『SOUNDS LIKE SHIT』を観て来ました。

 

 

 

 

Hi-Standardの初のドキュメント作品という事で、

 

公開前から既にロックファンの間では非常に話題になっていた作品でもあります。

 

1991年に結成され、2000年に活動休止。

 

活動期間中の彼らの功績は大変大きく、

 

CDの流通においては、メジャーレーベルに任せていた(後に契約終了)ものの、

 

制作や宣伝においては全て自分たちで手掛け、

 

その結果、1999年に発表された3rdアルバム『MAKING THE ROAD』は

 

インディーズ主導の完全自主制作作品として、初めて100万枚を超えるセールスを記録。

 

あと、『AIR JAM』を冠した音楽フェスをいち早く開催した事も大きい。

 

自分達だけで完全に音楽活動を運用する事に挑戦し、

 

結果的に大成功を収めた。

 

この功績は今現在活躍しているバンドの活動の礎となり、

 

音楽面では勿論の事、それ以外の面でも多大な影響を残しており、

 

10-FEETなどは、彼らを大変尊敬していると公言している。

 

順風満帆に見えた活動の中、

 

2000年の夏の終わり、

 

Hi-Standardは突如その活動を休止してしまう。

 

その後、10年の時が流れ、その間様々な憶測が飛び交う中、

 

2011年4月26日、東日本大震災をきっかけに2011年に再結成を果たす。

 

 

 

まさに『波乱万丈』を絵に描いたようなバンドが駆け抜けた27年間の軌跡が

 

一本のフィルムに集約された作品でした。

 

 

彼らの音楽を始めたきっかけは本当に純粋なもので、

 

「自分たちがいい音楽を作って、それを聴いている人たちに楽しんでもらいたい」

 

「ライブでお客さんが居ない事なんか何の問題も無かった」

 

「誰にも似ていない自分たちの音楽を作って行きたい」

 

というきっかけからこのバンドは始まった。

 

しかし、純粋な3人であったが故、美しくありたいと個々が思えば思う程、

 

理想とはかけ離れて行き、3人はバラバラになっていく。

 

それが本当に悲しかった。

 

当時噂として広がり、後に横山健の自伝で語られた事も本人たちの口から語られた事が

 

衝撃的でした。

 

活動休止の一番の原因は完全インディーズ活動を決めた事だった。

 

決定的なのは難波さんがマイクに

 

「お前たち、レコード会社にかなり搾取されているぞ?自分でやったらどうだ?」

 

という提案をされた事によって、全てを自分達でやるべきだと決断した事だった。

 

横山、恒岡は突然の申し出に当初は戸惑ったが、結果的に快諾。

 

その事によって、PIZZA OF DEATHを法人化し、その代表に健さんが就任。

 

健さんはミュージシャンとしてだけではなく、企業の代表としての顔を持つようになる。

 

その結果、法人の代表としての義務感に押しつぶされる結果となってしまい、

 

鬱病を発症して、本来ありたかったミュージシャン生命を絶たれる結果となった。

 

そんな状態であるにもかかわらず、健さんは自らのミュージシャンとしての在り方を

 

必死で画策している中当時、特に難波氏はその事を理解出来ずにいたというのは、

 

非常に衝撃的な事実でありました。

 

夢を共有していた盟友が、持つべき荷物を共有できなかったというのは、

 

人間関係としては決定的であったろうと思わずにはいられませんでした。

 

そんな中、2001年のAIR JAMによく出られたよね。

 

2011年の『AIR JAM』に関しても、衝撃的な事が多々語られているんですが、

 

これ以上ネタバレすると面白くも何ともなくなってしまうので、

 

ここは見た人が各々の感想を持って見てほしいと思います。

 

前述した事は殆ど健さんの自伝に書かれている事なので、書いてみたのだけれど。

 

 

3人で活動していたのだから、各々の主張があって当然だし、

 

各々が主張し、共有するのがバンドなのだと改めて思った。

 

多分、多くのファンもそう思っているんじゃないだろうか?

 

決して仲良しじゃなくてもいいけれど、音楽の一点で繋がっててほしいというか。

 

是非、あの時代をハイスタと共に生きた人たちには勿論、

 

ジャンルを問わず、全ての音楽好きに見て貰いたい作品でありました。

 

期間限定ではありますが、SPACE SHOWER TVで放映された特番が

 

Web上にアップされておりましたので、それも貼り付けさせていただきます。

 

 

 

 

今年度は、映画界では多くの音楽がクローズアップされた年だなと思いました。