ーーーま、待って!!
グングンと遠ざかる背中を、ハッハッハッと呼吸を乱しながら追いかける。
廊下を曲がり、明るいロビーに出たところでその少女は目を見開いた。

まだ人通りも多い昼過ぎの時間帯。
明るすぎるTV局のロビーのど真ん中で、人目を気にせず抱きしめ合う男女の影…。
既に密着しているその二つの影が、さらに重なろうとしていた。
「ダメェ~~~~!!!!」
幼い少女の叫び声が、周囲の黄色い悲鳴に混じって響き渡った。




《願望と誘惑》




ーーー俺は、夢でも見てるのだろうか…?
それともこれは、俺の願望が見せる幻か…?

マネージャーの社さんと二人打ち合わせをしながらテレビ局のロビーを歩いていると、正面から俺の片想い中の愛しい少女がいきなり飛び上がり首に抱き付いてきた。
思わず抱きとめた際に、抱きしめた腕の力がグッと強まり、もっと身体が密着するように無意識にも引き寄せてしまう。
鼻をくすぐる甘い香り、女性特有の柔らかい身体の感触に、クラクラと目眩を起こしそうになる。身体にちょうどフィットする彼女が愛しくて堪らない。
不意に、顔を上げた彼女が、潤んだ瞳でジッと顔を覗き込むと、ほんのりと頬を赤らめて、柔らかそうな唇を尖らせながら、そっと瞼を閉じた。
俺は、その彼女の表情に釘付けになり、周りの悲鳴や騒ぎは全く耳に入らなくなった。
無表情で一瞬固まり、頭の中が混乱する。
何故…こんなことに?!
だが、しかし!!愛しい少女にこんな顔をされて、何もしない男がいるだろうか?…答えは否だ!!
俺は、ほぼ無意識に誘われるまま瞳を閉じ、ゆっくりと、まるで引力に引き寄せられるように、己の唇を彼女の唇に近付けた。

ーーーあと、3cm。
夢にまで見た瞬間が、目前に迫っている。
柄にもなく緊張した心臓の音だけが、身体を支配する。

ーーーあと、1cm…。
心臓の音までが耳に届かないような静寂…。
甘い吐息を感じるその位置にいる時、不意に幼い少女の叫び声がが響き渡った。
「ダメェ~~~~!!!!」

驚いて、弾かれたように目を向けると、幼い少女が目に涙をいっぱい浮かべて、フルフルと二人を見つめていた…。


***

「お姉様!今日はマリアのお願い聞いてくれてありがとう!!」
LME芸能事務所の社長こと、ローリー宝田。その孫娘のマリアから、キョーコはずっとお泊りに来て欲しいと頼まれていたのだ。
社長の家に泊まるなんてとんでもないと、ずっと恐縮して断っていたキョーコなのだが、マリアのお願い攻撃に負けて、結局泊りに来ていた。
「明日はお姉様オフでしたわよね?たくさんマリアと遊んで下さいね。」
今は寝る前のリラックスティータイムの時間だ。マリアちゃんと二人、ホットミルクを飲みながら話をする。
「うん。マリアちゃん。誘ってくれてありがとう。」
「ふふふ♪お姉様と一緒のお布団で眠れるなんて夢みたい。沢山語りあいましょうね?」
「えぇ、私も嬉しいわマリアちゃん。それに、天蓋付きベッドなんて私初めてよ!!お姫様になった気分♪」
嬉しそうに微笑むマリアと、幸せそうにうっとりとベッドを眺めるキョーコ。
キョーコに至っては放っておくと、ヨダレを垂らしてしまいそうだ。
そんなキョーコを知ってか知らずか、マリアが嬉々として口を開いた。
「そーだ!私、お姉様にお見せしたいものがあったんだわ!」
マリアはスックと椅子から立ち上がると、机の引き出しからおもむろに一つの箱を出して来た。
キョーコが首を傾げていると、マリアはその箱からいそいそと、液体を取り出した。
光の加減により何色もの色を放つそれにはとても不思議な魅力を感じた。
「それは?」
好奇心に負けて虹色の液体を見つめながらキョーコは問いかけた。
「これは、アロマですわっ!通販で取り寄せましたの」
マリアが嬉しそうにホクホクと返事しながら、アロマの液体をうっとりと眺める。
「これはただのアロマじゃなくて、願望を叶えてくれるアロマなんですの。」
「願望を叶えるアロマ??」
「ふふふ。そうですわ。このアロマの匂いの中で眠ると、願望が叶うらしいんですの。もちろん、全ての願望が聞き入れられることはないらしいんですが、100人に1人は叶う人がいるんだとか…」
目をうっとりとさせながら説明するマリアから、視線をアロマに向けるキョーコ。
まるで魅入られるかの様に、その液体が入った瓶から目が離せなくなる。


