあわせをまもりたいから やるんだよ

 

っておもってた

 

 

けど

 

いま

 

ひとつずつ おえていき

 

ひとつずつ てばなし

 

家事も

 

とうとう 楽になった

 

らくになるこつも わかってしまった

 

 

シングルママには なってみないと わからない大変さがいっぱいある

 

わたしは

 

養育費を もらえるはずの立場だったけど

 

争うことがしたくなくて

 

裁判をすれば勝てたけど

 

争うことは わたしのしたくないこと

 

愛してたひとを 裁くことを

 

敵とみなして たたかうことを

 

したくなくて やめた

 

・・・

 

そのぶん じぶんが 稼ぐ

 

ってきめて 

 

もうすでに あのころ もし もらってたら?

 

を 想定して 浮かぶ金額は すでに稼いだとおもう

 

 

いつも うかんだアイディアや

 

こころのまんなかが かんじることをしていったら

 

わたしは どんどんかせげるようになって

 

まいとし まいとし 収入がふえつづけ

 

とうとう どうやっても おかねにこまらないこと

 

が わかった

 

 

どうしたら そうなれるか が わかったし

 

そこに だいじな宇宙の法則があることが わかってたけど

 

確信した

 

 

じぶんが すでに その場所にいることが わかった

 

・・・

 

島にきて

 

それをしてみた

 

さみしさにまけると うまくできなかった

 

でも くりかえし やった

 

こんなにとおくはなれた みなみのしまでも

 

その法則 その真理は

 

じつは おなじだった

 

おかねからも きょりからも おとこからも

 

こどもからも おやからも なにからも

 

じゆうになっていった

 

・・・

 

家事も してくれるひとがきたり

 

なんでもしてくれるひとが あいしてくれたりしたけど

 

あまりふかくあいしたいとおもうひとじゃなくて

 

すごくすてきなひとだったけど 友人になった

 

おうちをたてるといって

 

すきなことそこでしたらいいといってくれるひとは

 

今世のうちで たくさんいた

 

でも こころは ときめかなかった

 

だから いつも 

 

わたしがすべてをやることになった

 

 

家事は つい最近までは やっぱり負担だった

 

でも

 

おうちのかたずけをして

 

食器をかたずけて

 

食器棚をかたずけて

 

ずっとずっと欲しかった作家さんの ティーポットと かっぷと ゆのみを揃え

 

たべたものは すぐかたずくようになり

 

せんたくも たまらない循環ができ

 

いま かじは すごくらくになって

 

すると しごとが たくさんできるようになって

 

さらに おかねが まわりやすくなった

 

 

おかねは わたしにとってうみだすものなので

 

時間さえあれば どんどんふやせる

 

だから どんどん 増やす循環がさらにできた

 

・・・

 

 

きょう 令和元年をまえにして

 

わたしも じぶんで 開いている遠隔ヒーリングを

 

うちゅうまんから いただいて

 

からだのなか ぜんぶに よろこびのスパークがおこるのをかんじて

 

そして すこししたあとに

 

 

わたし じゆうになりたかったんだ

 

 

って きづいた

 

 

そして

 

 

わたし ついに ほんとうに じゆうに なれた

 

 

って おもった

 

 

いろいろは あるけど

 

とうとう てにいれたんだ

 

 

いちばんほしかったもの

 

 

おかねからも

 

おとこからも

 

こどもからも

 

おやからも

 

家事からも

 

育児からも

 

しばられることない

 

規制されることない

 

がまんすることない

 

ただ

 

あふれるように

 

しゅんかんを いきるだけで

 

あいと しあわせに みちる 日々

 

なにからも じゆうな あいと しあわせを

 

わたし

 

やっと

 

手に入れた

 

 

それが わたしが ほしかったもの

 

 

だれかがいたら てにいれられなかったもの

 

いなくても

 

いないから

 

できたこと

 

 

とはいっても 

 

いつも あいされているし

 

みんなから ささえてもらってきた

 

 

でも 生活の基盤や

 

土台を じぶんたちで きりひらき

 

ささえ

 

まもり

 

あいして

 

さみしさに たえながら

 

いつしか

 

さみしくもなく

 

ただ

 

あいにまみれて

 

いきることが できるようになったんだ

 

 

このせかいで こんなふうに いきられるなんて

 

なんて すばらしいんだろう

 

 

 

パートナーがいるから

 

じゃない

 

いても いなくても

 

わたしは だいすきな 理想どうりの場所に住んで

 

うみと やまに あいされて

 

かみさまに あいされて

 

とちに あいされて

 

こどもに 心底あいされて

 

親にあいされて

 

おとこのひとからも たくさん もとめられ あいされて

 

おかねからも たぶんあいされてて

 

それで

 

それらから

 

しばられずに

 

生きてる

 

 

 

やっと ここまできた

 

 

たどりついて わかった

 

 

わたし

 

なにからも じゆうになるために きたんだ

 

 

ここに

 

 

 

だから

 

そうだったんだ

 

 

 

 

ここからは

 

なにからも じゆうなうえで

 

だからこそ ほんとうに ピュアに あいして よろこびが スパークしまくることをしよう

 

わくわくする

 

いままでも ピュアに あいしてた

 

それだけは まもり だいじにしてきた

 

けど

 

もっっっっっと さらに 自信をもって

 

おもいっきり あいを うたうように

 

あいのまま

 

じゆうのまま

 

あいしあい たのしみあっていこう

 

 

なにからも

 

じゆうなまま

 

うたっていきよう