これはこの記事の続きです。
“L”の言葉は次のように続いている。
《残念ながら私の足を引っ張ることはできません。諦めてください。》
この印象操作はあくどいと言いたい。
私が足を引っ張ったのはチャット出演の方で、彼女がそれを止めたからストリップが踊り続けられたのではないのか。もしひきつづき“L”が“L2”の二つの顔を持ち続ければ、もっとひどい運命に見舞われたかもしれない。
私が「出禁」になった事を除けば、あなたの今の姿は望み通りでしかありません。
私が諦めたとすれば、“L”にこの出来事についての誠実な総括を求めることだ。それがなくても彼女は踊り続けられるだろう。だが、社会におけるストリップの地位を向上させるための旗頭としての力はスポイルされてしまった。彼女はその後、幅広い世間の出来事、例えば正義のヒーローが活躍する大好きなマーベル映画への言及といったこともほとんどしなくなった。
普通の芸能界であれば、隠れて怪しい出演に手を染めたタレントがどういう社会的な責任を取らされるか、というとは広く知らされた。手を切りさえすれば穏便に済まされるのはストリップの世界に埋没しているからではないだろうか。
《もうこんな内容の記事は最初で最後。
書くべきことは書いたので、今後は気にせず前へ進みます。
関係のないみなさまには、せっかく開いて頂いたブログを読んで不快な思いをさせてしまったら、大変申し訳ありません。
2、3週に一度くらいの頻度でお越しになるお客様だと劇場の従業員さんに代わりにお伝え頂くことも難しく、
劇場のお客様方の前で公言したり、不特定多数の方々の目につくようなTwitterは良くないと思い、ご本人が読まれていると言うブログを選びました。》
私が彼女に求めた願いは一切無視しておきながら、こういう所は私がブログをたたえてきたことをそのまま利用している。
2,3週に1度といういい方で、私はファンとして大したことがないと分類しているのもえげつない。この反撃を受ける前の1、2年は、もう少し多い1,2週に1度という言い方で当てはまったと思うが、大差ない。あなたの前に週に何度も来る常連ファンが常識外だと思う。
そして実際には私よりほかの人間の方がもっとブログをウォッチしていたわけだ。ブログなら長文を書き連ねることができ、反論は書き込めず、つるし上げに便利だった。それでいて私の名前は出していないから、名誉棄損で訴えられることもないのに、私が自分のことだとはっきり認識せざるを得ない。これをどういうふうに思いついたのだろう。
《手紙なんかで言われ放題して泣き寝入りする人間じゃないので安心してください。
何を求めるでもなく、ただわたしの活動を見守ってくださっているすべての方に感謝しております。【後略】》
私をつるし上げている個所に限定したが、ほとんど全文になってしまった。私を人格下劣な人間とみなして、他のお客、ファンとは別人種であると思わせ、卑怯だと思う。
しかしそういわれた彼女のファンは、本当に「何を求めるでもなく~」などと規定されてもかまわないのだろうか。求めているからファンになったのではないだろうか。何をしても見て見ぬふりをしなければファンではないのだろうか。
この『迷惑行為に関して』のブログ記事で「言われ放題」したのは私の方である。あげくキャッチボールではないと反論を受けつけない。
このブログが出される前、私が出した彼女への手紙に、繰り返しがあったかもしれない。しかし、答えがないのが答え、というふうに判断せざるを得なくなるまですぐに自分を納得させられなかったということはある。それに確かに“P”さんへの手紙は勇み足だった。しかし、言われ放題、とは違うだろう。私がどれだけ苦しんだか考えてほしい。
私だって大好きな踊り子からの攻撃だからと言って、言われ放題で泣き寝入りしているわけにはいかない。3月からだいぶたってしまったが、今、このブログ記事のシリーズを出している。それなりの事情があってのことだとは思う。それでも、心から応援していた人への態度としてはぎりぎりだと思う。