もうすっかり暗くなった中を自転車こいで、やっとうちに着いて。



自転車をとめてヨタの入ったキャリーを下ろした。


門を閉めなきゃならなかったから、キャリーを玄関のドアの脇の外の椅子に置いて門を閉めに戻った。





この時のことも結構思い出すとキツイ。




門を閉めてヨタの元に戻るまで1分もかからなかったとは思う。


でも、あんなに暗くて寒い中、私はヨタを椅子の上に置き去りにした。


門なんて後で閉めれば良かったのに。




ポケットから鍵出してドア開けて、ヨタだけ先に中に入れてあげれば良かったのに。


何でそんな簡単なことが出来なかったんだろう。


何であんなことしたんだろう。




しかも、門を閉めた時に、



あ、今きっとヨタ「置いてかれちゃったー」って心細く思ってるなーw


なんて考えてた。



何で私はあんなにのんきだったんだろう。


今思い出すと本当に、自分のとった行動や思ったことなんかが許せなく感じる。



















部屋に入ってヨタをすぐにキャリーから出してあげた。


これできっとヨタはまた元気になるって希望が持てて、私は一気に安心して元気が出た気がする。





母親は結局、私が病院に行っている間に買物に行ったらしく、お寿司を買って来てくれてた。


だからヨタにもあげる事が出来た。


ヨタってお寿司のネタのまぐろが大好きだったから。



ヨタはまぐろとサーモンを食べた。



でもいつもと違って、私の手からパクッと口に入れても、一度口から出して床にポトッと落としてから食べてた。


いつもならパクッとしたらそのままパクパクゴクンってしてたのに。



しかも床には細かい食べかすがいくつも散らばってて。



ヨタにしては珍しいなって思った。


ヨタはいつもキレイに食べる猫だったから。



そして、いつもなら私がお寿司を食べ終えるまでしつこく張り付いてねだるのに、この時は早々に自分の寝床に引き上げてしまってた。



やっぱりまだしんどいのかなって思ったけど、とにかく少しでもヨタが食べてくれたのが嬉しくてたまらなかった。


きっと輸液したことで調子が良くなったんだなって、病院に連れて行って良かったなって思えた。



でももしかしたら、ヨタはムリをしてたのかもなって今は思う。






その後、洗い物をしていたらヨタが足元に来て上りたそうにしてたから、抱っこして流しの隣のスペースに座らせた。


ヨタは水を飲みたがるワケでもなく、ただそこでうずくまって私が洗い物をする手元をじーっと見てた。



母親と、ヨタ変なのーって笑った。







それから、昼間のメールを見て心配して妹達が来てくれた。


妹の旦那さんのBちゃんも姪っ子も、みんなでヨタに会いに来てくれた。


ヨタを気にかけてもらえてすごく嬉しかった。



この時のヨタは結構動き回ってて元気な感じだった。




妹達もヨタのそんな姿を見て安心してたし、もちろん私も安心してた。


姪っ子はヨタにいつもやるように、人差し指をヨタの顔の前に出して、ヨタもいつものようにそれをクンクンと匂いを嗅いで。


姪っ子は嬉しそうにしてた。



ヨタは本当に姪っ子に優しかった。


何をされても一度も怒らなかった。



まだ姪っ子が赤ちゃんだった頃は、姪っ子が泣くとヨタはいつもオロオロしてた。



お昼寝すればいつもさりげなく側で一緒に寝てた。



姪っ子が、抱っこするー!と間違えてヨタの首を絞めた時だってヨタは全く怒らなかった。




ヨタはきっと姪っ子を可愛がってたんだと思う。







そして妹達が帰る時、ヨタは玄関まで着いて歩いて来て、一緒に妹達を見送った。


いつもはそんな事はしない。




それを見て妹がヨタに、


ヤダ!いつもと違う事しないでよ!

ヨタ!頑張れー!


って呼びかけた。



ヨタ、ちゃんと分かってたよね。













私は本当に油断してた。


輸液して、ヨタの食欲がちょっとだけ戻ったことで安心しちゃってた。




だから、いつものような夜を過ごしたんだ。



ヨタと過ごせる最期の夜だったのに。





いつものように私は二階にいてヨタは居間にいた。



そしていつもの時間にお風呂に入ろうと下に降りて。



ヨタの姿が見えなくてこたつの中を覗いたら、ヨタはそこにいた。



…コマもそこにいたような気がするけど、ハッキリとは覚えてない。





冬場はいつも、テーブルにかけてある毛布の一部をめくって、猫が出入りしやすいようにしてあるんだけど、そこではなく逆の位置から無理やり入ったような痕跡があって、毛布の変な部分がめくれてた。


