人間関係や、自分というものと向き合って考えさせられることが多い今日この頃。
ニューヨークに住んで11年。
誰が何と言おうが,自分のしたいように、好きなことをしながら生活をしてきた私。
自分の信念だけは貫け,という父の教えもあり、今だからこそ、好きなことを仕事にして、素敵な人にも巡り会えて、こんなに幸せな人生を送っていますが,もちろん30数年生きてきたわけで,人生全てが何もかもうまくいってきたわけではない。
でも、生き甲斐のある人生。。。という意味では申し分ない人生を送ってきたとは確か。
じゃあ、人間関係は??
日本で幼稚園の教師をやっていたときの先輩からのハラスメントや(新人いじめ、いびり?)、アメリカにきてからの恋愛は、かなり精神的に辛いものであった。(恋愛編は次回に続く)
カルマ。。。
アメリカに来てよくこの言葉を聞く。
What goes around comes around....
自分のしたことは必ず返ってくる。。。
まず、どうして先輩にいじめられたのか。
私は昔から(小学校~)どちらかといえば、いじめられるというよりは、逆にいじめっこのタイプだった。番長とか,言われていたときもあった。(恐)
クラスメートをからかったり、変なあだ名をつけたり、みんなで ”しかと” とか、そんなことはざらだった。(反省)
そのくせ、学級委員とか、生徒会役員、学校内のテレビ放送などなど,いろいろ積極的にやっていたので、なぜか同級生からは、変な信頼感みたいのが
あり、リーダー的(もしくは支配者?!)になって、私が言ったことは、”絶対” みたいな恐ろしい錯覚をおこしていたのかもしれない。(こわ!)
ところが、こんなことが自分の身に起こるなんて。。。!!!
事が起きたのは、21歳の時。短大を卒業して初めて社会に出たときである。
まさか自分が誰かにいじめられる、いびられるなんて、思っても見なかった。
本当に自負しすぎですみませんが、仕事ができたことが逆にこの先輩のイビリ魂をもっと燃やしてしまったのだ。
子供達(幼稚園児)との毎日はとっても楽しかったけど,園児が返ってからの放課後は地獄だったのを覚えている。
こいつの前で悔しくて、人前では絶対に泣かなかった私が、思わず泣いてしまったこともある!!!!
あの女はどう考えてもS女だったと思う。。。笑)
冗談はおいといて,この先輩,多分友達もいなかったから、きっと幸せじゃなかったから、他人にあたってしまったのかもしれない。
私もいじめっ子だったのは,そういう理由からだったのかな?
でも友達は多かったはず。。。これは錯覚?
ただ怖いからみんな私に従ってただけ?。。。。。。。。。
かもしれない。。。
小学校で自分が ”幸せじゃない” とか気づいていたかは疑問である。(あの時は両親も”ラブラブ”だったし、愛されていたと思う。。笑)
幸せじゃないとかそういうことよりも,多分そこそこ勉強ができる(その当時ね笑)、運動ができる、=偉い=パワー みたいな仮定が自分の中にあったのかもしれない。
いじめられる側になってみて、今まで気づいていなかったことを学んだ。
あのことがなかったら、今でも“いじめっ子カオリ”のままだったかもしれない。きっと友達なんて一人もいなくなってしまっていたのではないか。
これはどう考えてもカルマである。
自分がしてきたことが、そのまんま返ってきたのである。
このことで人生は,山や谷があっていいのだと考えるようになる。
そうでなければ何も学べないからである。
友達=とかけて、FOOD(食べ物)ととく。
その心は。。。
食べなくても死ぬことはないが,それを続ければいずれ餓死する。
(友達がいなくても死ぬことはないが,心は荒(すさ)んでいく)
栄養のよいものを体にいれればそれは健康体となって長生きもできる。
(友達がいれば、心が豊かになっていく)
友達ってそういうものだよね?
心の栄養っていうのかな。。。
私は幸い、ものすごく友達にも恵まれている。
私には心の豊かな友達がたくさんいる。
それはきっと、私が何かに気づいたから。。。
人生山あり谷あり、
全てうまくいってきていたら、何も学ばずにいただろう。
でも、”うまくいく”ってなに?
うまくいかないことも,それは後の糧となる!
これも考えようで,うまくいってない=学びとなる=うまくいっている
と考えることもできる。。。
人生山あり谷あり,
それでいい。
自分が経験してきたからこそいえる。
カルマ。。。。
自分のしたことは必ず返ってくる、
だからこそ、自分に返ってきてほしくないことは人にしない、返ってきてほしいことは人にもしてあげる。
それは偽善でもなんでもない。。。
だって
自分が大好きだから,
自分が大切だから,
それでいいでしょ?
