Life is …

Life is …

"thinking"と定義付けした前blogより、もう少し謙虚に、広く、深く

 内弁慶で付き合い下手なzanが、自分のLife・みんなのLifeをこのBlogで表現できたらいいなと思っています。
そんな希望的願望を込めて名づけたLife is …。どうぞ、おつきあいください。

※最近の主なLife:普段の何気ないこと・勉強のこと・考えてること
Amebaでブログを始めよう!
皆様!!!

打ち上げ花火打ち上げ花火打ち上げ花火打ち上げ花火打ち上げ花火打ち上げ花火

ご無沙汰しております。

本当に久しぶりですが、ようやくログインできましたので日記書きます!


というのも、不正アクセスがどうこう言われたメールが届いてたのをちゃんと見ずに放っておいたことが事の発端。
パスワードは変更され、ログインするもののできず、パスワード再発行の申請をするもメールが届かない状態でした(笑)
そこまで無性に日記が書きたいというわけではなく、いただいたコメントを承認したいな程度だった為メールが来なくても特に気にせずずるずると放置してたらこうなりました。
すみません。。。

でもね、~~さんの日記が更新されましたとか、コメント投稿がありました、みたいなメールは来るのに、パスワード再発行のメールだけ届かなかったのが本当意味わからん。。。
メールのフィルタリングも何もしてなかったんだけどなあ…
まあ奇跡的に再発行メールが届いてくれたので無事にパスワードも変更しログインもできた次第であります!

もう疲れてきたんですけど(笑)、近況報告を簡単にしておきます。

現在地域のソーシャルワーカーとして働かせていただいてます。
自分の経験が活かせたらという思いも実際あったとは思います。
でも、それは十人十色。
体調の悪い状態や薬の名前がちょこっとわかるくらいではどうにもならんこともあります。
まだまだ勉強不足。
着実に前進できるようにぼちぼちがんばっていきたいと思っています。

また時々日記書きますので、見てくださると嬉しいです。
ありがとうございました!
 2ヶ月ほど前の出来事ではありますが…
日記を書いていなかったので改めて書こうと思います。

19年半うちで暮らしていた猫のロンが2月28日に息を引き取りました。
年末から血尿を出しており病院にも行ったのですが、尿管が炎症を起こしたり詰まりかけているのだろうということでした。
ご飯を変えれば良いと伺ったため変えてはみたものの…元々のご飯よりも健康が考えられたずっと高価なご飯なのに…食べない。
無理矢理あげても…食べない。
結局注射を打って炎症を抑えながら元々のご飯をあげることにしたのでした。
しかし2月になりおしっこが出にくくなり常時ちょこっとずつのおしっこをするようになりました。
これには我々も困り、病院に行けばご飯を変えるべきだと言われ、結局心を鬼にして元のご飯は食べさせないようにしました。
が、食べない…。
おなかがすけば食べるかと思ってはいたけど、全然食べません。
ご飯を砕き、注射器で与えるように変更。
無理矢理口に流しこみながらの食事を開始しました。
嫌がりますがこれならなんとか…と思っていましたがどんどん弱り…結局そのまま亡くなってしまいました。
いよいよ今夜が峠かも知れないと思った2月27日の夜、リビングに布団を持ち込み一緒に寝ることにしました。
とはいえ一睡もできなかったわけですが(苦笑)起きればおしめを交換したり、話しかけたり、抱っこして毛布を巻いて外の景色を見せたりしました。

我が家に来たのは10歳の頃。
妹が猫が捨ててあり可哀想だと訴えみんなで見に行ったのがきっかけでした。
3日前から段ボールの中にいたという話でした。
だいたい猫がいる時は祖母の家に連れていき祖母が面倒を見ることが多かったのですが、その時祖母の家には凶暴な猫チャッピー(おす、玉なし、喧嘩に負けて片目だった)がいたためそれは無理だろうということになりなんとかうちに迎えることができました。

