本日はなんとっびっくり


大学の時「障がい児者」の分野で大変お世話になっていた先生が病院にいらして下さいました四つ葉

私は「権利擁護」「ノーマライゼーション」といえばひらめき電球この先生ビックリマークってイメージですが誰だか分かりますかびっくりマーク(笑)


卒業してからもう何年も経っているのに、私の名前と顔も覚えててくれて・・・同級生の近況も話していましたが、次々名前や職場が出てきてビックリすげ~
私は地味な学生だったハズなのに?!さすが先生ですねきらきら!!

明るく朗らかな高めの声、パタパタといつも小走りな感じの足音・・・本当にあの時のままでした笑

私も「あの時の笑顔は変わらないね」って言われたけど・・・
う~ん、どうせならもっと成長した姿を見せたかったナ


頂いた資料に目を通しながらお話しを聞いていると
何だか講義、というかゼミを受けている気分になりえんぴつ
マンツーで講義を受けられてなんて夢のように貴重な時間HAPPY

やっぱり人に教わるって、学校っていいなぁとつくづく思いましたきらりん
独学だとどうしても知識の詰め込みみたいになって視野が広がらないし、現実見にイマイチ欠ける。



大学自体も今回の震災で様々なご苦労があったようで
(ちょうど卒業・入学、成績発表の時期と重なり、また停電や交通機関の乱れで通学できなかったり・・・)


先生自身もご専門の「在宅ケアの障がい者」(呼吸器をつけていらっしゃる方等)の安否を非常に気にかけていて、あれこれ不安もたくさん抱え、心を痛めていらっしゃいました。



その中で印象的だったのが
「当事者(被災者)」と「非当事者(大きな被害は免れて支援が可能な方)」との間にある『(心の)溝』は大きく、どんなに歩み寄りの努力をし、少しでも理解したいと思っていても、なかなか埋められるものではない、ということ。

少しでも埋めたい、距離感を縮めたいと心で願っていても、100%の理解は難しい
分かっているからこそ余計にもどかしくやるせなさを感じるのかな・・・


でも、どんな状況であっても「相手を知ろう」とする努力は原点。とても大切なことだと改めて感じましたflower1



ここからはちょっと専門的になってしまいますが・・・

「医療(職)」と「福祉(職)」のあり方の違いって何だろうか?

というのが私の中に疑問としてあって
一般的に病院は双方の職員がいて、仕事内容でもラップする部分があったりするけれど
逆にグレーソーンとなる部分もあるし、医療職では手が回らない部分を福祉職がカバーする(例えば家族のケア、入院中の患者のメンタル面でのケアやレク等)何とか上手くお互いの旨味を生かして何かできないものかと日々考えさせられる。一学生として、そんな相談もしてみました。



先日の10代男児の臓器移植の件についても
『医学』という視点と、障がい者の立場から見る『福祉的な視点』
一見相反する分野と思いきや、意外な接点があることを教えていただき、目からウロコでしたキラキラ


それぞれ、生きてきた環境も過程も歴史も個性もあります。
様々な意見があってしかるべきだと思います。
それを誰も正解か間違いかだなんて判断を下す権利もない。



元気でも、障害でも、病気があっても
みんな1人の人間であり、尊重され守られるべき存在だということ、生命に重みの違いはないということ、忘れちゃいけませんね!


と、何だか講義受講後のレポートみたいになってしまいましたが・・・
また少し頭を柔軟にできていたらいいなと。


変わらないものがある。待っていてくれる人がいる。
そして自分も「病人」「弱者」と変わってしまったわけではなく、私のままであること。
それを再認識できたことが今日の収穫かな星