地震~原発事故・日本も捨てたもんじゃない考察 | 沈黙こそロゴスなり

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昨日、国会の答弁のニュースを眺めていたり、SPEEDIの非常にわかりにくい、放射線拡散予測データを眺めたりしながら、妻と今回の一連の出来事を話していました。

様々な憶測や情報が飛び交うなかで見えてきたもの。
それは東電も政府もそれなりに善処したのだろうということ。

まあ私も散々批判してきたようなものですので、あまり偉そうなことはいえませんが...(^_^;;
すごく悲しい出来事があれば、強い怒りがでてきてやつ当たりしたくなるのは、人間としては普通の反応と言えばそうで、政府や東電はその矢面に立たされたという構図です。

もちろん、放射能の危険性があることを承知で、安全だ安全だと言ってきた上での今回の事故の責任というものは免れるものではないと思いますので、そこは批判されても仕方のないことでしょう。

その上で述べさせていただきたいと思いますが、今回の一連の出来事を見ていて、いくつか浮かび上がってきたものがあるように思います。

まず菅さんがわざわざ福島第一原発に足を運んだのかということから見えるもの。
このせいでベントが遅れて水素爆発が起きたというような批判もありますが、実はそうではないのかと。
つまり、地震と津波のために、原子炉はその時点ですでに重大な損傷を負っていたということではないか。
緊急停止状態になったものの、地震でどこかに亀裂が入り炉心の冷却水が漏れ出し、燃料棒が充分に冷却できなくなって2800度まで上昇し、溶損してしまったのではないかということです。

で、菅さんが福島第一原発に行ったときにはそれはもうわかっていたと思うんですね。
少なくとも予想されてたと思います。
この時点で、地震で傷つき、溶損した燃料で穴の開いた原子炉からはすでに高濃度の放射性物質と水素ガスが発生しており、原子炉建屋内に充満していたのではないかと思います。だから簡単にはベントできなかった。
そうすれば高濃度の放射性物質を含んだ気体が放出されることになるわけですから。
だから、とにかく冷却してガスの発生を抑えたかったのではないかと思います。

それで政府は外交ルートを通じ内々に各国にそれぞれの邦人の退避を要請したのではないか。
だから海外からチャーター機がきて帰国する国があったりしても不思議ではないわけです。
しかし退避場所のない自国民に対してはどうするのかと。

情報をすべて開示するのか、あるいは後から既成事実ということで小出しにするのがよいのか...。
結果的に後者の方法がとられたわけですが...

なんというかな、ここのとこ、年齢で判断が分かれると思うんですね。
どこで分かれるかというと、昭和40年以降生まれと、それ以前の年代。
昭和30年代というのは、まだ戦後復興期で、高度経済成長を遂げている最中。
それが40年ぐらいで、一旦ピークに達するわけです。
昭和40年代には、電気、ガス、水道のインフラが整い、各家庭にテレビ、洗濯機、冷蔵庫、自家用車が普及。いまあってそのときなかったものは、パ ソコンぐらいで、昭和40年代生まれの人っていうのは、もうそういうものに囲まれて生まれてきているんです。
だから、昭和40年代以降生まれの人というのは、感覚的に今の現代社会の傾向、特に情報に対しては開示していくのが普通という感覚をもっているのですが、それ以前の年代は違います。情報はある程度コントロールされてしかるべきだとどこかで思っているのではないかと。

だから、私的には、まだまだ社会を中心的に動かしている年代の人たちに、情報を敏速に開示しろと求めても、努力限界があるように感じるのです。長年の間に身につけてきてしまったものを変えるのは、そう簡単なことではありません。
そこはもう仕方がないとしか言いようがないと思います。

話がそれましたが、つまり、原子炉は地震直後の早い段階でもう手がつけられない状態になっていた。
なんとかベントせずに、放射性物質はすべて建屋内に封じ込めておきたかったというのが本音ではないかと思います。
しかし、結局冷却が間に合わず、水素ガスの圧力があがり、建屋の上部を吹き飛ばした...。

別の角度から見ればこの程度ですんでよかったというのが本当のところでしょうか。
福島原発の構造はチェルノブイリとは違うわけですから、炉心溶融とそれに伴う再臨界~爆発はおきることは理論上ほとんどないと言っても、万が一ということもあるわけです。2800度という高温状態では何がどう影響しあうのかは未知数ですから。

にしても甚大な被害、汚染であることは間違いありません。
良いか悪いかというような判断はここではいたしませんが、それなりによくやったということだけは本当のところでしょう。よくやったと思います。



こう書くと反論もあるとは思います。
でもね、できないことはできない。できるところでがんばるしかないのは、みな同じなんだと思います。
私自身、LDの子供たちと接してきて、サポートの難しさを日々感じています。
たとえば集中力が持続しない子供には、きまったパターンの生活環境を整えてあげなければなりません。自由すぎるとかえって何をしていいのかわからなくなってパニックをおこしたりするからです。
苦手なことはどんなにがんばっても限界があります。努力限界というのがあるんですね。そこはしっかりサポートしてあげなければならない。
本人もやりたいことがうまくできないから劣等感を持ちやすい。どう劣等感をもたせずに工夫しながら取り組んでいくのか考える必要があるんです。


困ってるのは政府も東電も同じだと思うのです。
今回のことで困ってない人は一人もいない。いろんな意味でね。

だからみんなでサポートし合わなければならないと思うんです。
日本人のいいところは、困っているときに、みんなで助け合えるという性質を持っているというところなんだと思います。みんなで知恵を出し合えば、ぜったい乗り切れると思うのです。

保守的だったり、変化に弱かったり、急な方向転換ができないのは、日本人の短所でもあり長所でもあると思うのです。
それならそれで、それを生かした改革をしていけばいいと思うんですね。

ゆっくり変わっていける道筋を示せればいいのではないでしょうか。


まあ、しかし、日本人って、基本的に対人関係下手だよね~(^_^;;
菅さんにしろ、東電社長にしろ...、同じことを言うのでも、角の立たない言い方ってあると思うのですが、長いとこ偉い人やってると、そういうこ と忘れちゃうのかなあ...