なんか日があいてしまい、何を書いていたかわからなくなってしまいました。

 

お寺さんの都合で葬儀は1日あとで土曜日が死去した日、月曜日が通夜、火曜日が葬儀となりました。一日長いので準備できると思いきや、まったく進まず大変でした。

 

2日目の日曜日。この日もあれこれ打ち合わせ。遺影の写真えらび、葬儀のときに流すDVDというかスライド写真を選んでコメントを考える、葬儀や葬儀のあとの法事の準備、お供え物とか香典返しとか料理とか席順とか、バスとかタクシーの手配とか。

 

朝からいろんな人が出入りしてさまざまな準備をてつだってくれて、この日も夜まで忙しく。夕ご飯はさすがになにか作らないとと思って、ほとけさまにおそなえするご飯があるのでご飯はあったのでほうれん草のおひたし、精進チャーハンを作って子供たちとおしゅうとめさんでいただきました。夕食後もいろいろ探しものをしたり大事なことをメモしたり。

 

前日眠れてなかったのでこの日はちょっとまとめて眠れました。翌日午後から納棺、その後セレモニーセンターに移動しお通夜。お通夜はかなりたくさんのお参りがあってホールの玄関で遺族が並んで挨拶してたら後半頭さげすぎでくらくらして。

 

その後お通夜があって最後に喪主挨拶。自宅で原稿書いてきたけど読める状況でもなくなにを話してるのかわからないけどとりあえず終了。

 

セレモニーセンターで通夜ぶるまいがあって精進のおすしや煮物メインのお料理を囲んで親戚みんなでお食事。ほぼのどをとおらず、というより食べる時間もない状態。お泊りする人以外は帰宅して葬儀屋の担当者と翌日の葬儀についての打ち合わせ。うちの親子3人とおしゅうとめさん、夫の義弟といとこたちが泊まってくれることになってたので12時すぎにようやく就寝。

 

オットが寝てる大広間に義弟といとこが寝て、横の和室(小部屋)でおしゅうとめさんと私たち家族が寝て。朝方というか夜中に咳がとまらず何度も起きてしまい、迷惑にならないよう玄関のところで咳がおさまるまですごし、そのあとにオットのところでろうそくやお線香をあげて。とくに話すこともないのですがなんとなく夫を一人にしたくないという気持ちでした。

 

朝はとまった部屋についてる大きなリビングダイニングキッチンで朝ごはんをとり。担当者と最後の打ち合わせ。とまった部屋はその日すぐに次の家族が入るとのことで荷物は玄関先にまとめ(葬儀の間に清掃するとのこと)そのまま葬儀へ。

 

平日なのでお通夜の半分以下だけどなんかちょっとえらいような人が多くてちょっと緊張。葬儀でも喪主挨拶。なにを話したのかこれまた覚えてないけどなんとか無事に終了。玄関で会葬者のお見送り、そのまま霊柩車で火葬場へ。車で数分のところで火葬。お経あげてもらって火葬なんだけどもう直視できない状態で結局後半は見てない状況。ホールに戻って7日の法要、食事。火葬場にいってお骨拾い。これでいちおう終了と思いきや、お骨と遺影をもって帰宅したあと親戚の人が集まってきて香典開き。途中でお寺さんがこられてふたたびお経。香典開き再開、精進落としの会食。これは生ものを食べるとかで朝注文した魚のお鮨、オードブルで親戚のひとたちと遅くまで夕食。

 

みなさん「からだこわしたらだめだから休んで休んで」と口では言うけども、そうやってうちで酒盛りするから休まらないし後片付けもあるし、実際にはやすめないのよ!と思いながらも嫁の立場としてはなにも言えない。

 

みなさん帰られて食器洗って一息つけたのは10時過ぎ?かな。あまりにもへとへとだったのでお風呂にも入れずそのまま就寝。

 

葬儀の翌日は静かに休めるかと思いきや、やはり朝から人がわらわらと集まってきてもう笑うしかない状況。

 

死亡した原因なんですが、もともと血圧高くコレステロールも高く。でも通院もせず本人は自分は大丈夫と思ってて夫の父親も同じ「心筋梗塞」で急死してるので気をつけなければならないのに放置。運が悪いことに前の日が飲み会で車を置いてきて、普段しない電車通勤。その朝の冷え込み、前日の飲酒、今までの高血圧、心疾患になりやすい遺伝などいろんなことが複合的にからみあって帰らぬ人となったのだと思います。でも本人は血管が詰まってることに気づいてなかったのでその日心筋梗塞にならなかったとしても、べつの日にべつの場所で倒れる可能性は高かったと思います。