そしてやっと名前が呼ばれて診察室に入って。
もう2日間、餌を食べてない状態ってことを先生に伝えた。
先生はヨタの体重を計ってからカルテを見て、前回来院したのが8月で、それからだいぶ体重がおちてるっていうようなことを言った。
何かこの時のことはあまり思い出せない。
壁に貼ってあった「猫の老化に伴う腎不全に注意」みたいなポスターにあったグラフを示されて、こういう状態だと思うみたいな会話をしたのは覚えてる。
でも説明を聞いてる途中で、また涙がボロボロ止まらなくなって、泣きながら先生に、
もう2日間食べてないから心配でたまらないんです
って言ったけど、何て返されたか覚えてない。
血液検査をするんでヨタの痩せて細くなった後ろ脚に注射針が刺さった。
ヨタはビックリするくらいの力で暴れて、嫌がってもがいてた。
きっとすごく痛かったんだと思う。
診察台の上で押さえつけられてじたばたもがくヨタと目が合った時に、何かヨタに責められてる気がした。
私は余計なことしたのかなって思った。
ごめんって思って胸が痛くなった。
あぁ、この辺りからしんどいな。
何か本当に思い出せない。
あと先生がヨタの顔を見て
脱水が酷くて(だったかな?)目が落ち窪んでますよね、みたいなニュアンスの事も言ったな。
それはだいぶ前から気付いてた。
ヨタの目がやけに奥まったなって。
ただ、高齢だったしきっと歳のせいなんだろうなって思ってた。
考えてみたら、父親の最期の辺りも、やけに目が落ち窪んでたんだ。
それから、血液検査の結果が出るまでまた待合室に戻されたんだっけな…。
そうだ、それで今度は待合室には柴犬を2匹連れたおばさんがいて、また色々話しかけられたんだ。
ヨタのキャリーを覗きこんで、
あら、目がグリーンなのねー
って言ったのは…アメショのおばさんと柴のおばさんと、どっちのおばさんだったんだろう。
ヨタの目は元々キレイなグリーンで、瞳孔は深い紺色をしていて(でも反射すると透明なグリーンになった)、私はしょっちゅうヨタの目を見てはキレイだなーって思ってたくらいで、自慢のヨタの瞳だったんだ。
本当はそう言いたかったけど、とにかくその時は放っておいてほしくて、適当に「結構歳なんで、そのせいだと思います」とか言ってごまかしたつもりが、会話は続いてしまって。
あら、何歳なの?
18です
あらーーーーすごーーーい!
という展開。
本当に悲しいし怖いしずっとヨタのことだけ考えていたいのに、全然集中できなくてすごく苦痛だった。
なんでみんな放っておいてくれないんだろう。
何度も私の足元の右側にいるキャリーを覗いて、ヨタが大丈夫か確認した。
しばらくして血液検査の結果が出て診察室に入って、数値の説明をされて、そして輸液をした。
この時もヨタは暴れた。
私は二度も痛い思いをさせてしまったんだな。
輸液が終わったらヨタの背中がブヨブヨしてた。
先生から、通常より多めに150cc入れました、と言われた。
明後日、また来て下さい
しばらく輸液を続けていきましょう、とも言われた。
あとどの時だったか覚えてないけど、またヨタのブラッシングが始まってしまったんだっけ。
輸液の後の筈がないから、多分血液検査をした後だったんだと思う。
ヨタは毛繕いしなくなってて、体中にフェルト上の毛玉ができて見栄えも悪くなった。
私なりにブラッシングしたり、酷いものはハサミでカットしたりはしてた。
でも、ヨタが嫌がるのを押さえつけてブラッシングってのに抵抗あって。
なかなかできなかった。
ヨタの背中に大きな毛玉があって、それを助手の(?)女の子がブラッシングして取ってくれた。
だけど、もうあんまり痛い思いはさせたくないんだよなって思ってた。
結構力づくで取る感じだったし、前にそこでブラッシングされた時は最終的に、ヨタの体の毛玉がなくなってフワフワな毛並みになれたけど、ブラッシング中にヨタは痛みに悲鳴をあげて、押さえていた私の指に本気で噛み付いたくらいだったんだ。
だから私は、本当にもう嫌がることはしたくないのにって思ってた。
だけど、ブラッシングしないで下さいと言えなくて、その時も私は変に迎合するような、
そういうブラシって普通に売ってるんですかー?
似たようなの買ってみたんですけどなかなか取れなくてー
みたいなバカみたいな話をしてたと思う。
何で私は心のままの言葉を言えなかったんだろう。
何であんなにヘラヘラしてたんだろう。
思い出してみるけど何かもうよく分からない。
そして、最後に私は先生に質問したんだ。
もう2日間食べてないけど、輸液を続けていけばまた元気になって餌を食べるようになりますか?
