こんにちは。アリーシャです。

 

今日の東京は風が強かったです。でも日差しに春を感じました。

今日は朝からテンション低い私です。というのも、昨日の夜娘とケンカして、イライラが収まらない中なかなか眠れなかったからです。

 

私が娘の話を聞いて、苦手分野克服のために気をまわして購入した教材のことで。「ママの買った教材はこれからも使わないと思う!」とあっさり言われて無性に腹がたったのです。でも、落ち着いて考えてみると

 

娘は学校の勉強で精一杯右矢印私に愚痴る右矢印私が学校の勉強の理解に役立ちそうな参考書や問題集を買って渡す右矢印学校の教材で精一杯なのにそんなにやる余裕ない!という至極まっとうな流れなのです。そう言われて腹を立てる私の方がおかしいんです。

 

なぜ私が娘に教材を買うかと、良く言えば娘の役に立ちたい、でもその底にある影響は娘の勉強に干渉したい、影響したいというエゴがあるんだと気づきました。まさに、小さな親切大きなお世話ってやつです。

 

そんな親のエゴが投影された教材を押し付けられて反抗期の子どもがやるわけありませんよね。

親の用意した教材をイヤイヤでもやってくれた小4、5の頃とは違うのです。私の精神年齢は成長していないのに、子どもはどんどん成長しているんですよね。

 

子どもは親の思うようにはならない、ということを頭ではわかっているはずなのに、勧めたものを拒否されると腹を立ててしまう私です。

 

もう、娘もこの春から中3なので、自分で考えて動くようにならなければなりません。勉強の計画などは小6の時から娘は自分で立てていましたが、相談されると私は必要以上にサポートしてしまっていました。これからは、娘自身が頼んできたこと以外は娘の勉強には関わらないということを私は決意しなければと思いました。

 

まだ、生活は甘えられているものの、娘の勉強に関わってきた私としては、自分の役割が終わったと感じ淋しいというか虚しいというか、空っぽになった感じがします。それだけ、娘の教育に生きがいを見出していたということですね。冷静に考えると怖いことです。

 

子離れについては12月の↓ブログで書きましたが、まだまだできていない私です。

仕事は、同じ職場の仕事をもう4年続けていて、社員の方にもそれなりにアテにされるようになってきましたが、私程度だと置き換え可能な人材ですから、やりがいもありますが、虚しさもあります。でも、母親業は唯一無二の存在で代わりが効かないので、他の誰でもない私を求められているという喜びに満たされるわけです。それを味わってきたということは、それだけで幸せなことなのかもしれません。

 

幼い子どもは本気で母を必要とし求めてくれますから。でも、それは束の間のできごとで、思春期以降は一人の大人として客観的に親を見るようになるんですよね。親というだけで尊敬してもらっていた金のメッキがはがれるわけです。そこで、大好きだったママも欠点の多い一人の女性に過ぎないと気づかれてしまうわけです。

 

ここからはどんな関係を目指せば良いのか?と考えてみました。

一番身近にいる年上の同性として、娘の感性や思考を理解できるよう許容範囲の広い大人になっていきたいなと思っています。でも、自分の経験から得たものは率直に伝えたいとも思います。

 

娘にとって、この本のようなしんどい母にならないように子育てで自己承認欲求を満たしていた自分を見つめ、解放していきたいです。

 

 

 

 

あとは、試験前でイライラしている娘におやつを買ってきておいたら喜ばれました。娘が最近ハマっているアルフォート。まさにちょうどコレが食べたかったそうです。中高生の子どもに一番喜ばれるのは美味しいご飯とおやつの用意ですね。

 

 

それでは皆様も stay healthyで虹

 

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