$Life is …-ロン幼少時代


来た頃はやんちゃでいたずら好き。
柱はぼろぼろに(笑)
しかし知らない人が来ると一目散に逃げ出す人見知りな猫でした。
(死ぬまでなおらず)
だいたい5回くらい家に遊びに来た人となら同じ部屋にいれるかなという雰囲気。
祖母や叔母は大丈夫、義理の弟くんが来ても最後は逃げはしませんでした。
時々「うん」と鳴く猫でしたが、偶然「あんたかわいかね~」と言った直後に「うんにゃぁ」みたいな鳴き方をして大爆笑したことがあったり、神棚の榊を3回くらいいたずらで倒していたため母がブチギレおびえていたり、家に帰るのが遅くなった時にめちゃくちゃ怒っていたり(あの時はごめん)、点火中のストーブに乗ってしまい、熱さのあまり叫びながら走り回ったこと…などなどいろんな思い出があります。
高校を卒業し京都に行く時は8歳でしたが、大学を卒業した時、卒業してそのまま京都で働くことになった時、その度にロンを看取ることはできないだろうなと思っていました。
しかし不思議なものでいつ帰ってもいるし(笑)変わらずご飯とブラッシングをおねだりしてくる姿に安心したものでした。
そして体調を壊し、体調が回復して将来やりたいことが見つかり、去年九州に帰ってきてからは毎日会えることに喜びを感じつつ、ずっと一緒だとジャンプ力の衰えや泣き声の変化など老いた姿も実感することになりちょっと驚いたものでした。
$Life is …-ロン18歳5月

母が入院し、祖母が体調を壊し亡くなった時もいろいろと大変でしたがロンの存在にずいぶん救われたものだなあと振り返る一方で、ロン自身も体調を壊しはじめました。
寿命だと言えばそれまでですが、20年近く生きている猫が我が家にいることは最早当たり前になっていました。
こたつに入る時は蹴らないように気をつけるし、外出する時は戻ってきた時に文句を言われるだろうなと考えています。
だんだん自分の中に焦りが出てきて、病院に行ったりもしましたが悪化しはじめると弱るのがあっという間で、ロンに対して何かメリットのあることはできているのか自分の中で問いながら関わっていました。
$Life is …-ロン19歳9月

そしてやってきたのが2月27日。
やけに月が綺麗な夜でしたが思い出話をしました。
猫好きになったのはロンのおかげだし、黒歴史な中学校時代にも変わらずに接してくれて救われたり、体調を壊した時はロンのような気ままな生き方を参考にしたこともあったものです(笑)
自由に生きているものの、家族に何かあった時は心配して寄ってきて鳴いてみたり可愛げもあったりするのです。
やっぱりロンも家族だったんだなと思います。
朝になりました。
6時半頃ご飯を食べるかなと思い注射器で口に入れるとゴクゴク飲んでくれました。
しかし開いている目は完全に瞳孔が開いていました。
母も起きていたので交代し寝ることにしましたが30分後の7時に眠るように逝ってしまいました。
猫は死期が近づくとふらっといなくなる…そう思っていた節がありましたが、そんなことはなく自宅で看取ることができてよかったのかも知れません。
実家に帰ってきて祖母もそうですが、猫に対しても空白の10年を埋めるかのように関わることができたので、自分にとっては良い1年だったと思っています。
最後まで一緒にいることしかできませんでしたが、2ヶ月経った今はそれでよかったのだろうと思います。
$Life is …-ロンストーブ

ロン、何十回もしっぽ踏んでごめん、こたつで蹴ってごめん、寝てるのに抱っこしてごめん。
$Life is …-ロンフラッシュにびびる

ロン、家族になってくれてありがとう。
$Life is …-ロンと自分

待ちに待った猫カフェが今月久留米市にオープンしました。

場所は西鉄花畑駅からすぐ(西鉄久留米駅からもしれてます)。

車だと近くに2~3箇所あるコインパーキングを利用することになるかと思います。




Life is …-Map


(地図…あんまわかりやすくないけど書いたのでアップします!)

