19世紀に近代絵画の草分けであったフランス、パリを中心に画家たちが貧乏しながら作品を世に送り生きてきた足跡を追いながら21世紀までの進化をみていきたいと思う。

 

画家たちが暮らしたグラネックの宿

 

タヒチで暮らし女たちの絵を描いたポール・ゴーギャンは証券会社に勤めていたり実生活でも成功者でいられたかもしれないのに画家として成功することを選びフランス大恐慌を境に会社を辞めそのかわり絵が売れると思いきや当然絵を変える人たちが全然いなくなってしまい物価の安いブリターニュの町ポン・ダヴァンにあった画家たちばかり集まるアパートに転がり込んで、そこで多くの画家たちと出会ったという。

ちょうど日本で昭和時代に東京豊島区にあった手塚治虫が住んでいた「トキワ荘」にその後大成した漫画家たちばかりが住むことになるのと似ている。

 

そんな中、ジャポニズムの影響から日本の浮世絵に憧れたゴッホが南フランスのアルルをフランスにある日本だとしてゴッホを呼び寄せたという。

 

ゴーギャンはその若い画家たちが集まるアパートでは年上であって、その中には実家が裕福なのに画家になりたい夢を追いかけてやってきた者もいて、ゴーギャンはその中のエミール・ベルナールにタカってよく食事を奢ってもらっていたという。彼らはポスト印象派ともいえるクロワゾニズムを確立した。

またゴーギャンから指導を受けたポール・セリュジエはヘブライ語で預言者を意味するナビから名前を取ってナビ派を確立した。

 

 

芸術の中心がフランス、パリだった19世紀から20世紀前半、そして第二次世界大戦を境に世界の中心が新大陸に移ったように芸術は米ニューヨークが中心になった。

 

そのころ日本では手塚治虫をはじめ新しいマンガが活躍していた。

 

19世紀に生まれたのと同じくらい20世紀では前半に芸術運動が生まれ、後半にはそれよりもっと増え、それはアメリカが中心だった。

 

21世紀に入ってまだ20年だが、すでに生まれた芸術運動はまずメディアアートからはじまり幻想小説などイタリア人のイタロ・カルヴィーノも活躍した。13人のイギリスのアーチストがスタッキズムをはじめ、イタリアの建築家レンツォ・ピアノもその中に入るとされるネオ・フューチャリズムハイパーリアリズムなどがある。

 

日本ではマンガとサブカルチャーが進化してこれらの芸術の中心をTOKYOに集めていると言える。