って。
先生は、
その可能性もあると思います
みたいな言い方をした。
大丈夫、また元気になりますよ、的な言い方ではなかった。
今はそのニュアンスの違いに気付くけど、その時の私は違和感も感じず、ただただ
そうか、ヨタはまだ大丈夫なんだ!
そっかーまた食べるようになるかもしれないのかーー
良かったなーーー
って思いっきりホッとしてた。
何というか、希望が持てた感じだった。
先生の本音というか、本当の見立てがどうだったのかは分からない。
実際は、ヨタがもう長くないなって分かっていたかもしれないし、本当に輸液を続ければ持ち直すだろうって思っていたかもしれないし。
ただ、取り乱して泣いている飼い主に向かって
かなり危ない状態です
という事を伝えるものなのか、私には分からない。
今思い出してみて、どう言って欲しかったかを考えてみるんだけど、やっぱり自分でも分からない。
危ないなら危ないで知りたかった
希望を持ったことで油断した部分もあったワケだし、もし危ないと知っていたら、私はヨタとの残された時間を大事に過ごせたのに…
って思う反面、
希望を持って、いつも通りの夜を過ごせて良かった
死ぬかもしれない、死ぬかもしれないという恐怖で、泣いて夜を過ごすことにならなくて良かった
不安な気持ちはあれど、きっと大丈夫って希望を持てて良かったんだよ
とも思う。
とにかくその時は、先生からの言葉で私は希望を持てたんだ。
診察を終えてまた待合室に戻った時は、張り詰めていた気持ちもほぐれてて、ヨタに
大丈夫だよ、うちに帰れるからね
って笑顔で話しかけられた。
多分ヨタは、以前かかったヤブ医者での経験から、置いて行かれる恐怖が強くなってしまったと思うから。
だからあれ以来私は、必ずヨタに「一緒に帰れるよ」って言ってあげるようにしてた。
会計を済ませて外に出たら、助手の人が慌てて後を追ってきて、これ使って下さい、来年のカレンダーです、って封筒を渡された。
あの時に渡されたカレンダーは未だに封筒から出せないでいる。
外はもう真っ暗で、そんな中でまたキャリーをプチプチで包んで、そして赤い上着でくるんだ。
今度は気持ちに余裕があったのか、慌てずにしっかりくるむことができた。
「ヨタ、帰ろうねー」って話しかけながらまた自転車にキャリーを積んで走り出した。
この時に私は、
考えてみたら、昔はモトラの後ろにキャリーを積んでしょっちゅう走ってたよなー
なんて思い出してた。
一人暮らしをしていた品川から実家まで(この間調べてみたら片道50キロあった!)、ヨタと何度モトラで往復したんだろうなー
こうして暗い中、ヨタ積んで走るとか何か懐かしいなw
って思って。
ヨタに、何か昔みたいだね、とか話しかけて。
そしてふと、こんな事考えるなんて変だって思った。
何だかまるで最期のシチュエーションっていうか。
ダメだダメだ!!って気持ちを切り替えた。
言われた通り、また明後日、輸液してもらわなきゃな。
って思って。
それは、一日おきに輸液をして経過をみていくんだと思っていたけど。
考えてみたら、その病院はちょっと前に毎週木曜日も休診に変わったらしくて。
ちょうどこの翌日が木曜日だったから、単に休みだからその次に来るように言われただけだったのかなとか。
本当なら、毎日輸液すべき状態だったんじゃないか、とか。
そうしたらヨタはもっと生きられたんじゃないか、とか。
今になって色々気付いて考え込んでしまう。
これから一日おきに通院ってなったらヨタ大丈夫かなー
移動で体に負担かかるよな…
お金もかかるんだなーと、あれこれ考えながら自転車をこいだ。
この日は1万飛んだ。
お金どうしようかなって思った時、真っ先にコレクションしている人形が頭に浮かんだ。
迷う気持ちは全くなくて、よし、人形を全部売ってお金にしよう!!って思った。
いちいちオークションに出品もしてられないし、第一離婚になるからヤフオクのIDだって新規になっちゃったし。
業者に頼んでまとめて引き取ってもらおうって思った。
何か、本当に情けなかった。
可愛い可愛いって集めた人形は、結局ヨタの前では何の価値もなくて。
何の意味もなくて。
ヨタの存在と比べられるものなんて何にもなかった。
夫からの、突然の離婚調停の申立があったせいでノイローゼのようになって、気力もなく眠剤飲んで転がっていた私だったけど。
ヨタの為にあれこれする事を考えてみたらヨタの為ならきっちり動ける自信があった。
ヨタの為ならなんだってできる気がした。
この時はそう思えたんだ。
そして、出来るならもっといっぱい、あれこれヨタの為にしてやりたかった。
もっと大変な思いをしたかった。
今までヨタに散々苦労と迷惑をかけた分、最期くらい私にいっぱい苦労かけて欲しかった。
まさか、この翌日に逝ってしまうなんて。
思いもしなかった。