仕事の話ですが、やっと、新年早々に開催されるワークショップの発表資料の原案を作りました。これら推敲し追加等を行なって完成させます。首記本題にいくまえに、ぐちをすこし・・・。

●ぐちその1
役人の方というものは、とても言葉に注意を払っているようです。
「合理化を検討する」
→これは、「手を抜く」ととられるので、やめてほしい。
では「適切化を図る」は?
→これでは、今までが「不適切だった」と思われる。やめてほしい。
じゃ、いつもの「高度化」ですか。
→そんなとこだ。
・・・ということで、つねに「高度化」が行なわれていく。

●ぐちその2
「国と協議して」
→これは、「談合をする」ととられかねないので削除。
あの~、事前に協議しないといつも怒るのは・・・でないんですか。
→気持ちはわかるが、自分で考えたことにしてほしい。

・・・そういうことを考えながら、発表資料を書いているのです。

●My Life in Music/ジュリアン・bリュームブリューム
●まえがき
去年の今頃だったか、新規出版されたギターの隔月誌(名前が出てこない。ギター・ドリームだったか)で、とてもいいおじいさんになっているジュリアン・ブリュームの写真が表紙になっていた。この創刊号は購入しました。私は、1年に1回は、この手の雑誌を買うことにしています。今年も、どれか新年号を買おうと思っています(付録があるので)。そのブリュームの写真が、とてもイメージが良かったので、11月末に池袋の要町に行ったとき、このDVDを購入しました(そこで、東京国際ギターコンクール3位の人に会いました)。最近は、ボーナスのときにDVDをひとつ購入しています。夏のボーナスでは、グールドのものを買いました。
●わが音楽の人生
このDVDは、まだ1回しか見ていません。でも、見た後、なんか楽しい気持ちになるいいDVDだと思った。このDVDを見て、セゴビア自伝の本を思い出した。彼ならどんなはなしになるのだろうか・・・。このセゴビア自伝は1920年代で中断されている。濱田滋朗だったかは、「その後のことは、あの戦争と関わりがあり書けなかったのではないか」とある。あの戦争の時代をどう過ごしたかは、とくにドイツやフランコの独裁時代のスペインに生きた芸術家は大変だと思う。カザルスのように生きれれば、なんら問題はないのですが・・・。私自身も、カザルスのようには生きれないので、セゴビアを責めるつもりはない。
●ブリュームは正直
このDVDを見て、ブリュームの、正直な人柄がわかって楽しい。
早くして、両親が離婚し、父親に育てられたこと。
大学入学資格を取ったらギターを買ってやると言われ、勉強したが資格試験に落ちたこと。でも父親はギターを買ってくれたこと。
ストラビンスキーに電話を200回かけたが、切られてしまったこと。念願が叶って会うことが出来たが、録音前の時間で間がわるかったこと。・・これは、ギターの作曲を依頼するためだったこと。
・・・等々、あのブリュームの印象とおなじく、すこし早口でしゃべっている。いいおじいさんになったと思う。
●ブリュームとセゴビア
このDVDでは、セゴビアが第二次大戦前にイギリスで演奏を行なったときのことを書いてある。少年ブリュームはオペラグラスで演奏の間、ずっとセゴビアの手を見ていたらしい。その熱心さは、確かにすごい。また、戦争の間、セゴビアの消息は分からなかったらしい。ブリュームは「みんなセゴビアは死んだと思っていた」と言っている。セゴビアのバッハ演奏のことを言っているが、プログラムの組み方について「セゴビアは組曲全部をやらない」とすこし辛いコメンをしている。また、バッハの作品は、既に他のギタリストも弾いていると言っている(たしかに、タレガも編曲しているが・・・)。ジョンもブリュームも、手放しではセゴビアを誉めない。これは、何だろうか・・・。

・・・・時間がないので、ここまでと。あとでもう1~2回DVDを見て、感想を書きます。