1947年に創立されたという「東京那覇会」に参加してきました。

(2023年5月21日 神保町の日本教育会館「喜山倶楽部」)

 

なんと今年で第84回目だそうです(あれ?回数合わないですね、年に何回もやってる年があったのかな?)。

2019年に開催して、しばらくコロナでお休み。4年ぶりの開催なんだそう。

 

 

【東京那覇会の謎ルール】

那覇出身者の会なのですが、今の那覇市というのは旧那覇市のほかに、旧真和志市、旧首里市が合併してできているので、

参加条件が「旧那覇市、旧真和志市の出身で云々」というルールがあります。その他に特例として「伊是名島出身者」も那覇会のメンバーとする謎ルールがあるんですね。

 

これ、なぜかというと、「琉球王国の国王である第二尚氏の尚円王が伊是名島の出身だから…」なんだそうです。

 

那覇生まれ那覇育ちの私からしたら、「えっ?なんで? 別に関係ないんじゃ?」と思うのですが、

伊是名島出身というのは沖縄ではよく「特別扱い」されてるらしいのです。

国立首里城公園などに保管されている尚家のお宝、普通はめったことでは貸出ししてくれないのですが、

伊是名村(島)から依頼があると、「国宝でも優先的にお貸しする」というルールがあるんだそう。

 

沖縄には第二尚氏の前に、第一尚氏時代もあって、第一尚氏の始まりの人 尚巴志は佐敷(現在の南城市に吸収された)の出身なのですが、もしかして南城市も別格扱いとかあるのかしら?

 

徳川家康が愛知の岡崎出身だけど、岡崎が日本で特別扱いされてるとか聞いたことありません。

愛知の徳川美術館も名古屋にあるし、岡崎はなにかあったかなあ…。

 

八丁味噌!!

 

 

【沖縄出身者の会の中でも、アカデミックでソフィケートされた会】

話がずれたので元に戻します。

 

東京那覇会は一言でいうと、ナーファンチュ(那覇の人)の会です。

私も那覇3世なので、ナーファンチュと自称してもいいかな?と思っています。

 

そして「東京那覇会」は他の郷友会に比べて、アカデミックな雰囲気が漂っています。

 

沖縄の県都なので、教育機関も医療施設も娯楽施設も、なにもかも充実しています。

子弟の教育を考えたら、沖縄県内では那覇市に住むのが賢明。

旧制中学が那覇市内には2つあって(現在の首里高と那覇高)、戦前から進学率が高い。
知事・国会議員になるのは那覇高か首里高出身者という時代もあったくらいです。

 

本土に進学就職するのも「那覇出身者 が多い」。

上京してきている人たちのほとんどが進学で上京、そのまま東京に残って暮らしている人たちが会にやってくるので、
会場を見渡すと、大学教授や教育者、医者、弁護士、経営者…。目立つのは大学教授かな。
まあ私のように、名もなき人もいますが!
 

プログラムが他の団体とちょっと違います。

沖縄の郷友会というと大大大演芸大会になるのが通例ですが、東京那覇会は芸能は1つ2つ。

アカデミックな講演と、石川正通奨学金の選定と授与式、それから琉球古典舞踊のご披露が定番なんです。

 

県立那覇高校、首里高校出身の両方の同窓会の役員が一同に会して「那覇会」を運営しているので、この2校は慶応と早稲田のような関係で優秀さを競う学校なので、両校が何か企画するとなると、ソフィケートされたプログラムを!というのも自然な流れなのかもしれません。
 
 
【川平朝清さんの「私の沖縄民謡遍歴」をきく】
今回は、ジョンカビラさん・川平慈英さんのお父様で、沖縄戦後初のアナウンサーで復帰前の沖縄のNHKに相当するOHK初代会長でいらした昭和女子大名誉教授の川平朝清さんが登壇して「私の沖縄民謡遍歴」という、とてもチャーミングな内容の講演なさいました。
 
95歳にして、歌手デビュー?!
関東学院大学の木村及教授が三線演奏で、先生が歌いながら民謡を紹介されました。
 
先生は戦前の台湾の台中生まれ。4人兄弟の末っ子で、おじい様が野村流の始祖・「野村安(ちょう)の7人の弟子」の一人。で
、台湾生まれの先生ですが、幼いころから琉球古典音楽を聴きながら育ったんだそうです。
かぎやで風の「ちゆーぬふくらしゃやー」、それで「うーーーーーーーーー」という長い長い節回しを、聞きながら幼少期をすごして、お父様の歌三線を介して琉球の文化を吸収して、「これは(琉球民族)誇れる文化」だと、幼いころから、誇りを持って、すばらしいんだという誇り高い気持ちを持っていらしたんだそうです。
 
台湾ではうちなーぐちを使う人がまわりにあまりいないので、童謡や民謡の歌で、ウチナーグチを覚えて、歌の意味からオキナワのカルチャーを吸収して、沖縄のことを理解していったんだそうです。
 
たとえば、リパブリック賛歌のメロディで歌われる「とうぐわーやしちのたんめーさい」。これがとても印象に残っていらっしゃるんだそうで、幼少期に最初に覚えたうちなーぐちだそうです(笑)