ご無沙汰しています。
PCが壊れ、中断していました。
その間、すこし考えました。
気分転換もあり場所を代えることとしました。

”western-front”というブログネームですが、
私にとって高校時代の思い出に基づいていて、
その瞬間ではなんの意味も無くとも、
あるとき鮮明によみがえり、
その時代を思い出すkeywordとしてかなり愛着があるのですが、
改めて匿名の気楽な安住の地に移動します。

趣味の音楽の演奏もしばらくやっていなかったのですが、
へたな演奏を臆面もなく公開し、
(実はこれが移動の主な目的でもあります)
また、迷走しつつ行き当たった音楽の本を読みつつ、勝手な感想を記載する、
その楽しみは継続します。

お気に入りの方には、それぞれ多大な影響を受けました。
これからもしつこく閲覧させていただきますので、よろいしくお願いします。

では、
いきあたりばったりで、音楽関係の本を読んでいます。その流れで、とにもかくにも、ある程度キリスト教を知らないと西洋音楽や西洋の文化を理解できないと思い、啓蒙書は避けつつ、キリスト教の本をいろいろ読んでいるなかグノーシス派について興味を持ち、首記の本を読みました。

●グノーシス-古代キリスト教の異端思想/講談社選書メチエ$西部戦線異状なし-guno-shisu
一般論ですが、(付け焼刃の知識であっても)キリスト教の理解は、西洋音楽、文化、思想の理解を面白くする。これホントです(必須と言ってもよい)。この本でグノーシス派のことを知って、カルバン派の「予定調和」というような過激な「絶対他力」の”正統”キリスト教に対し、キリストを知的に理解し、その先に救済をみるといいう「自力」のアプローチの動きが紀元1~2世紀頃にあった。その「異端」と「正統多数派」の論争の結果として、新約聖書の編纂されたというのがこの本でわかる。なお、この本は、著者(筒井賢治)の考えと本で挙げられている資料の論点と区別ができないところが多い。結局、筒井さんの(独断的)解釈がすべての本のような気もする。そこをもう少し明確にしてほしかった。
以下に覚書をすこし。

●グノーシスの基本は、神の二元論
(先週のブログと同じことを以下に記す)
キリストが宣教した神(至高神)とユダヤ教の神(創造神)は別だと説く。創造神が作ったこの世界は唾棄すべき低質なもの。人間もまた創造神の作品なのだから高尚なはずもない。救済とは、この唾棄すべき世界から解き放たれて至高神のもとに戻る」というもの。というか、ユダヤ教の創造神を悪魔視するような考えのようだ。当時のローマ帝国の圧制下では、そういう現世理解もあるかもしれない。
●少し音楽の話
トイレで毎日すこしづつ吉田さんの本「世界の指揮者」を読んでいます。1970年代に書かれたこの本では、彼はマタイ受難曲を3回しか聞いていないと言っている。それでも、バッハの(というか西洋音楽の)最高作品としてマタイ受難曲を挙げている。わたしも一般論ではそうなんだろうと思いますが、異教徒がこの曲を最高に挙げるのは少し変だ。バッハが信じた神に、シャーマニズム的敬意を表するか、または、グノーシス的にバッハの神を理解するか、そうでもしないと共感できない。実際、私はこの曲を通してきいたことは一度も無いし、CDだと途中で気が散ってしまう(というか、途中でおなかがすいてくる)。それで、いつもは抜粋版のCDを聞いている。吉田さんはカール・リヒターのマタイがすばらしいと言っていた。さて、最近の録音では何が良いのだろう。
●本の構成
第1章 紀元二世紀という時代
第2章 ウァレンティノス派
第3章 バシレイデース
バシレイデース(紀元85頃~145年頃)のグノーシス派の教師。
否定神学」というのがある。「神は~である」と定義する肯定神学に対し、「神は~でない」と否定表現でのみ神を語るのが否定神学。たとえば、「神は善でもなく、悪でもない」といった言い方で、すべてを超越するものであることを強調する論理。バシレイデースは「はじめは何も無いときがあった」「なにもない神が無から(世界を)創った」と言った。旧約聖書の「創世記」にも同様なことが書いてあるが「全能なる神がなんでもお造りになった」といった全能の神を強調する程度の話だったのを、ギリシアのプラトン哲学と結びつけて、存在論に通じる学問的な厳密な論文を書いた。
  ★
なお、これらの異端派の歴史は資料が乏しく、勝利者の側の正統キリスト教側の「全異端反駁書」に書かれているので注意が必要。バシレイデース派の言葉として、「十字架を担いだのは(キリストではなく)シモン」で、「キリストは貼り付け場に行く途中で肉体を入れ替わり、キリストはシモンの肉体で、十字架を担ぐキリストを笑う群集を逆に笑っていた」というのもある。これは、肉体と精神のあり方(存在論)の通俗化された表現と思われるが、これはこれで考えさせられる。
なお、このシモンはキリストと同時代の魔術師シモンのことで、何度も輪廻転生を繰り返したとされ、ファウストの伝説の元祖らしい。実はこのような世界が、私の興味があるところなのですが、この本はまじめな本なので、そこらは淡々と書いていて面白くない。
第4章 マルキオン
マルキオン(紀元100年頃-160年頃)はローマで活躍した小アジア(現トルコ)出身のキリスト教徒。著者は、彼をグノーシス派に入れているが、一般には彼の一派は異端ではあるが、教義が異なるのでグノーシス派ではない。そうなるとこの本のタイトルが気になる・・・。
  ★
「マルキオン聖書」というのがある。これは新約聖書の前に編纂され、これがきっかけで新約聖書が編纂された。「マルキオン聖書」は、いろいろな福音書から、ユダヤ教的なところを取り除き、純粋に(ほんとうはマルキオン解釈的)キリストの聖書を造ろうとした。其の一方、正統多数派は、伝承された資料を矛盾のまま、すべて丸呑みしたということのようだ。
・・・ここ後で追記(と思いましたが、気が向いたらということで)。
第5章 グノーシスの歴史
第6章 結びと展望
グノーシス派は、正統多数派から「創造神を悪魔視するグノーシス主義者はさっさと自殺して、とっとと故郷に帰れ」と挑発されていた。ただ、グノーシス派の集団自殺といった話は全く伝わっていない(ようだ)。どちらかと言えば、グノーシス派のアプローチはその「グノーシス」の語源に近く、知的に神を認識しようというもので、「『人はまず死に、それから(終末において神の救済により)よみがえる』というのは間違っている。人は生きているうちに復活を受けなければ、死んだときになにも受けないだろう」と言っている。すなわち、生きているうちに自己の存在を認識する必要があるという主張で、これが何で「異端」なのだろうかと思うが、多数派を統率するのは「知」ではないということかもしれない。

