精神病者は、自分が狂っていることが分かりません。
しかし、正常者から見れば狂っていることは分かります。
ところがです。おかしなことを言っている、しているにも関わらず、
狂ってるとは見られないことも多々あります。

地球人は、人が失敗すると笑います。
それをネタにして笑いを取る者もいます。
そういう職業もあるぐらいです。
それはまだしも、中には、人が嫌がったり苦しがったりしているのを見て、面白がる者もいます。
(「ざまあみろ」なんていうのも同じ部類です。)
面白いがために、わざと嫌がることをする者もいます。
暴走行為、悪ふざけ、虐めなどの行為は、耐えません。
注意すればするほどに、面白がりエスカレートして行きます。
でも、このような者は、不良と言われても精神病者扱いにはされません。
理性が働いていれば、人の嫌がることをしてはいけないということは、直ぐに分かります。
まして、それを愉快に思うとは、頭が狂ってるとしか言いようがないです。
では、精神病者の狂うとその者たちの狂うは何が違うのでしょう。

精神病者の狂うは、顕在意識にある複数の心が、
人から受けた強い邪念や取り憑いた悪霊により、バラバラになり生ずるものです。
一方、その者たちの狂うは、その心から発する波動が狂っているのです。
これは、その心が発生した原点まで遡ると理解できます。

“Part4[心]無の矛盾”に、親神や他の神々の成り立ちが書かれています。
このとき出来た心は、完璧な心です。
しかし、この他に膨大な数の不完全な心も発生していました。
但し、数は多くてもエネルギーの総和は、神々の心から比べると遥かに低いです。

この心をそのままほっておくわけには行きません。
処理の方法は二つ、
一つは、抹消してしまうこと。
もう一つは、不完全なものを組み合わせて完全な心とすることです。

抹消してしまうのは簡単です。
しかし、完全な心にするには、お互いに大変な苦労を強いられます。
それで、どちらを選んだかというと、苦労を覚悟の上で完全な心にする方を選んだわけです。
一つでも幸せに生きられる心があるならば、
そうしてあげようではないかと思うのが当然ということになります。
(自分が存在することの喜びを感じて下さい。)

不完全な心といっても、種々様々です。
どう組み合わせても、まともな心として働かない心もあります。
そのような心が、いわゆる煩悩を発する心なのです。
地球人には、この煩悩を発する心を持たされているのです。
その煩悩を発する心を修正することによって
潜在意識にある自分の本当の心が修正あるいは成長できるようになっているのです。

その煩悩の一つに、人が嫌がることを愉快に思うというのがあるということです。
そういう観点から見ると、犯罪も煩悩の一つです。
理性が働けばしてはいけないことと、しても良いことの判断はつきます。
しかし、理性を働かせないようにする狂った波動を発する心を持っていると、
人殺しでも平気でしてしまうことになります。

このような狂うは、複数ある心がバラバラになって狂うのではなく、心そのものが狂っているのです。
「真実を告げる書」に、犯罪者は脳の病気とあります。
この心の狂いが、脳の病気として現れるのです。
しかし、この世ではこのような狂うは、精神病扱いはされません。
何故かというと、地球人皆がそのような狂った心を持たされているからです。
地球人のほとんどが、正しい目で物事を見ることが出来ない
狂った心を持たされているということなのです。

精神病者の狂うと犯罪者の狂うが重なることは多いです。
甚だしい場合は、背筋も凍るような猟奇的事件をも引き起こします。

精神病者に、あなたは狂っていると言っても分からないように、
そのような地球人に狂っていると言っても分かりません。
でも、精神病者が自分はおかしいと思い始めたら病気が治るように、
そのような地球人でも、自分がおかしいと思い始めれば、
正しい目で物事を見ることが出来るようになって来ます。
私の言っていることが、理解出来るようになって来ます。

狂った心を発するには、それを受ける者が必要です。
受ける者は苦しい思いをしますが、そういう者こそが、慈悲の心があり人のために生きる者なのです。

※注意
この世では、多数決の原理が働きます。
100人いて、99人が正しいと言えば、それがおかしいことでも正しいということになります。
1人が正しいことを言っていても、その1人はおかしいとされてしまいます。

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