キネマの神様(2021年 松竹)

 

 

キネマの神様

 

松竹映画100周年記念作品。
 
山田洋次監督作品で、菅田将輝さんとW主演の予定だった志村けんさんが「新型コロナウイルス」で急逝されて、親友のジュリーこと沢田研二さんが主演を務めた作品。
話題になりましたね、志村けんさんの死と、追悼するかのように登場した親友「ジュリー」の決断。
 
新型コロナウィルスの世界的流行で、すべてがストップして、撮影もストップ。
山田洋二監督も後期高齢者のはずですが、最後までやりとげられました。
 

 

 

大船撮影所があった時代の映画人のお話です。
大船撮影所は2000年まであったそうです。
実は相方もお仕事でお世話になっていた場所なんだそうで、特別な思いで鑑賞していたようです。
 
大船撮影所で作られた作品といえば、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズ、それから小津安二郎監督作品などが有名なんだそうで、松竹100年記念映画は山田洋次監督がメガホンをとって、大船撮影所の映画人の話となったようです。
 
 
山田洋次監督といえば1986年に「キネマの天地」という作品も撮られています。
あれは松竹蒲田撮影所の話で、こちらは大船です。
 
蒲田撮影所が手狭になって大船に引っ越して、松竹の大船撮影所ができて、2000年に閉鎖。
その後、松竹は制作の仕事は止めて配給に特化した映画会社になって、撮影所を自前で持つのをやめたんだそうです。
大船撮影所は、現在鎌倉女子大になってるようです。
 
相方がいうところでは、「大船の駅を降りて、商店街をまっすぐ進むとどんつきに、大きな門があってそれが大船撮影所だった。大きなスタジオで中は学校のように広かった。商店街はまるで撮影所の門前町のようになっていた」ということです。
 

 

 

 
ストーリー的にはウディ・アレン監督の1986年作品『カイロの紫のバラ』を真っ先に思い出す作品でした。
テイストは『キネマの天地』、『ニューシネマパラダイス』といったところでしょうか。
 
 
志村けんさん初主演作品となる予定が、まさかまさかの新型コロナウイルスで志村さんが急逝されて、ドリフの番組のゲストの常連だった沢田研二さんが代役として志村けんさんが演じるはずだったダメ親父、「才能に恵まれ努力の末に映画監督になったものの、不運なことにデビューできずに映画の世界を去った78歳の男」を演じておられます。生きる目標がなく、ギャンブル依存症で借金まみれ、家族に苦労ばかりかけているおじいちゃんという情けない役です。
 
志村けんさんが演じたら、ものがなしく、軽蔑したくなるような雰囲気が出て映えただろうなあ。
 
沢田研二さん好演されていらっしゃいましたが、ともかく「声」が素敵!王者のような存在感があるんですよね、ジュリーって。
 
(ああ、声がかっこいい!これはロックスターの声!)と聞きほれる声でした。
おじいちゃまになってお顔にたるみがでても、ローレンスオリビエのようなお顔立ち。イケメンおじいさん!なんですね。
悲壮感が足りないなあと思ったりしたのですが、志村けんさんを想定して準備が進められていた役どころだそうですから、ジュリーと志村けんさんじゃ、個性が違う。

 

「8時だよ全員集合」の時は志村けんのコントの相方として、おばかな役回りをたくさんされていて、お笑いをとりにいく攻めの志村さんと並んで、絶妙のタイミングでボケたおすジュリー。

 

 
お笑いの世界で大成した人にミュージシャンが多いのは、絶妙な間合いがミュージシャンなら感覚的にわかるから!とかいう人もいましたけれども、志村けんとジュリーのコンビ、本当に面白かったですよね。志村けんがツッコミでジュリーがボケで。
 
あれは志村けんが「陰」、沢田研二が「陽」で、バランスが取れてたんだなあと、華のあるジュリーをみながら感じました。
 
ジュリーにはシェークスピア俳優のように存在感があって、「ばくちにおぼれて、借金まみれで、なさけない負け組の残念な人」という悲壮感があまりありませんでした。だって、ジュリーだもの。ついでにジュリー、おいしいものたくさん食べてふっくらした体系になられていて、とっても幸せそう。ばくちですっからかんの顔をしてません。
 
でも、いいんです。
「志村けん」の代役は、彼との絆を考えると、ジュリーしかいない。
 
「志村けんのリアルな死」を踏まえて、志村けんと親友の超大物で主役をはれる芸能人、「死」というネガティブな話題をはねのけて、新たにポジティブな話題を提供できる力のある芸能人となったら、ジュリーしかいない。それは、長いこと、志村けんとジュリーをお茶の間で見てきた私も実感として理解できます。
 
カトチャだと近すぎるし、松竹100年記念作品の主役ですからね。ジュリーなら最高!ジュリーならok!
ジュリーしかいない!

