昨日は、ひさしぶりにまとまったギターの練習をしました。
手が固まっているのがよく分かります。もともと小さな手なのですが、さらに小さくなっている感じです。これを、練習で解きほぐしていかないとならない。練習した曲は下記です。

●練習した曲(というより、単に弾いた曲)
●BWV997プレリュード、フーガ、ジーク、ドーブル/J.S.バッハ
フーガは私の好きな曲なのですが、ギター編曲なので声部が狭い音域に固まって音が混乱している(つまり低音の声部が1オクターブ上がっている)。もちろん、プレリュードの最初の(大事な)所も下の声部が1オクターブ上がっている。結果的に下の声部はめちゃくちゃということになる。そうすると、やはりリュートか10弦ギターがほしくなる。下記は、バロックリュートの調弦ですが、下の弦を見れば分かるように音階に添って調弦されています。この調弦があると、BWV997は弾いてとても楽しくなるだろう。
バロック

そうすると、単弦でいいから10弦ギターがほしくなる。ただ、イエペスが10弦ギターにしたのは、6弦ギターの欠陥である倍音というか共鳴音が出ない音をなくすためなので、上記のような調弦ではない。そうすると、セルシェルの10弦アルトギターはどんな調弦なんだろうと興味がわく。間違っているかも知れないのですが、弾きやすさから見れば、バロックリュートに近い調弦なのではないかと思います。なお、前記の曲でフーガは、私の力量からしてかなりいい加減な演奏です(あしからず)。
●チェロ組曲3番プレリュード/J.S.バッハ
自分の頭では、チェロのCDをイメージして弾いています。
●ニ短調組曲プレリュード、アルマンド、サラバンド/M.M.ポンセ
渡辺範彦を(勝手に)イメージして弾いています。この曲も、ヴァイスもどきの曲なので、バロックをイメージして弾いています。
●三丁目の夕日/平倉伸行編曲
これは、現代ギターの付録で図書館でコピーした楽譜を使っています。映画三丁目の夕日は、ステレオタイプの極めつきでしたが、ついつうウルウルしてしまいました。でも最後のまとめ方は嫌いです(あの子役の一言でぶちこわしです)。そして三浦友和がよかった(これは第1部を見ていないとわかりません)。さすがに水戸黄門ではウルウルしませんが、中年版水戸黄門ということかもしれない。この監督の次の作品は「怪人20面相」らしい。このほうが面白そうだ。そうすると、主題歌はどんなふうになるのだろう。
●その他
バリオスの「みつばち」、ダウランドの「涙のパバーヌ」、チェロ組曲2番の「プレリュード」などを弾きました。この2番プレリュードは、昨年池袋の現代ギター社にいったとき、東京国際コンクール3位になった人が弾いていた曲です。(派手さが無く)なんというか精神的なフレーズが無性にいい曲に思えたのです。まだ弾き初めです。その他ヴァイオリンパルティータ1番のサラバンドとドーブルも楽しく弾きました。このドーブルは弾いて楽しい。ヴァイオリンとおなじく単音でなぞるだけでも楽しい。単純な曲ながら単音の中に多声が見える。そこが何とも言えない。しかしながら、私が弾いている楽譜はギター編曲で余計な和音が付いているのです。これらは無い方が良いかもしれない。ギターやリュート編曲のチェロ組曲をCDで聴いていて、突然変な音や声部が入ってくると、ものすごい違和感を感じる場合がある。そんな感じです。

●読んでいる音楽関係の本
●ニコラウス・アーノンクール-未踏の領域の探求者
アーノンクール先週図書館で借りて、昨日喫茶店(江戸川区瑞江のカフェ・ブレスミー)でこの本を少し読みました。なお、この珈琲はおいしいです(本当は2杯のみたいのですが・・・)。なお、この喫茶店には賛美歌の本やキリストの本が置いてあり、且つジャズの本(SWING)が置いてあります。ジャズの本はいつもチェックしています。
●音盤考現学/片山杜秀
この方は結構売れっ子のようだ。ただ、記載内容はあぶない「ステレオタイプ」であり且つ話がとんでもないところに飛んでいる。この記述を「正統な評論が出来る見識を持った上で書いている」と思えば「凄い」のですが、わたしにはそうは思えない(同郷の仙台生まれだが応援できない)。だからこの本は「あぶない」。例えば「バッハの罪?」のところも、単に当時からあった敬虔主義の立場の言い換えに過ぎないと思える。この程度なら、バッハを知らなくとも書ける(博識だとは思うが一つ一つを見ると薄い・・・)。ただ、「あぶない本」として読むのは面白い。
●その他
「プラトンの呪縛」は1回読んで、読み返しています(そうしないと、理解できない)。「中世哲学の招待-ヨーロッパ的思考のはじまりを知るために」/平凡社新書をブックオフで350円で買いました。そろそろこの手の本を中断しようと思っているのですが、ついつい購入しました。宗教改革は、西洋史にとって(ほんとうに)大きな分岐点だったのが最近実感しています。

・・・ということで。