「お姉様はどんな願望がおありになって?」
マリアがアロマキャンドルの準備をしながら、問いかける。
「私の願望??…そうねぇ~。マリアちゃんは?」
「わたくしは、一日でいいから、蓮様に心の底から愛されたい!…ですわ!」
うっとりとマリアが呟く。それを聞いて、キョーコも願望を考える。
んー。願望かぁ…願望…。
チラリと天蓋付きベッドが目に入ったキョーコは、顔をパッと綻ばせて、思い付いたことを言った。
「私はね!私は、一度でいいからお嬢様になりたいわ!」
「それは素敵ですわね!」
二人で互いの願望をウキウキと語り合いながら、天蓋付きベッドに横になった。
アロマの甘い香りに包まれて、何時の間にか、誘われるように二人は眠りへと落ちていた。



柔らかい日の光が薄いピンクのカーテン越しに部屋へ差し込む。
先に目覚めたのはキョーコだった。
眠った身体を起こす為、その場で大きく伸びをすると、手が何かにぶつかった。
慌ててそちらに目を向けたキョーコは、自分の目を疑い、見事に固まってしまった。

ーーーえ?!わ、たし????
キョーコの目の前にいるのは、紛れもなくキョーコだった。
混乱するキョーコだったが、こんな非現実的なことがあるわけないからこれは夢に違いないと、妙に納得し、マジマジと自分の寝顔を見つめる。
ーーー私、寝てる時こんな顔してるんだわ。
キョーコは興味津々に自分の寝顔を暫し見つめていた。



「わぁー!凄いわ!私、お姉様になったのね!!」
マリアはフリフリのワンピースに着替えると鏡を夢中で覗き込んだ。
「そのようね。」
キョーコも目の前の鏡を信じられないと言う目で凝視した。
「確かにマリアちゃんはお嬢様よねぇ~。」
関心したように呟くが、その声の発信源はマリアの姿をしていた。
「…私の願望が叶ったのは認めるわ…。確かに、マリアちゃんはお嬢様だもの。」
キョーコはぶつぶつと呟いている。
「だけど!マリアちゃんの願いは“蓮様に心の底から愛されたい!”のはずでしょー?!何でそれで、マリアちゃんが私になるのよーーー!!!!」
一人混乱してるキョーコを尻目に、マリアがボソリと呟いた。
「つまりは…そう言うことよね…。」
マリアは一人で納得していた。
今までモヤモヤとしていたのが、今回のことで、一気に確信に変わった。
蓮が好きなのはキョーコなのだと。

二人の願望が、お互いに入れ替わることで何の因果か二つとも叶う形となったのだ。
つまり目が覚めたキョーコとマリアの身体は入れ替わっていたのだ。
キョーコは社長の孫娘と言う世間で言うお嬢様のマリアの身体に。マリアはこの世で一番蓮に愛されてるキョーコの身体に。
気持ちなのか魂なのかわからないが、ともかく、入れ替わっていたのだ。
いまだに混乱の渦の中心にいるキョーコと共に朝食を終えると、マリアは真剣な表情になった。
「お姉様!そうとわかれば、こんなところでゆっくりなんてしていれませんわ!!」
マリアが屈んで、キョーコに視線を移し手を握る。
目を爛々と輝かせて、キョーコの顔でキョーコに言うマリア。
「早く、蓮様を探さなくっちゃ!!!!」
マリアは言うが早いか、直ぐに部屋を飛び出した。
「ちょ、ちょっと待って!マリアちゃん!!!!」
慌てて追いかけると、社長の執事をマリアが捕まえていた。
「直ぐに車を出して頂戴!」
そんなことを偉そうにのたまうキョーコの身体のままのマリアに、何の疑問も抱くことなく、執事は動揺も全くない様子で恭しく頭を下げると、車を準備した。
キョーコが止める声も虚しく、車で拉致をされると、車は真っ直ぐに事務所へと向かった。

事務所へ着くやいなや、キョーコの身体をしたマリアは落ち着きなくキョロキョロと辺りを伺う。
マリアの身体をしたキョーコは、そんなマリアの様子にハラハラしながら、周りを気にする。


ーーさて、こんな書き方では、大変めんどくさいし、読みにくいと思うので、これからは客観的に見てどう見えるかと言うことで、心ではなく身体の方の呼び名で書くことにしよう。
つまり、マリアがキョーコで、キョーコがマリアだ。
大変めんどくさいのは百も承知だが、その方が客観的に見れるであろうとおもうので、お付き合い頂ければと思うーー


