昨日1月17日は父の命日でした。

 

沖縄になかなか帰れないので、どこかで手を合わせようと、

どこか初詣ができるような、だれでも気軽に行ける最寄りのお寺さんを探して、

家から歩いて行ける上野寛永寺に行ってきました。

 

昭和30年頃のことになりますが、

父が東京で働いていた時分に上野公園はよく行ってたはずなので、

父の面影を慕いて…というところです。

 

私の家からだと、谷中墓地を抜けて寛永寺に入る感じです。

 

お墓が苦手な方いらっしゃいますけれども、昼間は全然怖くないです。

とくに、私の生まれた家は墓地の隣だったので、お墓が全然平気。

だって、皆さん「仏様」ですよ?

怖いのは「生きてる人間」です。

 

徳川慶喜公の墓所も見学しながら、よんなーよんなー。

 

久しぶりに一人で散歩したので、寛永寺についた時はとても静かな気持ちになっていました。

一人の時間って必要なんですね。

ゆっくりお参りできました。

 

上野の寛永寺って、浅草寺や川崎大師のように「参拝の方!WELCOME!」と観光客向けに開かれたお寺ではありません。

いかにも質実剛健で、落ち着いた趣のあるお寺で、静かですし、ありとあらゆる神様が祀られていて、

一人でじっくり手を合わせたい日にはもってこいのお寺でした。

 

猫もいて。

寺社仏閣で生き物に出会うのは「神様に歓迎されてるサイン」なんだそうですね。

 

「慰める」=「慰霊」。

慰霊しながら本当は慰められてるのは私なんですよね、ほんとに。

 

だから「今日も頑張って生きてますよお父さん」と手を合わせて報告してきましたよ。

 

 

 

 

 

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