ソフィア=ブルガリアで退屈だった分、テサロニキ=ギリシャに到着した11月13日には朝からいろいろあった。


12日の夜行列車は無事に僕をテサロニキに送り届けた。
列車から降りると、カメラをなくしていた。
もう一度乗ってきた列車に入り、コンパートメントを確認するのだが、やはり見当たらない。
ソフィアの宿に置いてきてしまったらしい。
どうやらこの旅行、夜行列車に乗るときにはカメラのトラブルが発生するみたいだ。

ソフィアから一緒に来ていたトモユキさんという日本人のお兄さんは、このカメラ紛失トラブルを本人以上に慌ててくれて、その姿を見ると逆に落ちつけて慌てずに済んだ。
国際電話のプラスの意味がわからず、多少てこずったけど、5分奮闘したらソフィアの宿につながった。

ソフィアの宿には今朝テサロニキに来るコースケさんというこれまた日本人がいるはずなのだ。
聞いていた列車の時間から推測するに、今まさに宿を出るか否かのタイミングなのだ。

ビリヤードで何度か対決したダミアンにつながった。
彼は"明治ブルガリアヨーグルト"の歌を良く口ずさむ男だ。
僕//そこにコースケいない?たぶんいま出るところだと思うんだけど。
ダミアン//いや、もうチェックアウトして、宿出ちゃってるよ。
僕//えー、宿にカメラ忘れたから持ってきてもらおうと思ったのにー。
ダ//うん。テーブルに置きっぱだったからって、お前に届けるって持ってったよ。

ジーザス!!

7時くらいの列車と言っていたから、到着は13時か14時頃だろう。
と、検討をつけて駅に迎えに行ってみる。


13時から14時まで待ったのだが、コースケさんは現れない。
インフォメーションで聞くと、その列車は11:30に到着していたという。
それはないだろう、と思いながら、じっとしているのが嫌だったので一度宿に戻る。

トモユキさんとコースケさんがどっかでバッタリ会って、宿に連れて帰っていてくれるのがベストだなぁ、と思ってドアを開けるが、誰もいない。


ソフィアの宿のインフォメーションボードに張ってあったこの"Backpacker's Refuge"に僕が泊まることをコースケさんは知っている。というかこの観光客の少ないテサロニキで、僕らが泊まれるのはここあたりだろう、とソフィアで話していた。

"Refuge"と名乗るだけあって、この宿なかなか曲者で。
管理人である3人兄弟が、テサロニキのフラットを何部屋か持っていて、そこに二段ベッドを置いて、"Hotel"には泊まれない僕らのような旅行者に比較的安価で寝る場所として提供している、というところ。つまり看板が出ていなくて、探すのが難しいのだ。

僕らが泊まっているのはHPに載っている地図のフラットとは別のフラットである。
コースケさんが行くとしたら、HPの地図のフラットを目指していくだろう。
そして看板が出てなくて、地図の印のとこらへんをウロウロしていることだろう。

行ってみよう。
行ってみた。

もう少しで印のポイントだよなあ、と思って歩いていたら、後ろから肩を叩かれた。

ジーザス!!

会えた。
コースケさん、宿が見つからなくて、疲れたからサンドイッチ屋で休憩してたら、僕が通りかかったのが見えたらしい。

サンキュー、コースケさん!
サンキュー、ガラス張りのサンドイッチ屋!

これがカメラを置き忘れた話。

で、次が管理者のNinaを怒らせた話。

この旅行で初めて宿を予約した。
サメット島のを含めると2度目。

"Backpackers Refuge"の管理者の一人、Ninaとのメールのやり取りで僕の1泊分の予約は完了していた。
駅からバスで30分かかる“Analipsi”というバス停まで迎えに来てくれるという話になっていた。

「朝6時に着く電車だけど、そんな朝に電話してもいいの?」というメールには返事がなかったのだが、到着したときに電話した。

言葉にはしてなかったが、かなり不機嫌そうに「今何時?」と聞かれ、6時と答えると、これまた不機嫌そうに「8時に“Analipsi”のバス停で。」と言われた。
駅の食堂でネットがつながったので、メールを受信してみると、「8時に電話して。」というメールが僕が電車に乗った時間に届いていた。

7:50にバス停に到着して、8:20まで待ったのだがNinaらしき人物は現れない。
電話してみると、「あと、10分か15分で行く。」とのこと。

9:00
“10分か15分”はとっくに過ぎてる。
トモユキさん心配そうに「ここがAnalipsiじゃないって可能性は?」

もう一度公衆電話でダイヤルしようとしていると、向かいのバス停にいるトモユキさんが手を振ってる。
ちっちゃいヘルメットをかぶったギリシャ人のお姉さんがいる。

Ninaaaaa, where were you?

ごめんトラフィックがジャムってて、、的な言い訳も早々に、道の説明を始める。

「そこの、信号の道がペトロシグニッカって道だから、そこを右に曲がって12番地まで歩いて行って。だいたい5分くらいだから。」

初めて来る土地での、口頭の道の説明は手書きの地図よりわかりにくい。
しかも他言語で。
にもかかわらず、OK、と答えたのは、バイクのNinaが一緒に連れってってくれるもんだと思ったから。
でも彼女は僕らのOKを聞くと反対方向にブーンって行っちゃった。

まいったな。
とりあえず歩きだしたけど。

ペトロシグニッカを右に曲がって5分くらい行ったけど、Ninaも“Backpacker’s Refuge”も12番地も見つからない。つかリュックの一つの僕と、スーツケースとバックパックと手提げ袋のトモユキさんとの歩き速度の差を見てわかるとおり、「歩いて5分」は目安にならない。

途中のメガネ屋さんや、コーヒーショップで“Backpacker’s Refuge”を聞くけど、誰も知らない。

歩きまわっても見つからないので、最初の場所に戻ることに。
一人だったらまだ探しまわっただろうけど、スーツケースに苦労するトモユキさんはかわいそうだった。

Ninaに電話すると、怒られた。

「あなた、どこいるわけ!!?
ずっと探してるのよ!!
住所忘れたんでしょ!?
今どこ!!?
え?最初のバスストップ!?
5分待ってて!!」

Nina、今度は3分でやってきた。

僕らをペトロシグニッカまで連れていって、(だよねだよね。)

「ここをこっち!!」
と彼女が指をさした方向は左だった。(えーっ)

絶対さっきは右って言ったよー!!

「ここ見れば番地がわかるから。」
と壁には、ホントだ“48”って書いてある。

で、そこまでやると、Ninaはまたバイクのほうに戻って行っちゃった。
また僕らが迷っても知らないぞー、って思ったけど、今度は12番地までたどり着き、12番地の建物の前にはNinaがいた。

彼女の怒りはまだおさまらず、
今日はこれから大事なミーティングがあること
最近ずっと忙しく昨日は4時に眠ったということ
をまくしたてながら部屋まで案内された。

カギを渡され、説明は30分後にするから!と言って、彼女はまた飛び出していった。


これが、Ninaを怒らせた話。

0911140830

そういやラオスでわかりにくい地図を書いてもらったっけ。。
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《観た映画》

『KAN DOOR HUID HEEN』