さて、キョーコは、小さいマリアの手を引くと、まず俳優部へと向かった。
キョーコは俳優部に向かう途中に、椹の姿を認めると、マリアの手を離して、元気いっぱいの声を上げて椹に走り寄った。
「おじさまーーー!!」
キョーコからおじさまと呼ばれた椹はギョッとして目の前の人物を見つめた。
マリアは一人、絶望的な気持ちで、キョーコの行動を見ていた。
キョーコは自分の今の姿がどう映っているかと言うことをすっかり忘れてるかの様に、常にいつも通り振舞っている。
お陰で周りではコソコソと話してる人の姿を良く見かけた。

椹と別れた後も、次々と色々な人に声をかけながら、俳優部へと向かった。
キョーコは俳優部の主任となにやら話し込んでいるが、マリアはここまでで体力を使い果たしたかのように、キョーコに振り回されてぐったりしていた。
そのうちキョーコがウキウキと俳優部の主任である松島のところから戻ってくると、今度は事務所の外に出た。

「お姉様!まだお時間ありますの。ショッピングにいきませんこと?」
キョーコはマリアを上からニッコリと覗き込む。
何に時間があるのかさっぱりわからないまま、とりあえずキョーコについてショッピングに付き合うことにしたマリア。
キョーコが次々と洋服や靴を試着をして行く。気に入ったのを何着か執事さんに購入させると、その中でもキョーコが一番気に入った服に着替えていた。
そんな姿をマリアは他人事のようにボーッとただ眺めていた。

昼食を終え、そろそろかしら?と時間を確認して言ったキョーコは、マリアの手を引っ張ると車に再び乗り込んだ。

今度は何処に連れていかれるのかと、ぐったりしていたマリアだが、そこは自分も何度か来たことがあるTV局だった。
マリアは嫌な予感を覚えつつ、TV局に足を踏み入れる。
キョーコが勝手な行動を取らないよう、手を掴もうとした刹那、キョーコがいきなり走り出した。
慌ててマリアは追いかけるが、足の長さが違う為、どんどんと背中は遠ざかっていく。

ーーーま、待って!!
マリアは慣れない幼い身体で必死に追いかけた。


社と蓮は撮影が終わり、次の現場へと移動する為、テレビ局のロビーを歩いていた。
颯爽と歩く姿だけでも絵になる様は、多くの女性の目を独占していた。
社が小さく"あ!"と言う姿を横目で見て、蓮は社の視線の先に素早く視線を移した。
そこには、蓮が想ってやまない愛しい少女の姿があった。
ふんわりまとった淡い色のワンピースが、風に揺れる様に舞っている。白い肌を惜しげもなく晒したワンピース、いつもより少しだけおめかししているその姿に蓮の目は釘付けになった。
真っ直ぐにこちらに向かって満面の笑顔を見せながら駆け寄って来る姿が、蓮の瞳にはスローモーションの様に映っていた。
「蓮様ぁーーーー!!」
と言いながら、キョーコはそのままの勢いで、蓮に飛び付くと、首にギュッと抱き付いてきた。
知らぬ間に受け入れ態勢を取っていたその身体は難なくその身体を抱き止めると、感触を確かめるように強く抱きしめた。
周りからは黄色い悲鳴が上がっていたが、蓮には全く耳に入らない。
これは夢か?!幻か?!
何にせよ、愛しの少女が自分から腕の中に飛び込んできたのだ。
頭は既に考える力を持っておらず、とにかく本能だけに従っているかのように、ただその温もりを感じていた。
横から慌てた社の声が聞こえてきた。
「ちょっ!キョ、キョーコちゃん?!一体どうし…?れ、蓮?!二人とも?!」
社の反応で、腕の中にいるのが自分の妄想でもなんでもない本物のキョーコであることを確信すると、耳元にキョーコの甘い息が掛かった。
気付けば、キョーコに頬ずりされている状態になっていた。
「んふふ~やっぱり蓮様良い匂い~。」
呑気な甘い声が蓮の思考を停止させる。
顔を離してジッと見つめた顔は、恋する乙女のその顔で、まるでキスを強請るかのように、そっと瞳が閉じられた。
その甘い誘惑に抗えず、蓮はゆっくりとその唇に自分の唇を重ねるべく、顔を近付けた。

周りの声や、反応などなんでもいい。とにかくこの絶好の機会を逃すまいと、蓮は唇を寄せた。
あと少しーーーー。

「ダメェ~~~~~~!!!!」
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けて、ハッと理性とモラルを取り戻すと、蓮は慌てて声のする方を見た。
そこには、目に涙をいっぱい溜めた、マリアの姿があった。


(続く)


*****


あれ?続いてしまいました!おそらくあと1、2回で終わるはず…。