駐車場代節約のためバイクで行こうとも思ったんですが、まだまだ雨も多いしそれは断念。

大人しく車で行きました。

 

店内はカフェスペースと猫スペース(?)に別れており、入り口があるのはカフェスペースの方。

(猫ちゃんが逃げるし当然か)

入店後まず手洗いと消毒をします。

1オーダー制になっていますので注文をします。

(猫ちゃんと遊んでから注文でもいいみたい)

こちらのオーナー様、ベトナム文化にお詳しいということでメニューはフォーや生春巻、ベトナムコーヒーなどがあります。

フルーツジュースなんかもありますよ♪

またメニューの最後には猫スタッフ様が紹介されております。

ふむふむ、店長さん、営業部長さん、長老的存在…すごいなんかすごい(笑)

全部で9匹いますが、うち3匹の猫ちゃんは里親募集中とのことでした。

(かわいいので皆様ぜひ!)

さて、メニューの話に戻します。

どれもそう高くないのでいくつか注文してもいいかも知れないと思いつつ、夕飯を食べた後だったのでベトナムコーヒー(アイス)をオーダー。

コーヒーを抽出するところからやっていただき、最後に目の前で氷に注いでいただきました。

練乳が入っているということで香り高く甘い自分好みなコーヒーでございました。

(甘さは調節できるようです)




Life is …-ベトナムコーヒー



フィルターは金属でできており粗目なので細かくなった豆がちょっとだけ入ってたりしてこれまたいい感じです。

フィルターを見ようとしたら派手に一部の金属を落としてしまい作成されたばかりのメニューを汚してしまうという大失態もやらかしてしまいました(悲)

 

さて、気を取り直していよいよ猫スペースへの突入です!

こちらは10分100円での入室になります。

おもちゃをお借りしていざ!

いきなり小猫ちゃんにおもちゃをかまれ、数分間離してくれないという事態になりましたが、それ以降はずっとかけまわり遊んでおりました(笑)

そして抱っこ好きの猫ちゃんと戯れて本当に抱っこされっぱなしでも嫌がらない姿に感激し、これで20分程。一旦休憩です。

実は他にも4名の方が先にいらっしゃったんですが、カフェスペースにて猫話に花を咲かせて10分程、再び突入です。

もちろん時間を計っておられるので入室する時はオーナー様に一言言います。

今度は落ち着いた雰囲気に徹し、からんでなかった猫ちゃんとの接触を試みます。

すると、警戒してた猫ちゃんが近づいてきて、なんと膝の上で座ってくれました。

一時期はほとんどの猫ちゃんたちが自分の近くに来てくれて本当に猫天国!

幸せでした(笑)



Life is …-仲良い

仲むつまじい様子

 

とまあこんな具合で退室。

帰る時ドアの方を見つめる猫ちゃん達に切なくなりながら帰宅。

とはいかず、レポート作成をしてましたが(笑)

楽しかったです。

 

時間制だとめりはりがあっていいかなと思いました。

京都で行ったところはチャージ制だったんです(スナックみたいでしょ?)

しかもドリンクメニューも高くてちょっと大変でした。

こっちはメニュー自体は安いし時間制だから自分を抑えられれば大丈夫(笑)

ぜひぜひ皆さんも行ってみてくださいね~!

 

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Nha Con Meo

〒830-0038

久留米市西町1098-3-2F(西)

ラーメン南京千両2階

 

営業時間

平日:16:00~21:00

土日祝:11:00~20:00

※休日:木曜日

 

 

 

ところで、猫ちゃんの資料なんかもあって見てたけど、うちのもうすぐ19歳の猫、人間で言うと90歳を超えてるんだね。

ビックリです。

まだまだ元気ですよ。

10日間程関西、関東を回っておりました。 帰ってきた直後から体調が悪く、最初は雨のせいかなと思っていたら徐々に頭痛と咽の痛みが悪化。 病院へ行きようやく元気になってきたので学校の勉強を再開させています。 そして勉強からの現実逃避のため日記も書くことにしました(笑)

今回は格安交通機関での移動を心がけ交通費を抑えての旅行でしたが、内容は濃かったと思います。
もともとのきっかけは東京のとあるNPO法人に顔を出すことでした。
しかし直接東京に行くよりPeach空港で福岡空港から関西国際空港へ飛び、夜行バスで移動した方が結果的には安いということが判明。 結果、関西経由が決定したわけです。

