セカンドウエーブの背景
 マルボロで有名なタバコ会社のフィリップモリス(アルトリアグループ)や洗剤などで有名なP&Gがコーヒーとは意外と思われるかもしれませんが、いずれの企業も消費量が世界でトップである米国が主力市場であり、米国市場を主力とした多国籍企業である。
 米国におけるコーヒーの消費量は、第二次世界大戦後には世界の60%近くに達していました。いわゆるファーストウエーブが始まった。
米国では昔から巨大なコーヒーの流通企業がありました。日本でもスーパーなどで販売されているMJBもそうですし、日本では知名度は低いが、フォルジャー、マックスウェルなどのブランドによるコーヒー販売の大企業が存在していた。その後、時代とともに合従連合を繰り返し、フィリップモリスやP&G、ネスレなどが市場を支配していたが、その後P&Gは2008年コーヒー部門を売却した。
 参考として2013年米コーヒーチェーン最大手スターバックスは、米食品大手クラフト・フーズ(アルトリアグループ)との「スターバックス」ブランド製品の販売契約打ち切りをめぐる調停の結果、損害賠償や弁護士費用など 27億5700万ドル(約2700億円)の支払いを求められたと発表した。←日本のスタバをM&Aではなくて、TOBで得た資金が充てらる?

  現在、ネスレ社などは積極的に生産地の開拓を行なっていきます。現在ベトナムはブラジルに次ぐ世界第二のコーヒー生産国となっていますが、これはネスレ社による強力なバックアップがあったといわれています。ベトナムで生産されるコーヒーのほぼ100%がインスタントコーヒーや缶コーヒー、加工品などに利用されるロブスタ種で、ネスレ社は主力商品ネスカフェの工場もベトナムに持っています。コーヒー生産の新興国ではコーヒーの価格カルテルであったICAに所属していないため、市場価格に関係なく安い価格でコーヒーを販売した。ベトナムでは人件費も安く、またネスレなどの大資本のバックアップによって、高度な機械化なども取り入れ低価格な生産が実現していたため、市場拡大が容易であった。

 1980年頃からベトナム、インド、ウガンダ、コートジボアールなどICAに属さない生産国での生産量が増大したが、背景には多国籍企業がいます。 一方ではICA体制の生産国に品種改良などによって安く大量に商品供給をさせ、またその一方でその体制外の国での増産により、世界的なコーヒー流通価格の地盤沈下を生み出すようなことをやってきた。

  この結果、ICAは1989年に事実上機能停止状態になる。その後はブラジルなどの豊作やグァテマラ、エチオピア、ケニアなどの増産も重なり、コーヒーの国際価格は下がり始めます。さらに、ベトナムが飛躍的に生産量を伸ばした1990年代後半からコーヒー危機に陥いってしまう。
2001年にはコーヒー史上最安値を付けたといわれるほどの低価格となり、世界中のコーヒー農園が放棄され、多くの農園労働者が職を失う事態となる。

 カリフォルニアで創業したピーツ・コーヒー&ティーはセカンドウエーブの本家と呼ばれている自家焙煎店ですが、ピーツに関わり影響を受けて生まれたのがスタバです。
その後日本では1000店舗を達成したスタバは、世界にスペシャルティコーヒーを広げてたことは事実である。
シアトル系カフェと呼ばれるコーヒー業者によって、セカンドウエーブさらにポートランド、カリフォルニア、ニューヨークを中心にサードウエーブが起こった。
そして皮肉にもガラパゴス化した日本の喫茶店文化を取り入れたブルーボトルが日本に再上陸した。