なくした記憶 4


目の前には下を向いたままの敦賀さんが立っている。
『もう二度と、俺は君の前には現れない。』
そう言って、私に背中を向けて歩き出した。
『待って!!行かないで!!見捨てないで、側にいて下さい!!敦賀さん!!』
必死で遠ざかる背中を追いかける。追いかけて追いかけて、ぐいっと腕を引くと、振り返ったのは、カインの役がついた目をした敦賀さんだった。
『誰だ。お前は…?』
冷たい声と冷たい目線で突き刺すように睨まれた。

「敦賀さん!!」
嫌な汗をぐっしょりかいて、叫びながらガバッとベッドから起き上がるキョーコ。
「はっ!夢……?」
キョーコはハァハァと荒い息遣いをしていた。
「…違う。夢だけど、これは夢じゃない…。」
キョーコはまだ薄暗い部屋の中で起き上がると、膝に頭を乗せて、ポロポロと泣き出した。
「嫌だよぉ。敦賀さん!!忘れるなんて酷い!!私、私は敦賀さんが好きなのにっ!!嫌だ!忘れられたままなんて嫌!!敦賀さん!!敦賀さん!!」
キョーコは鞄からコーンを取り出すと、泣きながらコーンを握り締め朝方まで泣き続けた。
「うぅ、コーン!助けて!!コーン!!」



蓮は誰もいなくなった病室で、ベッドに横になったまま眠れずにため息を吐いていた。
何故か、目をつぶると浮かんでくるのは、昼間の女の子のことばかり。
自分が記憶を失っているらしいこともショックではあるのだが、あの女の子を傷付けて泣かせたことで、心が苦しくてたまらなくなっていた。
さっきは自分から突き放したくせに…勝手だな。俺も。
「大切な人は作らないって決めて出てきたはずじゃないか…」
ーーいや、作らないんじゃない。作れないんだ。作る資格なんて俺にはない。
あの子に近付くのは危険だ…俺の中の何かが、そう警告している。
冷たく突き放してでも、自分から遠ざけなくてはならないと…。
蓮は自分の手をぼーっと見つめて、先ほどのことを思い出す。
自分のことを忘れたのかと問う彼女は絶望して、椅子に崩れ落ちた。
あの時、ボスが現れなければ俺はどうしてた…?無意識に彼女へと向けられた手。
俺はどうしたんだ?あの子に近付くのは駄目だ。それなのに、側にいて欲しいと望んでしまう。
今まで、女性がこんなに気になったことはない。
…一体、俺はどうしたんだ?
矛盾だらけの思いが交錯して頭が混乱する。
驚いた顔。涙をいっぱいに溜めた目。絶望に打ちひしがれた瞳。
彼女の顔が頭から離れない。
ーーあそこまで傷付けたんだ。もう、来ることもないだろう。
そう考えると、何故か胸の奥が締め付けられるような気分になった。
全く眠る気分になれず、蓮は諦めて、病室のDVDデッキを起動した。昼間ボスにもらった過去の自分の出演ドラマを見ることにしたのだ。
蓮はボスから課題を与えられた。この一週間様子見で休みをもらい、その間に、敦賀蓮の記憶を取り戻すこと。
もし、それが無理だった場合は、過去の作品やインタビューから、敦賀蓮の性格や行動パターンを研究すること。つまり、記憶をなくしたことがばれずに敦賀蓮として仕事を続けるのに、違和感がないようにしておくことだった。
まさか、自分で自分の研究をすることになるとは…。
蓮は軽くため息を吐くと、DVDの映像を真剣な眼差しで見つめた。


翌日、ラブミー部の部室で書類の整理をしていたキョーコの元に、奏江がやってきた。
「ちょっとあんた!どうしたのよ?その顔は!!」
「あ、おはよー。モー子さぁん!」
「あんた…その顔怖いわよ?寝不足の上に泣き腫らした顔…そんなものに一点の曇りもない営業スマイルを貼り付けようとしないで!」
「うぅっ!…やっぱり腫れてる?」
「えぇ、まぁ少しはメイクで隠せてるみたいだけど?そんな顔じゃバレバレよ。一体どうしたのよ。」
「…たいしたことじゃないのよ?」
「…じゃあ何であんたはそんな顔してるのよ?」
キョーコは困ってしまった。いくら相手が大親友のモー子さんだからって、事務所の看板俳優であり、大先輩の敦賀蓮が記憶喪失になったなんてことを軽々しく言っていいはずがない。
キョーコは少し考えて、奏江に質問することにした。
「あのね…モー子さん…。もしも、…もしもよ?私がモー子さんのこと、忘れちゃったらどうする?」
「…は??」
急すぎるキョーコの質問に怪訝な顔をする奏江。
「だからね。ある日、突然、記憶がなくなっちゃって、モー子さんのことがわからなくなったって私が言ったら、モー子さんはどうする?」
「なんなのよ?どういうこと?」
「………」
奏江はキョーコが何故そういうことを言うのか確かめようとしたが、キョーコはそれ以上話すつもりはないのか、下を向いたまま奏江の言葉を待っている。
「そーねぇ、あんたが私のことを忘れたら…ねぇ…?」
奏江は少し考えこみ、怒りを露わに答えた。
「そんなの、冗談じゃないわ!!あんたが私を忘れる?!そしたら、何度だって思い出させてあげるわよ!例えあんたが思い出せないとしても、新しいあんたと新しい関係を築くわよ。無関係になんてさせないわ!たとえ、あんたが忘れても、私にとっては大切な親友なんだからね!見捨てたりなんてしない。どんなにあんたが嫌がったって側に付きまとうわよ!これで満足?!」
奏江は、勢いに任せて最後まで言い切ると、赤い顔を背けて、しまった。
キョーコは奏江の言葉に驚き、目を見開くと、目の奥がジンと暖かくなった。
「モー子さん!!」
キョーコは嬉しそうにはにかんだ。
そっか、そうなのだ。記憶がなくなると言うことは、本人にとっても心細いに違いない。
そんな時に、自分のことを忘れずに側にいてくれる人がいるのはとても心強いことなのではないか?キョーコはそう思えた。
そんな時にこそ、人は誰かに側にいて支えて欲しいものかもしれない。
敦賀さんは私にとってもかけがえのない先輩だ。私にとって、大切な唯一の目標でもある。その彼が苦しんでるのだ。
側にいたい!何かできることがあるなら力になりたい!
決めた!敦賀さんから忘れられたままにならないためにも、お節介だと言われても、側にいよう!
「ありがとう!!モー子さん!」
「何だかわからないけど、元気出たようなら良かったわ。」
キョーコの目に再びいつもの光が灯ったのをみて、奏江は微笑んだ。
「うん!早速行って来るね!」
キョーコは残ってたラブミー部の仕事を超高速で終わらせると、猛スピードで部室を飛び出した。
例え敦賀さんに思い出してもらえなくても、今の敦賀さんと新たに信頼関係を築いていけばいい。

(続く)

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ふぅ。ようやく動いてくれそうです(^-^)/
前回あまり、書けなかった蓮の心情もいれてみました。