・・・付け焼刃ながら、私にとってはそれなりに役に立つ。
出かけるので、帰ってから少し追記しようかと。
西部戦線異状なし-baberu墨田区押上で建設中の「東京スカイツリーもだいぶ出来上がってきた。毎日乗っている総武線からも錦糸町-両国間で、そのグロテスクな姿を見ることができる。完成すると美しくなるのだろうか。建設中のスカイツリーのイメージは、右画のような、その後の破壊を予測させるバベルの塔のように見える。果たしてこの光景に慣れるのだろうか。

で、首記の本です。

●民主主義という不思議な仕組み/佐々木毅/ちくまプリマー新書
西部戦線異状なし-minnsyusyugi最近の政権交代を受け、高校時代からすっかり忘れていた「民主主義」について、一応基本を知っておこうと思い図書館で借りて読んだ。なお、図書館の文庫本や新書コーナーを眺めるのも面白い。いろいろな図書館の本棚を見ると、その図書館の顔が見える。
●目次
第1章 民主主義のルーツを言葉から考える
第2章 代表制を伴った民主政治の誕生
第3章 「みなし」の積み重ねの上で民主政治は動く
第4章 「世論の支配」―その実像と虚像
第5章 政治とどう対面するか―参加と不服従
第6章 これからの政治の課題とは

これを一つ一つ紹介するつもりは無いが覚書としていくつか書いておきます。
○ギリシア時代(アテナイ)の(直接)民主主義とは、戦争の参加能力=政治的発言力だった。海軍が船の漕ぎ手を大量に動員する必要性から、一般の自由人(奴隷でないという意味)にも発言権を認めるようになった。そして、貧しい人々には給金を払って政治に参加してもらった。
○アリストテレスの「政治学」では6つの政治形態が示されている。民主主義は、悪い政治形態のなかで悪くない制度と評価されている。アリストテレスもプラトンも、一般市民の判断に疑いを持っていた。
○ペリクレスの葬送演説
これは、当時のアテナイの人々が民主主義をどう考えていたかが良くわかる。書くのがめんどうなので省略しますが、理想は持っていたようだ。
○その後(ペルシアとの戦争に勝った後)のアテナイは、内部抗争にあけくれ、法は党派が他の党派を支配する道具になっていく。最後は、知ってのとおり、マケドニアに破れ、ローマ帝国の属国になる。
○国家が拡大すると、王制や封建貴族制が国家運営に適した制度とされ、(直接)民主制はマイナーな制度として省みられなくなる。
○このマイナーな民主主義が息を吹き返すのは、ここ200年の話。その形態は代表民主制。
○民主主義は権力の乱用を防ぐ観点から発展した。ただ、社会契約論のルソーも、一般大衆はよく間違った判断をすると考えていた。ドイツ、イタリア及び日本は、その民主主義の歴史の浅さから、その制度を維持することができず、ファシズムに至る失敗を経験した。
○近代の民主主義は基本的人権(少数者の権利)を認めて其の機能が成立する。
○福沢諭吉は、少数者の抵抗を認めていた。この本は、中高生向けの本らしいので表現はマイルドであるが「多数の意見には従うべき」とは書いていない。少数者の不服従と非暴力の抵抗を認めている。

