キリマンジャロとモカ
日本の喫茶店文化の中でモカ、ブルーマウンテン、キリマンジャロはマーケティング戦略には欠かせない。
ドイツの東アフリカ植民地のコーヒーは不振で輸出のを6%しか占めていなかった。東ウサンバラ、キリマンジャロに続く、もう一つがヴィクトリア湖に面したブコバであった。
ここにコーヒープランテーションを開拓、1912年にはキリマンジャロ、東ウサンバラをも上回るコーヒー豆を輸出するようになった。しかもブコバのコーヒーは品質がよく単価も上がっていった。
その訳は、イエメンのアデンを介して「モカ」ブランドで販売されたからである。
 その以前からもモカ港から輸出していたモカにはアラブ商人がエチオピアのコーヒーにモカブランドを冠して輸出していたことはあまり知られていない。
 20世紀の初頭にはすでに、モカの人口は400人と荒廃していたが、東アフリカのコーヒーがアデンに送られて、モカコーヒーとして市場に出されていた。
しかし1913年ブラジルの供給過剰で価格がくずれ、モカブランドだけが残った。

キリマンジャロの神話
 日本でキリマンジャロはコーヒーブランドでは上位に位置する。日本人を世界一キリマンジャロを嗜好する消費者に変えたのは1953年公開の映画「キリマンジャロの雪」である。
その後、タンザニア北部以外で栽培された豆もキリマンジャロの表示が許されている。
そのためにドイツと日本がタンザニアコーヒーを買い占めているのが現実である。
過去にはキリマンジャロを「英国王室御用達」と宣伝文句で飾られたこともあるが、ロンドンでは、スタバ以外のカフェでタンザニアコーヒーを飲むことは困難である。
しかしその後メイフェア地区にある自家焙煎店の老舗「H・Rヒギンス社」の看板商品が「タンザニアキボチャガ」「タンザニアAAチャガ」であり、当店がまさしく王室御用達の店であることは知られていない。