ニューヨークに住んで11年。
誰が何と言おうが,自分のしたいように、好きなことをしながら生活をしてきた私。
自分の信念だけは貫け,という父の教えもあり、今だからこそ、好きなことを仕事にして、素敵な人にも巡り会えて、こんなに幸せな人生を送っていますが,もちろん30数年生きてきたわけで,人生全てが何もかもうまくいってきたわけではない。
でも、生き甲斐のある人生。。。という意味では申し分ない人生を送ってきたとは確か。
じゃあ、人間関係は??
日本で幼稚園の教師をやっていたときの先輩からのハラスメントや(新人いじめ、いびり?)、アメリカにきてからの恋愛は、かなり精神的に辛いものであった。(恋愛編は次回に続く)
カルマ。。。
アメリカに来てよくこの言葉を聞く。
What goes around comes around....
自分のしたことは必ず返ってくる。。。
まず、どうして先輩にいじめられたのか。
私は昔から(小学校~)どちらかといえば、いじめられるというよりは、逆にいじめっこのタイプだった。番長とか,言われていたときもあった。(恐)
クラスメートをからかったり、変なあだ名をつけたり、みんなで ”しかと” とか、そんなことはざらだった。(反省)
そのくせ、学級委員とか、生徒会役員、学校内のテレビ放送などなど,いろいろ積極的にやっていたので、なぜか同級生からは、変な信頼感みたいのが
あり、リーダー的(もしくは支配者?!)になって、私が言ったことは、”絶対” みたいな恐ろしい錯覚をおこしていたのかもしれない。(こわ!)
ところが、こんなことが自分の身に起こるなんて。。。!!!
事が起きたのは、21歳の時。短大を卒業して初めて社会に出たときである。
まさか自分が誰かにいじめられる、いびられるなんて、思っても見なかった。
本当に自負しすぎですみませんが、仕事ができたことが逆にこの先輩のイビリ魂をもっと燃やしてしまったのだ。
子供達(幼稚園児)との毎日はとっても楽しかったけど,園児が返ってからの放課後は地獄だったのを覚えている。
こいつの前で悔しくて、人前では絶対に泣かなかった私が、思わず泣いてしまったこともある!!!!
あの女はどう考えてもS女だったと思う。。。笑)
冗談はおいといて,この先輩,多分友達もいなかったから、きっと幸せじゃなかったから、他人にあたってしまったのかもしれない。
私もいじめっ子だったのは,そういう理由からだったのかな?
でも友達は多かったはず。。。これは錯覚?
ただ怖いからみんな私に従ってただけ?。。。。。。。。。
かもしれない。。。
小学校で自分が ”幸せじゃない” とか気づいていたかは疑問である。(あの時は両親も”ラブラブ”だったし、愛されていたと思う。。笑)
幸せじゃないとかそういうことよりも,多分そこそこ勉強ができる(その当時ね笑)、運動ができる、=偉い=パワー みたいな仮定が自分の中にあったのかもしれない。
いじめられる側になってみて、今まで気づいていなかったことを学んだ。
あのことがなかったら、今でも“いじめっ子カオリ”のままだったかもしれない。きっと友達なんて一人もいなくなってしまっていたのではないか。
これはどう考えてもカルマである。
自分がしてきたことが、そのまんま返ってきたのである。
このことで人生は,山や谷があっていいのだと考えるようになる。
そうでなければ何も学べないからである。
友達=とかけて、FOOD(食べ物)ととく。
その心は。。。
食べなくても死ぬことはないが,それを続ければいずれ餓死する。
(友達がいなくても死ぬことはないが,心は荒(すさ)んでいく)
栄養のよいものを体にいれればそれは健康体となって長生きもできる。
(友達がいれば、心が豊かになっていく)
友達ってそういうものだよね?
心の栄養っていうのかな。。。
私は幸い、ものすごく友達にも恵まれている。
私には心の豊かな友達がたくさんいる。
それはきっと、私が何かに気づいたから。。。
人生山あり谷あり、
全てうまくいってきていたら、何も学ばずにいただろう。
でも、”うまくいく”ってなに?
うまくいかないことも,それは後の糧となる!
これも考えようで,うまくいってない=学びとなる=うまくいっている
と考えることもできる。。。
人生山あり谷あり,
それでいい。
自分が経験してきたからこそいえる。
カルマ。。。。
自分のしたことは必ず返ってくる、
だからこそ、自分に返ってきてほしくないことは人にしない、返ってきてほしいことは人にもしてあげる。
それは偽善でもなんでもない。。。
だって
自分が大好きだから,
自分が大切だから,
それでいいでしょ?