思い出すと涙が出てどうしようもなかったけど1週間も過ぎて泣いてばかりいられない状況に追い込まれてる現在、少しはその時のことを記録に残しておきたいと思い。そういうのが苦手な方はバックされることをお勧めします。

オットは日頃から元気でよく食べよく眠りよく運動していました。仕事は事務系なので座ってする仕事。車のなかにトレーニング用の着替えやシューズ、バスタオルを入れていて時間があるときにがジムでランニングをしていました。ジムでのランニングは結婚した当初からやっていてたまにはマラソン(10キロとかハーフとか)にも出ていました。年齢が進んでくると仕事も忙しくなってマラソンにでることは無くなりましたがジムだけは通っていました。

数年前からは加齢に伴いコレステロールや血圧が高くなっていましたが、特に治療するほどの数値でもなかったのか通院はしていませんでした。

亡くなる前日は節分で、わたしたちに恵方巻きを準備してくれてて自分は元の職場の方の送別会に行っていました。飲み会のときは代行で帰宅するか車を置いてきて翌日取りに行くかでした。その日は車を置いてきて駅から歩いて帰宅したようです。姑の家で寝起きしてるので姑の家から朝直接仕事に行ったそうで、当日の朝はいつもよりちょっと早く出勤。駅まで歩いて20〜30分程度、どしゃ降りとかであれば私に送って行って欲しいというのですがその日は快晴。かなりの冷え込み(放射冷却)でした。

次男が土曜日の授業参観だったので朝のしたくをして登校。洗濯物を干してそろそろ学校に行くから長男に留守番を頼んで出かける矢先に電話。なんとなく放置できない感じだったので出てみると「◯◯さん(夫の名前)のお宅でしょうか?△△病院ですが◯◯さんが道で倒れられて心肺停止状態です。救急搬送されたので、奥様でいらっしゃいますか?すぐに救急外来にお越しください。」と。急なことで頭が真っ白になって電話きってすぐに長男に事情話し出かけられるように服を着るよう指示、姑に電話して病院に一緒に行くから家に寄りますと、学校にも電話して次男を迎えに行くことを話して。長男を乗せて車で姑宅により学校に行き4人で病院に向かいました。

子供たちと姑を廊下ベンチに残して救急外来の部屋に一人で入りました。処置ベッドにはすでに全ての管が外されてチューブだけが口のふちに残されていました。一目見たら、いえ、処置室は入る前から静かだったので予想できました。周りに医師や看護師がいて死亡宣告。もちろんすでに息をひきとってるのですが私が来るまで待っていたようです。手を握って見ても冷たくなっていました。そのときどうしたのか何を言ったのか記憶はありません。泣いていたとは思うのですが立っていたのか座っていたのかそれも覚えていません。子供たちと姑が呼ばれた?のか自分で呼びに行ったのかわかりませんが姑が横で号泣してました。
私も泣いていたと思います。