生きる自信がなくなった時はありますか? | やまびこDr.の診療日記

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先ほどいつも持ち歩いているカバンの中から、先日のお話会をした時に参加者の方から頂いた質問の紙が出てきました。

 

「生きる自信がなくなった時はありますか?

 あればその時をどう乗り越えられましたか?」

 

僕は全てが何かに仕組まれていて、全てが予定通りなのだと、常々感じています。

 

この質問の書かれた小さな紙も、多分何か必要があって、このタイミングで目にすることになったんだと思います。

 

僕は色々な方の相談を受けたり、お話会をしたり、講座をしたりしているので、一見人生充実して見えるかもしれませんが、でも毎日、「あー、これからどうやって生きていこうかなあ・・・」と思い煩い迷い戸惑っています。

 

この世のしくみというか宇宙のシステムというか、なぜ命が生まれなぜ自分がここにいるのかという所に興味があり、それを知りたくて日々探求しているのかな?と思うのですが、知れば知るほど人間ごときに理解できる代物ではなくて、完璧で壮大で寛大な何かなのだと感じています。

 

人の体のしくみを知りたくて医者になったのですが、あまりに素晴らしくて理解を超えるものだと分かり、健康でいられるのも病気になれるのも、誰かや何かが良いとか悪いとかというわけではなく、そうなる必要があるからそうなるのであって、抗おうが何をしようが、なるようになるし、ならないようにしかならないと分かったのです。

 

人の体も宇宙のシステムの一部として機能しているはずなので、だからこそ宇宙のシステムを完全に知ることもできないし、宇宙のシステムに全てをお任せすれば、それで大丈夫なんだと感じているのです。

 

そう感じるようになったのは多分年齢を重ねるにつれ徐々にだとは思うのですが、でもここ数年特に確信に変わってきているように思います。

 

だから冒頭の質問に答えるとすれば、昔から何となく何かにお任せすれば大丈夫だと薄々感じていたので、生きる自信がなくなることはなかったのですが、でも生きているのが辛いと思うことは日常茶飯事であり、でもわざわざ地球に生まれて来たということは、何かをするためであって、それは多分自分を表現するためであり、すんなりそれができてしまうのはつまらないから色々な困難に出会うように用意されているから、生きるのが辛いと感じることも当然のことであり、だから、辛いと感じようが楽しいと感じようがどちらでもよくて、どちらも正解であり、そこでポジティブに捉えようがネガティブに捉えようがそれもどちらでもよくて、それが生きているということなんだろうなと、今は考えているのです。

 

でも、その理屈はある程度分かったと思うのですが、それを日常の生活の中で自分の中に落とし込んでいく作業はまた別作業となるので、それができずに「あー、どうしようかなあ・・・」と思っているのです。

 

でもそれでもいいんでしょうけどね。

だからみなさん、僕と一緒に、悩みながらいきましょう。^^