こんばんは
とっても、おひさしぶりです。
8月は父、さるジィの一周忌で…。
コロナが5類になったこともあり、遠方より親戚が連日、お線香を上げに来てくれました。
そのたびに、母おっトリーは大きな愛猫トラに躓いて転んだ話をおもしろおかしくしていたのですが…。
9月に入り、なにも変わらない日常がもどり、いつもとちがうのは、いつまでも暑いということだけで、おっトリーとトラとクロのにゃんこ兄弟はなかよく暮らし、週イチでわたしが、そこに参加する、時々、姉夫婦が参加する、そんなふうに秋も冬も過ごしていくと思っていました。
だけども…。
大きなにゃんこトラが、とつぜん、旅立ってしまった。
ぜんぜん涼しくならない9月の夜に…。
様子がおかしいと気づいて、病院に連れてった時にはもうおそかった。
ふつうの体重計では計測できない時点で、先生にはとても怒られた。
姉夫婦と連れていったけど、トラが肥満で姉は先生に怒られると察して、診察室に入らず、なぜか、ほぼ関係のない義兄がわたしといっしょに怒られてしまった。
「この子の問題は今始まった訳ではありません」
はじめはそんな感じで診察していた先生も、血液検査やレントゲンの結果で、口調を和らげて「今晩が山です」と静かに話された。
翌日は休診日だったのに、「朝に連れてきてください。薬が効くかもしれない。 もし持たなかったら電話をください」とー。
真夜中、一瞬元気になったんだけどね…。
そのⅠ時間後だった。
朝に動物病院の留守電にメッセージを入れたけど、かんぜんにしゃくりあげて言葉にならない言葉で伝えた。
折り返し、先生からあって「トラ君はあの状態でギリギリまでよく頑張ったと思います」とお悔やみの言葉をいただいた。
電話を切って、声をあげて泣いた。
具合わるいのに気づかない、バカな家族を許してくれと、泣いていたら、さるジィの遺影と目が合って…。
なんだか、いろいろこみ上げ、さらに大きな声で泣いた。
「おとーさんの時、ぜんぜん泣かなかったのに、トラが死んでこんなに泣いて、おとーさんごめんなさい」
と急にさるジィに申し訳なく思った。
義兄が「いや、だいじょうぶ、エリザちゃん、お義父さんの時もそこそこ泣いてたと思います」と声をかけてくれた。
その言葉に安心して、わたしはまた、トラを思って大泣き…。
リリザねーさんは、トラに向日葵の花束を供えてくれた。
おっトリーは、クロにお別れだからと、トラと対面させたけど、眠るトラはトラじゃないと言わんばかりに、クロはふぅっと言って逃げ出してしまった。
わたしが落ち着いて、トラを火葬に出す準備が出来た時、「リン リン」と2回、オルゴールのような音が鳴った。 そばにはさるジィの形見のオルゴールと仏壇には鈴(りん)がある。 音の響きは鈴(りん)で音色はオルゴールだねと家族で話した。 トラの別れのあいさつだとみんなそう感じていた。
トラを引き取りに来たのは20代くらいの可愛らしい女性。
「わんちゃんは小型、中型、大型で火葬のお代が変わりますが、ネコちゃんは一律です」
説明を受けてサインしながら
「どんなに大きくてもですか?」といちおう聞いてみる。
ネコちゃんならと言い、眠るトラを見て
「大きなネコちゃんですね。でもだいじょうぶです。 増しはありません」
ホッとするせこい家族なのに、さらにやさしいお声をかけてくれた。
「ものすごく、可愛がられてたんですね。ネコちゃんを見ればわかるんです。 大切にお預かりしますね」
安心してトラをゆだねることができた。
トラちゃん
10年前、抗がん剤の副作用で動けないわたしに、ずっと寄り添ってくれたよね。
なのに、調子がよくなかったことに気づいてあげられなくてごめんね。
毎日、暑くてしんどい夏だったね。
「ごはん」としゃべったり、声を出してあくびしたり、ドアノブ回して開けようとしたり…。
君は、ほんとに人間のようだった。
カラダの大きさだけではない、君の存在の大きさを、今ものすごく感じているんだよ。
いつものヤクルトさんにも、ヘルパーさん達にも大人気だった。
みんなを繋げてくれてありがとね。
ご報告としてかんたんに書こうと思ったのにすみません。
ブログを始めた頃はトラもクロも3歳で、「ぶたにゃん1号2号」で紹介させてもらって…。
気づけば10年経ってたなんて…。
さるジィがいて、母おっトリーがいて、にゃんこ達がいての実家「くまのや動物園」だったけど…。
キジトラのトラちゃん 13歳5ヶ月
また、逢おうね
そして
くまのや動物園、、、存続危機…。