●その他読んだ本
●イエス・キリストの言葉―福音書のメッセージを読み解く/ 荒井 献 /岩波現代文庫

この本の著者は、キリスト教徒だが牧師ではないようだ。聖書を古典として各福音書の記載の違いを文献学的に比較し解釈を記述している。それで、異教徒の私でも読める。これを読むと、聖書は解釈が重要なことがよく判る。だから解釈者(牧師とか神父)が必要になるのだろう。その一方、聖書の勝手な解釈を廃し、聖書そのものを神の声としてそのまま理解しようという原理主義(このような人は厄介だ)が出てくるのもよくわかる。

●買った本
●グノーシス-古代キリスト教の異端思想/講談社選書メチエ
西部戦線異状なし-guno-shisuグノーシス-キリスト教を調べていると、初期のキリスト教団が戦った異端グノーシス派のことが時々出てくる。それで興味がありこの本を購入。二元論とは「キリストが宣教した神(至高神)とユダヤ教の神(創造神)は別だと説く。創造神が作ったこの世界は唾棄すべき低質なもの。人間もまた創造神の作品なのだから高尚なはずもない。救済とは、この唾棄すべき世界から解き放たれて至高神のもとに戻る」というもの。キリスト教成立当時(起源70~200年)は、グノーシスのほうが多くの文献を残したようだ。その後のローマ教会は、この手の文書を歴史から抹殺しようとした(残してほしかった)。ただ、私はこの二元論を読んで、うまいことを言うなと納得してしまった。ただ、神が二人いるということは、3人いても4人いても良いことになり、多神教につながる。パウロとかの昔の長老はそういうことで危険思想と考えたのだろうか。それは、この本をよんでから。

・・・ということで
やはり、昨日は、人並みに選挙TVを見ていた。
私は政治には興味が無いが、あえて言えば、小選挙区制には反対です。民主主義は、その非効率そのものに意義があると思われる。そして「多数決」はあくまで必要悪です。前回の大勝した自民党のその後の行動をみればすぐわかるが、人間は弱い。そして民主党とて同じです。
  ★
小選挙区制は、結局衆愚政治を増大する。今の世界、残っているイデオロギーは、資本主義と民主主義だろう(たぶん)。おそらく、アフリカやアジア等を含め、世界が文化の多様性を容認しつつ均質化するまで、必要悪としての資本主義と民主主義が、試行錯誤の中で数百年は続くと思われる(その根拠はありません)。なお、世界的には、既に200~300年くらいはこのイデオロギーで動いているが、いまだ修正が試みられている。私は政治と経済に興味は無いので代替案はありませんが、このままいくと、SFではないが1000年たつ前に・・・ドクロということになるかもしれない。

・・・とTVをみながら妄想しました。

●聞いたCD
●[銘器アントニオ・デ・トーレス1867]による名演集/北口功
西部戦線異状なし-北口きわめて久しぶりにこのCDを聞いた。いくつかの演奏にはミスもあり玉石混合ですが、編集をしないだけ潔いし、とにかく、この方の演奏には音楽的な何かが感じられる。
  ★
そして、かれのバリオス(1885年-1944年)の演奏を聞いて、つい最近TVで聞いた吉田秀和の「ロマンテイック」の説明を思い出した。吉田秀和は「ロマンティックとは分裂した精神であり、無いものに対する憧れ」と説明した。その憧れの先には「神」がいると思われる。バリオスの作品は、後期ロマン派の遅れてきた作曲家であるが、その特徴は「(南米的)宗教性」にある。その意味でバリオスの作品は「ロマンティック」だ。バリオスは南アメリカの山岳部パラグアイ出身。南米原住民の血を引き継ぐゆえに、彼の作品には、キリストと同時に、原住民の誇り高い時代に対する想いもあるのではないか。北口さんのギター演奏は、そのロマンティックが良く出ているように思われる。


●買った本
●ベンヤミン/ちくま学芸文庫西部戦線異状なし-ベンヤモン
これは、イラストと短い文書なので気楽に三面記事的に読めるので、トイレにおいて読んでます。とうぜんながら、この簡単な本で、わかったつもりになるのは危険なので、もう一冊程度は「解説本」を読んでみようかと思っています。
私は影響を受けやすいのですが、さすがに、ベンヤミンとアドルノの受け売りは時代錯誤かと思う。しかしながら、その中にある批判精神は、とくにアドルノの著作には、音楽を聞く場合の参考になるところがかなりある。アドルノは蔑視したが、ジャズや昭和歌謡曲も、そして西洋クラシックも、当時の社会を反映した音楽として聴けるし、その役割が終わったとき衰退したのだと思う。

・・・ということで。