滞在期間は関西6日、関東4日と多少関西の方が多くなりました(笑)
まず3300円で関空へ飛びます。
台風の影響で便が遅れ、関空着が22:50、なんば駅着が23:50くらいで、そこから大阪の友人の家に行く最終電車に乗れるかどうか生きた心地がしませんでした(笑)
阪神電車に乗る予定でしたが、南海電車から阪神電車に乗るまで10分程度移動しなくてはならないことがその場で判明し、重いキャリーバッグを引きずりまだかまだかと早歩きしました。
友達にも遅くまで起きててもらったので迷惑をかけてしまいましたよ。

翌日大阪城の外まで行き、中に入るのを止めてから勤務していた会社の大阪支店に顔を出してみました。
それから京都へ行き、行きつけの美容院で髪を切ってもらい、友達と再会。
その後、今回お世話になったちえさん・U-taさん宅へ京都を出る日まで泊めてもらいました。
感謝感謝でござります!
京都にいる時は友達と会ったり会社の人と会ったり会うことに専念しましたね。
もっといたかった。。。。・゚・(ノД`)・゚・。

そして次は夜行バスで東京へ。
少し高めのバスにしたので快適に眠れましたが、なんと東京は雨!
そしてホテルへのチェックインは当然できません。
眠くて仕方なかったので漫画喫茶(某犯人が捕まえられたとこと同じ系列)で寝ようとしたら結局クーラー効き過ぎで眠れず(笑)
そこからは友達に会ったり飲んだりを繰り返しながら過ごします。

大いに楽しんだところで本来の目的のところへ顔を出しました。
僕のやりたいこととは少し違うのですが、引きこもりの人に外に出てもらうためのプロジェクトを行っている方々に会いに行きました。
ただ、お会いしてみてわかったのが本当に多岐に渡って様々な野望をお持ちの素敵な方ばかりでした。(修飾しすぎ)
こんなペーペーの話を真剣に聞いてくださりとっても感謝しています。
普段自分は精神疾患のある人への相談援助をするための勉強をしていますが、本来は誰に対しても(関わる人全員に対してというのは難しいけど)ホスピタリティに溢れた対応をするべきだとは思うんですよね。
何故か思いをぶつけたこちらが癒されるという不思議な状態になりました(笑)
関東と九州では遠いけど、何かしらつながっていけたらとっても嬉しいので自分は自分で今できることをきちんとこなしていきたいと思います。

そうそう、帰りのバスが非常につらかった(笑)
夜行で東京から博多まで15時間。 隣にワキガな男性がおり、反対にはスパイシーな香りのするインドの人。
そして後ろにはゴホンゴホンとほぼ咳き込んでおられる方まで。
眠るのが大変でした(笑)
しかもケータイも使用禁止なんですよね。
何もできない、、、。
時間が過ぎるのをただただ待ち、時々パーキングエリアで癒されながらなんとか博多に到着。
やっとの思いで地元の駅に到着しました。
こんこんと眠り続け、翌朝からは風邪モード。
まあしんどすぎる状態からは抜け出せたのでよかったです。

さてさて、1年の半分が過ぎ、これからいよいよ本格的な夏。
バテないように気をつけながら過ごしましょうね♪
こんばんは。
暖かいし日も長くなっているのに朝晩はそこそこ冷える毎日。
九州なのになあとビックリしとります。
そんなわけでこたつもカーペットも大活躍しておりますよ。

さてさて、明日64歳の誕生日を迎える我が父。
警察官をしていたため勤務時間が特殊だったのと、もともと寝るのが早かったので同じ家にいるのに朝しか顔を合わさないことが非常に多かったのです。
ところがこっちに戻ってきてからは毎日います。
朝・昼・晩、こんなに同じ時間を過ごしたのは生まれて初めてだということに気づきました。
一家で駐在所に住んでいたこともあるのでその時もずっと一緒だったと言えなくもないですが、、部屋の一部とは言え事務所は職場だしそんなに入ったらダメだったもんなあ…

