この記事は、“人のためと人を助けることは違うこと”の補足になるものです。

人を助けようとすると、自分や他の者まで犠牲にしなければいけないときがあります。
それが死を招くこともあります。
人一人の命を救うために、何人何十人が犠牲なることもあります。

覚醒していない者にとってその判断は、大きく別れることであるし、苦渋の決断ともなります。
覚醒している者にとっては、上の指示通りに動いていれば良いので何ら判断に困ることはありません。
では、筋書として、その判断の基準は、どうなっているのでしょう。
全てに当てはまるわけではありませんが、以下、参考にして下さい。

まず、宇宙論で考えてみます。
地球以外の星では、皆、本当の意味で助けあって生きています。
つまり、災いが起こらないようにしています。
従って、犠牲になるということは一切ありません。
地球人は、まったくその逆をしています。
災いが起こることが分かっていても、ほったらかしにしていることもあります。
それで、災いが起きてからあわてふためいているのが地球人です。
福島原発は、そのよい例です。

話しがそれました。
地球論で考えてみます。
但し、筋書であることを念頭において下さい。

極端な例として、その人を助けようとすると自分が死ぬことになるとします。
それでも人を助けようとする者もいれば、自分が助かりたいがために見殺しにする者もいます。
筋書としてみれば、どちらも間違っていません。
死ぬということは、この世での修行が終わったということです。
ようやく苦しみから解放されたということです。
助けられずに死んだ者も、助けようとして死んだ者も、ご卒業おめでとうございますなのです。
助けられて助かった者も見殺して生き残った者も、まだ修行を続けなければいけません。
逆に言えば、まだ修行を続けなければいけないから、
助けられたのであり、見殺しにしたということなのです。
但し、その後の両者の生き様には、差があるのは確かです。

自分の命をかけて人を救うと、この世では美談として取り上げられます。
確かにそのような者は、慈悲の心に満ち溢れています。
だからこそ、あなたはもう苦しみを負わなくても良いですよ。
有終の美を飾ってあの世へ行って下さい。
という筋書を書いたわけです。
しかし、それを褒め称えても、死んだ者には何の恩恵もありません。
恩恵があるとしたら、次に生まれ変わった時に、
その因果により、今度は自分が助けてもらえることがあるかも知れないということです。

人助けをし、どれだけの徳を積んでも、あの世へ行っても、何の評価もしてもらえません。
あの世では、この世でどれたけ偉業をしようが徳を積もうが評価はされません。
評価されることは、どれだけ心を成長できたかあるいは修正できたかです。
良い心を持たされ良い行いをしても、それ以上に良い心となっていなかったら
修行に来た意味がありません。
むしろ、悪い心を持たされ悪いことをしても、その心をどれだけ修正できたかが大事なのです。

『この世でどれだけの業績・功績を残そうとも、それは筋書き通り
あの世では一切評価されることはない。
それより、心がどれだけ良くなったかということが大切である。』

『この世でどれだけ極悪非道なことをしてもそれは筋書き通り
あの世でそれを悪いことと認めれば、とがめられることはない。
ただし、それが自分の心から発せられたものなら、その分の心は縮小する。』

Part4[心]語録より


さて、人によっては、最後の最後まで生き残ったほうが
人のため、そしてこの宇宙のためになる者もいます。
その者は、自分の命を掛けてでも人を救うという筋書は書いていません。
必ず、どんなピンチも切り抜け、最後の最後まで生き残れるような筋書を書いています。
自分の命を犠牲にしてまで、人を救うという筋書を書いた者は、
また何か他の意味があるということです。


人の犠牲になって、喘ぎ苦しんでいる人は多いです。
あいつのせいでこんな目にあったと嘆いている方もおられるでしょう。
だけど、それではせっかく犠牲になった苦しみが帳消しになってしまいます。
その場合の犠牲は、自分の煩悩を出してもらうためのものだったということになります。
本当は、煩悩を出して頂いてありがとうなのです。
人のためと思い犠牲になった者は、一時的にはダメージを受けたとしても、
行く行くは、自分の心の成長にプラスとなります。
どちらにしろ、犠牲になるということは、その分、何らかの恩恵を受けることになります。
全くの犠牲などというのは、ないということです。

※以下、Part4[心]語録より抜粋します。

『他を守ることができない者は、来世はそれなりの姿としかならない。
自分を守るために、人を犠牲にする者は、来世は宇宙の塵となる。』

『自分の立場を守ろうとすればするほど、人を犠牲にする。』

『人の犠牲になるのも、徳を積むことになる。
そのとき苦労すれば心も大きくすることができる。
犠牲になったと嘆いていたのでは、心は小さくなってしまう。』

『本当のエンバス(共感能力)を持つ者には、慈愛の心はもちろん慈悲の心もある。
(自分が犠牲になってでも相手を助けようとする心があるということです。)』

人気ブログランキングへ
↑クリックしてください。

$ウェルテック・ジュジュのブログ-小冊子
小冊子「煩悩のあいうえお」「プラス思考」「霊障」
■お申込みは、 http://wellju.net/booklet.html より

http://wellju.net/
$ウェルテック・ジュジュのブログ-ロゴ