遠征に出かけるとき、主催者さんとお昼をご一緒する時があります。
先日も主催者さんと、近所のお蕎麦屋さんに行きました。
それぞれ好きなものを注文し楽しくお話をし、そろそろ戻る時間になったため個別で会計を済ませました。
その数日後、その主催者さんから、丁寧なお手紙が添えられた高級そうなお菓子が送られてきました。
単純に「すごく丁寧な方なんだな」としか思わず、「届きました! ありがとうございました!」といった、軽い感じのメールを送ったところ、なんだか重ーいメールが帰ってきました。
「この度は私が大変失礼なことをしてしまい、何とお詫びをしたらよいのか、うんぬんカンヌン・・・」
これを見て、全く意味がわからず、何のことを言っているのか? 誰のことを言っているのか? 混乱して「何がですか?」と返しました。
そうしたら「主人に散々しかられました。遠方から来てくれた先生に、お昼代を出させたこと、本当に申し訳なくて・・・」とのこと。
これを見て、そういうことかとかと思ったのと同時に、悲しくなってしまいました・・・(涙)
そのご主人は、社会の荒波でもまれて嫌な思いもいっぱいされ、その中で培った処世術として「来て頂いた方には精一杯のおもてなしをせねばならず、お昼代も出ねばならず、それを怠るとは人として許されるはずもない悪の所業」ぐらいのことを思っていたんでしょうね。
(あ、先方はこんなことは全く言ってませんからね。全て僕の勝手な妄想です。^^;)
そういう世界に生きていて、そのルールから外れたことをすると社会から認めてもらえなくなり生きていけなくなり不幸になるから、そんなことをしてはいけない、と思っていたのかもしれないですね。
僕も以前は医療界のど真ん中にいたので、その世界で生きていたと思います。
でも、今はその世界の外の、全く違う世界にいます。
だから、その考え方は僕には不要なんです。
しかも、その主催者さんと僕との間に、勝手にご主人が割り込んできて、勝手に怒りを感じて、勝手に主催者さんをしかりつけ、勝手に奥様(主催者さん)を傷付け、勝手にお菓子を遅らせて謝らせて・・・ って思ったら悲しくなったんです。
多分このご主人も、今までたくさんしかられて、たくさん傷付けられて、怒りや悲しみといった感情がまとわりついて、だから奥さんのその行動で傷がうずいて、奥様をしかりつけてしまったんでしょうね。
みんな傷ついているんです。
みんな怒っているんです。
みんな苦しんでいるんです。
本当は、大好きで結婚したパートナーを、傷付けたくないですよね。
毎日笑って過ごしたいですよね。
そうできないのは、そういう世界にいるからです。
そういう世界に、いさせられているからです。
誰かの作った勝手なルールでお互いがんじがらめにして苦しがり、ルールを守らない人を見つけては怒りを感じて怒りをぶつけ、自分も怒りをぶつけられないように自分で自分をがんじがらめにしてもっと苦しがり、全員が苦しがっているのです。
日本中で全員がお互いの首を絞めあって、「苦しいだろが!手を離せ!」「そういうならお前が先に手を離せ!」「そんなことできるか! 手を離したらもっと苦しくなるだろうが!」と、さらに手に力を入れていく・・・
何やってるんだろう・・・(涙)
でもそれは、誰かが悪いわけではないのです。
そういう世界にいる(いさせられている)からそうなってしまっているわけで、その世界から出てしまえば、自然と力が抜けて手を離し(手が離れ)、自分もみんなも楽になっていくのです。
その世界から抜け出す方法は、自分の今この瞬間に感じる「感覚」に従うこと。
自分が今「こうしたい」と思うことをして「こうしたくない」ということをやめること。
つまり「我慢をやめること」。
でもそれをするのは怖いことです。誰かから怒られるから。
社会から国からご主人から上司から(何歳だろうと関係なく)自分の親から。
(お金や他のことが絡んでさらに複雑になるのですが・・・)
「それでも我慢をやめたい」という想いがその怖さを上回り、「えいやっ!」とやれたときに、その世界から出られて、予想していたよりも何十倍も素敵な世界に行く事ができます。
今僕の周りには、「えいやっ!」とできた人がたくさんいます。
みんな自分らしく軽やかに生きています。
軽やかな人は、自分らしさという根っこがしっかりしているので、揺るぎないけれどしなやかで、楽しく楽に生きています。
そんな人たちが周りにたくさんいるので、僕も楽にいられます。
奥さんをしかってしまったそのご主人さんも、しかられた奥様も、この先自分らしく軽やかに生きていくための布石として、今はそういう経験が必要な時期なのでしょうね。
それでも大丈夫。
全ては順調、全ては予定通り。
「えいやっ!」とできる日が来るまで、もう少し待っていれば大丈夫ですよ~ ^^