ところで、うちの父は非常に変わっていると思います。
羅列してみますね。

・ここには書きませんが、名前が変わっています
 (生まれた時から変わっている)
・外食が嫌い
・ファミレスは特に嫌い
 以前家族で行こうとしたら「俺は待ってる!」と言い外で待っていたこともあり(笑)
・水曜日の夜はカレーじゃないとダメ
・木曜日の朝もカレーj(ry
・毎日どんなことがあっても14時と18時に散歩に行く
・母が大変でも14時と18j(ry
・ケータイのメールは「証拠が残るから嫌」と使わない
 (受信したメールを読むことはできる)
・毎日10種類以上の食べ物がテーブルにないと気が済まない
 (これはどこのご家庭もそうなんでしょうか…?)
・素直に調味料を使わない
 豆腐に漬物をかけてみたり、刺し身に佃煮をかけてみたり…
・祖父母がやっていた農業は大嫌いだが、何故か筍掘りだけには異様な執着心を見せる
・バイクが好きで16歳から今に至るまでずっと所有。どんな雨の日でもバイクを使う。
 (ところが洗車などは全くしない)
・会話に主語がないし、若い時から「あれ」「これ」などが多い
・なのに記憶力がめちゃくちゃいい

母が不在でキッチンが改装中、そんな状況なのにわが家の食卓は総菜やら何やらでいつもいっぱいなのです。
僕が準備すると多くても5~6種類なので冷蔵庫から何やらいろいろ出してきます(笑)おまけに食べた気がしないとまで言い出します(笑)

不器用なのに自分のことは遠慮せず突き通す父のことです、おそらく職場では非常に苦労したハズ。
でも定年まではきっちり働いてくれたのでわが家は助かりました。
感謝しています。

今はこちらもぶつぶつ文句を言ってますが、父を勉強するいい機会だとは思っています。
はやいことちゃんと理解して、お互いストレスにならないように過ごす方法を見つけなければ(笑)
今の目標は掃除機をかけてもらうことです(笑)
あれだけヘッドで攻めても退散しないんだもん、すごいわ(笑)
皆様こんばんは。
お陰様で無事にこの日を迎えることができました。
29歳の幕開けでございます。
例年通り暖かいメッセージを賜り感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、今年は母が入院中という異例の状況での誕生日となりましたが、病院に行ったらそこそこ入院生活を満喫しているようなのでむしろ安心感を得て帰ってきました。
シュフと呼ばれる方はやはり家から離れてしまった方が断然ゆっくりできると思います。
水周りの汚れが心配だと言っていたのでその辺は一人暮らし歴10年のわたくしめがなんとかしたいと思っております。
負けんぜ和子さん!(←むしろライバル視 ※母は和子と言います)

さてさて、今年はひとまず勉強の年です。
自分がやりたいこと、やらねばならないこと、そしてできること、これらをちゃんと把握して行動を進めていきたいと思います。
精神保健福祉士には勉強すればなれると思うけど、そこにしっかり深みを持たせたい。
まずはコミュニティを作ったりやりたいようなことをやっている組織に話を聞きに行ったりする予定です。
母のこともあるけど、少し落ちついてからまずはやりたいようにやってみます。

では、今年もよろしくお願いします!
花粉症も酷く風邪気味、おまけに首を寝違えて背中まで痛い・・
そんな状況で昨日なんとか引っ越しを終えることができました。
ほんとつらかった(笑)
生きた心地がしませんでした(;´∀`)
でも業者の人が一生懸命やってくださって綺麗さっぱりした部屋になりまして、今朝退去手続きをしてきました。
余分に水道代を請求されたり、最後まで腑に落ちない大家さんでした(笑)
でもカビが一切生えていない風呂場を見て感激されていたのでそれを見てちょっと得意げになった僕です。
つまり、単純です。
そんな単純なわたし、今日と明日は観光をしつつ実家に帰ることにしまして、本日は姫路、明日は広島で過ごすことになりました。
姫路城がとってもスケールの大きいお城で感激しました。
ま、工事中だったから覆われてましたけど(笑)
(確か昔ディズニーランドのシンデレラ城もこんなことになってたなあ)
あとはここ数日の睡眠不足をホテルのベッドで解消(笑)
夜は友達と飲んで参りました♪
明日は妹のおっきくなったおなかを見てきます。

