またまた、今週も忙しかった。それで、今日はつかれたので会社を早めに出て、CDショップと本屋さんに行きました。人から見ると「それは(それほど)忙しくない」ことになるのですが、あれも、これもやらないといけないことがあり、気分は毎日(とても)忙しいの連続なのです。これこそ「ストレス」と言うのでしょう。ただ、そういう忙しさ中で、なんでこんなに(熱心に)音楽の本やCDを聞き、何人かのブログを覗いているだろうか・・・、それは、忙しいからこそなのかも知れない。

●ソロ・ピアソラ/マヌエル・バルエコ
バルエコ
これを試聴して感動してしまいました。いまさらピアゾラでもないと思って聴いたのですが、さすがバルエコです。私が持っているピアソラのCDは、ドイツのギタリスト・リースケのものとヨーヨーマのチェロのものの2枚です。これらはそれぞれになかなか良い演奏と思っているのですが、バルエコの演奏は全然違いました(昔の記憶との比較ですが)。なんというか、オリジナリティがあり聴かせます。最近、試聴して同じように凄いと感じたのは、五嶋みどりの無伴奏ヴァイオリンソナタBWV1003でした(でも、これは、買っていません)。
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私は、プロの演奏家の演奏を生ではほとんど聴いていないので、あまり一般的なことは言えないのですが、下記のように考えています。

アマチュアのギター愛好家に過ぎない私に比べれば、(それなりの)プロの演奏家であれば、身近で生で聴くとすばらしい演奏をする。大学時代に私が3ヶ月程習った大学の先輩プロは、直接聴くと凄い響きを出す。目の前に響きの固まりが見えました(一方でそれが感じられないプロもいます)。ところが、広い会場でその先輩プロの演奏会を聴くとさっぱりなのです。「ギター」という楽器の性能もありますが、やはりプロなら演奏会でその力量を発揮してこそ(一流の)プロだと思っています。
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バルエコに戻りますが、このCDからはバルエコの凄さを感じました。彼こそがプロの演奏家と思います。なお、まだ、こCDを通しで全部聴いていないので、iPodに取り込んでこれから聴きます。

●音盤考現学/片山杜秀片山
私は、最近は毎月図書館で「レコード芸術」をチェックしていますが、この本は「レコード芸術」の連載記事をまとめたものです。立ち読みして面白そうなので購入しました。著者は凄い博識の人らしく、私にはこの本を対等に評価することが出来ません。まだ全部読んでいないこともあります。現時点で、一つだけ私の知識レベルで判断できる記事がありました。ギタリスト山下和仁の「黎明期の日本のギター曲集」に対する評論「山下和仁-感情過多様式です。
●同意できること
○藤家渓子と結婚して、山下の演奏が変わった。
ただ、変わった時期が違うように思える。私は1995年、1996年録音のタンスマンとポンセのCDを聴いて、山下は変わったと感じた。この人は、このようなCDを聴いているのだろうか。このCDも「感情過多」と言うのか。
○山下の今後の年の取り方が気になる。
私は、山下が体力的に中国雑技団のような超絶技巧が出来なくなり、藤家さんともある種の折り合いをつけ、枯れてきたときの音楽を「生」で聞きたい。あと10年ぐらいまとうかと思っています。この本の著者はどういう考えなのだろうか。
●同意できないこと
○山下の追っかけギターファンがいたらしい。山下の演奏が終わると、メインの交響曲など聴かずに帰ってしまうらしい。
ギター愛好家もバカにされたものだ。<---実際にそういうのを見たのか、聞いたのか。このようなことを書く神経に対する単純な怒りです。
○藤家渓子の音楽は、貴婦人のごとく気まぐれで、箸が転んだのを見ても笑えるがごとく不安定で、ちゃらんぽらんに推移しがちである。
う~ん、私は近藤譲や武満の音楽にない、女性らしさと新しい「現代音楽」を感じ、山下と藤家の仲むつまじいことを願ったのですが・・・。おそらく、同じ所をプロの評論家がみるとそうなるのだろうか。または、彼の感性が、既に古いのか
○山下は女性の生理を思わせるような不安定な揺らぎへと身を任せはじめ、結局彼のギターは「感情過多様式」への世界へと傾斜しているように見受けられる。
思うに、彼は藤家渓子に対する評価と山下に対する評価を繋げ過ぎている(混同している)。また、著者は、山下のギターの方向を見誤っている(と思う)。藤家の本を読むと、彼女は「(京都人らしい)オトナ」です。山下を(見捨てずに)暖かく見守ってくれることを期待します。

なお、「黎明期の日本のギター曲集」を私は聴いていないので、その中の作品の批評は評価できません。図書館で探して聴いてからにしようと思います。また、日本の黎明期のギター作品そのものにも興味があります。ちなみに、私はCD発売当時、「黎明期」という漢字を読めませんでした。では、私が、どんな読み間違いをしたのか・・・、それは秘密です。

この本の評価ですが「一事が万事」という見方があります。私はこの言葉はきらいなのですが、この言葉をこの本の評価としよう。そういう「あぶない」本として読めば、けっこう面白いのではないだろうか。

・・・ということで。