こちらのカードデッキ英語バージョンがリリースされたのが、確か去年の3月とか・・だったような。

手元に届き「イエス様、あなたが一番私にお伝えされたいことは何ですか?私へのメッセージを下さい」とお願いし、出たファーストメッセージは

 

 

「すべて、疲れた人、重荷を背負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます」

 

この時は、重荷?今の私の重荷とは何だろう・・と考えたのですが、重荷というほど重いこともわかららず

今の自分に自覚はないけれど、何か重荷があるんだ。イエス様が休ませてくださるなら、ありがたいことだ

 

去年の3月の時点ではこの程度にしか思っていなかった

ファーストカードの「私のところに来なさい」というメッセージ

 

その通りになりました。

イエス様と私との個人的な関係が深まったというか、もうとどまることの知らない勢いで深まっていて

 

今、どうしてこちらのカードが出たのか理解できます。

 

 

この「すべて、疲れた人、重荷を背負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます」には続きがあります。

 

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ112830

 

ここで言う「へりくだる」は、私たちが日常生活で使う自分を卑下するような「へりくだる」とは意味が異なります。

ここで言われるへりくだるは、自分を敢えて低くして・・というものとは異なり、相手の良いところを見て引きあげる、心からの謙虚さという感じでしょうか・・神そのものでありながらた、敢えて人として生まれ、生活し、そして十字架にかかってくださったお方です。卑下ではなく、自分を無にして、相手のことを引き上げるという感じです

 

そして「くびき」

これは当時農耕作業時に使われていた道具で、家畜の首にかける横木で、牛などが2頭一緒に動くようにするためのものです。

 

ここでイエス様は「わたしのくびき」と言われているので、イエス様と一緒のくびきをつける、イエス様がくびきを負ってくださるということ

 

つまり、くびきの片方はイエス様、もう片方は私、というようにイエス様との連帯、イエス様とともに歩みを進め、学ばせて頂く

 

 

他人や環境、そして自分自身の支配で負わされる苦しいくびきでではなく、重い荷ではなく、イエス様が一緒に負ってくださり、そしてそのことで、荷は軽くなる

それは支配ではなく、愛に基づいたくびきであり、荷だから。

自分に合わないくびきではなく、本当に学ばないといけないことをイエス様に導かれて学ぶこと、そうすればやすらぎがある

 

とても優しい言葉ですね。

 

イエス様ってお優しくて愛そのもの、とってもとっても優しいお方というイメージだったのですが

 

ご自身が十字架にかけられて処刑されること、そしてそれまでの過程を、全てご存知の上で、神の愛を地に現すために、人として来られたんですよね。そのことに思いを馳せていたら

 

・・すごい男気だ!!!と気づきました。

 

私の中で今、妄想がはじまりました

 

天界で神様に「俺がやるしかないんだろ。俺行ってくるよ。あいつらのこと守ってやらないとな。俺しかあいつらのことを守ってやれる奴はいねーし」的に地に下りてきてくださるイエス様

こんな風にお語りにはなられてないだろうけど、でもされているお心は、こんな感じですよね。絶対に苦しいし、惨めな死が待っているのに、人を守り救うために地上に降りてきてくださったのだから

 

ダメだ・・かっこよすぎる。男前すぎる。

 

きゅんきゅんレベルで男前だ・・と今気づきました。