さてさて、日記の本題行きます。
何故ありがとう系の日記を2回に分けたかというと、先日のが大学卒業後のありがとうで、今回のは京都にありがとうという使い分けがしたかったからです。
必然的にこちらの日記の方が盛りだくさんになるハズなんですが…
いざ書こうと思ってもなかなかまとまらないもんですねえ(笑)
ただ、京都という街に比較的すぐに馴染むことができた自分は、思う存分楽しませてもらえたのかなと思ってます。
よく深夜にチャリで走り回ったしお寺で滑って石畳にダイブしたこともあったし、ビデオカメラ持って市内中を撮影したり、ケーキ屋さんのオープン日に駆けつけたり、遊びに来てくれた友達と期間限定の拝観に行ったり…ほんと数えきれないくらい京都の地面を踏んだと思う。
髪の毛も何本もどこかに抜けてるはずだし、汗だって落ちてるはず…(笑)
そして京都のいいところは思い出に残しやすい環境だというところでしょうか。
通り名が地名として扱われる京都では、四条烏丸で~~したとか、烏丸綾小路で誰々に会ったとか、50~100m毎に地名が指定できます。
Whereを中心に考える自分としては整理しやすくて、そこを通る度に思い出に浸ることができるようになりました(笑)
とってもありがたい場所です。
こんな場所に10年も住むことができて本当に幸せでした。
皆様のご好意により長期滞在できる場所も複数確保できそうなので、数ヶ月に1度はこっちに来てまた新しい思い出を作りたいと思っています。
ありがとう京都。
ありがとう京都で出会った皆様。
また来ます!
これからもどうぞよろしくお願いします!!!
昨日3月19日、無事に6年間(4年9ヶ月)勤めた会社を退職しました。
2006年4月3日、入社式は自分の23歳の誕生日でもありました。
焼酎の作り方から電話の取り方まで教わりながら、23歳から65歳4月までの42年間どんな風に過ごしていくんだろうなとのほほんと構えていましたが、そんな時期がとても懐かしいです。
涙ながらに別れの言葉を伝えてくれる人が何人もいて、実は長期スパンでやろうとしていたこともあったなかで、本当にここで終わってよかったのかという気持ちはなきにしもあらずですが、ここしかないと思ったのも事実。
だから清々しい気持ちです。
次は精神保健福祉士としてどういう職場で自分のしたいことをするのか、これからめいっぱい勉強して探していかなければなりません。
いくつもの面倒な手続きを乗り越えて、車を買って、万全の状態でスタートしたいと思っています。

入社の時、事故に遭った時、盲腸で入院した時、仕事が楽しい時、仕事がつらい時、休職中につらい時、夢を持ち始めた時、そして会社を辞める時、社内社外問わずいつもそばに助けてくれる人がいました。
辞める日に会社を掃除してくれる方にも挨拶をしていたら「川原さんは人が寄ってくるお方だから、惜しまれる人も多いでしょう。」と言われ、何故名 前をご存知なのか、何故突然占い師っぽい雰囲気になったのかということはさておいて、人が寄ってくる人間だと見られてるんだなあとちょっと驚き。
人は好きでもあり嫌いでもあるけれど、関わるからには有意義な関わり方をしたいとは思っています。
その姿勢が結果的に掃除の方のような考えになったのであれば嬉しいですね。

2月末から送別会を20回以上やっていただき、これはもう福岡じゃなくてブラジルくらいまで行かなきゃいけないレベルの回数だなと内心思っていましたが(それは冗談だけど)、いかに自分を大事に思ってくれる方がいたか改めて気付かされました。
辞めるからには別れを意識しましたが、非常に前向きな別れができたと思います。
続いていく別れとでも言いましょうか。
これから再会を楽しみに次の暮らしを頑張っていきたいです。

今まで本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。
メモのために日記書く~


辞めることを何ヵ月前もから言って拒否され、やっと受理されたかと思いきや休みは取らせないと…
「最後ぐらいしっかり仕事してよ」と言われまして、それもカチンと来ました(笑)

みんなそうならいいけど、他の退職者はできても自分はダメ…。
他の人はいいのに自分はペナルティ、こんな話もここ1年聞いていたのでそれもあって疲れました。
困りました。
コンプライアンスを重要視する本社が呆れたもんだわ。

一応客観的なことも含め明日機関に相談してみます。

最後ぐらい気持ちよく辞めたかったなあ(T_T)