地震の瞬間、自宅から90キロ離れた場所にいた
すぐに妻から連絡がきてとりあえず自宅に帰る
僕もすぐに自宅に帰ると・・・
しかし3時間、途中で家族が無事とのこと
娘が無事で良かった・・・・ほんとによかった
前妻にも連絡がつき、前妻の子供たちも無事とのこと、みんな無事で・・・
地震1日目の夜、電気が無くローソクで食事し、肩を寄せ合って夜を過ごした
まだ、原発の状況それほど情報として無く、まだ楽観視していた
に2日目、燃料が買えなくなっていた、まだ停電が続いている
灯油は実家の近くでなんとか買えた。
実家は断水していたが、地下水を飲料にしているので、普通の生活をしていた。
お米を分けてもらい、ご飯を炊いて帰宅
夜、食事が終わるころ、電気が復旧、ほっと一安心
しかし、TVから入ってくる映像の情報には、驚きました
ひどすぎる・そして、あまりにも近くでの出来事、
親類・友人・仕事仲間・・・みな心配です
そして、原発・・・不安な夜を過ごしました。
日曜日に被災地から親類が避難してきました。とりあえずお風呂、11人での避難
着るものも無く、自分の出せる服・布団などを提供し、さらに親類のうちに避難してもらいました。
月曜日、普通に仕事に行ったものの、燃料の枯渇で仕事が出来なくなっていました。
火曜日も仕事に、原発のニュースが気になり、仕事が手に付きません。(もともと心配性なので、気持ちがネガティブになってます。)
水曜日、仕事に行ったものの、結局、帰宅
妻と今の現状を相談、家族が多い事、移動手段の車の燃料の残量、食料品の確保など
いろいろ考えた末に、「取り越し苦労だったらそれでもいい」
「後で笑い話になればいい」と決断し、避難する事にしました。
時間に余裕があるから、夜準備をして、次の日、避難しました。
昨日、父の実家に避難しました。
取り越し苦労だと思ってる。しかし、心配性な僕の決断に妻子・妻の両親を巻き込んで避難しました。
被災地の友人の無事を、知り合いのブログで知り、仕事仲間の無事を電話で知り、そのたびに涙が溢れます。
一人でも多く助かりますように、原発はこのまま終息するように願います。
一日でも早く、普段の生活になれるように