 

 

奥様を演じられた宮本信子さんも、素敵なおばあちゃまを演じておられました。
現実生活では映画監督の妻として、主演女優として、伊丹十三監督の謎の自殺を乗り越えて、映画に人生をささげられた方です。
「キネマの神様」の氏子さんみたいなもんです。どんな時もどんな時もダメ夫を見捨てることなく、ごうちゃん(ジュリー)のそばにいる奥さんを演じておられます。伊丹十三さんのこと思い出しながら宮本さんの演技をみてしまいました。
 
ジュリーの若いころを演じるのが菅田将輝さんでした。
この方は旬の役者さんですね。みずみずしい青年で、まっすぐのびる竹のようです。凛々しい小顔で、現代劇だけでなく、時代劇もよく似合います。
 
小津安二郎監督にリリーフランキーさん。原節子さん的な役どころに北川景子さん。
北川さんは原節子さんとは違うタイプの美しさで、素敵!
リリーフランキーさんは演技上手いですね。この方エッセイストが本職だと思ったのですが、いつのまにか俳優さんとして大活躍です。カンヌも米国アカデミー賞もレッドカーペットを踏んでおられます。
 
娘役に寺島しのぶさんが登場! 
お父さんにキレて怒りをぶつけている姿が、NPD気質の知り合いの女性にそっくりで、ちょっとびっくりしてしまいました。この方も性格きついのかなあと思ってみたり。でも、父と心が通いあって、涙ぐむ場面では、私の友人の始終穏やかで三線を奏でてアルファー波を出してる温厚な女性の方に彼女が見えてきて、相反する女性の2つの顔を、がっつり見せてくださいました。
 
あとは小林念持さん。映画館館主で、主人公の古い友人という役どころですが、この方はじまりは悪役だったんだそうで、悪役を長くやってた方は、善人を演じさせたら上手だということを証明させるかのような演技を見せていました。
 
ストーリー的には、どうしても「カイロの紫のバラ」を思い出してしまいます。
原田マハさんの原作の中には「カイロの紫のバラのように…」とちゃんと書いてあるんじゃないかとか、いろいろ詮索したくなってしまいました。

 

 

相方と映画を見たあと、すこしおしゃべりをしたのですが、「菅田将輝のカチンコのたたき方がちょっと違う」んだそうです。
フイルム映画時代のカチンコは素早く、チョークの粉が飛ばないように、動きは最小限度にというルールがあるんだそうで、「まだできてない」とのことでした。なた「もうすぐ監督になるクラスの助監督はカチンコは叩かない。カチンコは助監督でも若い下の人の仕事」なんだそうで、映画人から見ると、ちょっと違うんだそう。あと「カチンコ入れをベルトに下げてない」とのことでした。山田監督作品だと、ディティールにこだわって作られていることが多いのに、「おおざっぱだった」という印象を持ったようです。
 
助監督やスタッフが若返って、カチンコのたたき方を知らないんじゃないか、フイルム映画時代の「現場」にいた人がスタッフに少なかったのかなあと感じたそうです。山田洋二監督はご高齢だし、ベテランのスタッフがわきを固めて、そういうチェックを行ってきたなのですが、世代交代があったのかなとということは察することができました。
 
とはいえ、相方は、「ゴウは周りの人間をとりまとめることができてない。こいつは監督にはまだ早い」「ゴウはなあ、まだ自分の考えに取りつかれている。現場をまわすには、監督はあえて、おおざっぱに指示を出すんだ。全部細部まで決めちゃいけない、現場が止まる」とまるで後輩のことを語るように、完全に自分の仕事仲間として語っていて、「ちょっと待って、映画の中の話だよ?」というと、「ああそうだった!」と、はっと我に返る相方。
 
私の相方もまた、この映画の登場人物の人たちの世界に生きる「キネマの神様」の氏子なので、ゴウちゃんについて語る彼は完全に映画の世界の中に入ってしまっていて、(この人、あっちの世界とこっちの世界の、境目がなくなってる!)ということにひどく驚いたのですが、そこは、山田洋二監督の、若きゴウちゃんと老いたゴウちゃんの人物の描き方がうまかったからじゃないかなと思います。
 
「入ってしまう人」だから映画業界にいるんだと思うし、相方は業界の方が分かるようにいうと「演出部」の人です。私も長年付き合っていますが、もう呆れるくらい凝り性です。まだ調べるの?というくらい「徹底的」に調べ倒して、演出家として当時の世界を再現するのに命をかけます。
ですが、監督になってからは、いろいろ準備して詳細に準備はするけれども、「スタッフに任せる」ことや、「ざっくりとした状態にしておくこと」ことも大切なんだだそうです。そうしないと、現場がよい雰囲気にならないんだそうです。
 
と「ゴウはなあ…、あと何年か助監督を続けて、人の動かし方を覚えればうまくいった」と感情移入してる、監督が面白かったです。