そのすぐそばにヨタがいたから、コマがいて入りにくくてここから入ったのかなって思った。


ヨタはコマに時々からまれることがあって、コマにちょっと怯える時があったから。




ヨタは私の姿を見て、待ってました!!って感じですっくと立ち上がってこたつから出た。



そして、いつものようにお風呂場に向かった。




いつもの光景だった。




私はヨタと一緒にお風呂に入って、お風呂のマットを敷く時にはヨタを右手で抱き上げて、ヨタはそこで「ウニャーッ」っといつものように鳴いて。




マットを敷いてからそこにヨタを下ろして。




そしてシャワーのお湯をヨタに飲ませた。



でも輸液したから、あまり飲ませたら良くないかなって思って、いつもより早めに終わらせた。



ヨタもあまり飲みたがらなかった気がする。








ここから記憶の順番がちょっと曖昧になってる。




覚えてる場面だけ。



シャワーのお湯を飲むヨタの姿を見ていたら、何かやっぱりヨタの目がいつもとは違うなって思って。



何て言えばいいのか、ポーーーッとしてるような。



一番近いのは麻酔から覚めかけた時みたいな。


まだしっかり覚醒してなくて、ポーーーッとしてるあの表情。



あんな表情をしていて。



それを見たら、ヨタとの別れが少しずつ近付いてるんだって事を痛感した。


信じたくないし受け入れたくもないけど、ヨタを看取る日は多分もうすぐそこまで来てる。



覚悟しなきゃならないんだって。







途端に涙がブワッと出て、本当に呼吸が出来なくなるくらい泣いた。


悲しくて悲しくて、浴槽に浸かりながら下を向いて泣いたからお湯すれすれまで顔が近付いてた。



洗い場でお座りしてたヨタには(私が下を向いたことで)、私の姿が見えなかったみたいで。









何だろう。



またヨタに心配させちゃったのかな。





私がひとしきり泣いて顔を上げたら、ヨタはさっき座ってた場所から近付いてて。


私の目の前に居たんだ。




そして、相変わらずポーーーッとした顔のままで、左の前脚を上げて、私に向かってオイオイってしたんだ。


オイオイというか、よしよしというか。


ねーねーというか。




ヨタは何が言いたかったのかな。






ヨタがその仕草をする時は、何かを訴えたい時で。



大体それは餌が欲しい時だった。



私の真ん前に来て、太ももに前脚を置いてみたり、私の顔に向かってオイオイってしたり。




でも、あの時のヨタは餌は欲しがってはいなかった筈で。


お皿には餌が出してあったし。


そしてやっぱりヨタは食べてなかったし。







ヨタはあの時、何でオイオイってしたんだろう。


オイオイってした後、ヨタは今度は右の前脚を上げて顔を洗うような仕草をして、2~3回ちょいちょいってやって「…にゃ」って呟いた。


もしかしたら、かなり朦朧としてたのかも知れない。


オイオイってしたことにも何の意味もなかったのかも知れない。



だけどあの時、私に向かってしたあのオイオイは何か違った気がした。



まるでヨタに「泣くな泣くな」って言われた気がしたんだ。









あの人が死んでから、お風呂場は泣き場所になった。


声を殺して毎晩のように泣いた。




品川で一人暮らしを始めてヨタと出会って、お風呂にまでついて来るヨタのおかげでお風呂で毎晩泣くことは減ったけど。


でもやっぱりお風呂場は私にとってずっと泣き場所だった。




思い出しては泣き、苦しくては泣き。






夫から逃げて実家に帰ってからは特に、ヨタにシャワーのお湯を飲ませる時、ヨタの顔を見ながら泣くことが増えた。



この世で、ヨタだけが唯一「私だけ」を好きでいてくれる存在なんだよなって思っては、ありがたくて、ヨタに感謝して。


そうして老いたヨタにどれだけ迷惑かけたかを考えると申し訳なくて。




そしてそんなヨタをいつか失うんだってことが怖くてたまらなくて。



私にはもうヨタしかいないのに、ヨタがいなくなったらどうすればいいんだろうとか、そんなことを考えてはよく泣いてた。



ヨタはシャワーのお湯をペロペロ舐めながら、泣く私の顔をいつもじっと見つめてた。


私が泣くとヨタの表情が変わるんだ。



ちょっとびっくりしてるみたいな、そんな表情になって、それで私の顔を、流れる涙をじっと見てた。





ヨタは、お風呂で私が泣く光景を数えきれないくらい見て来た。


そしてきっとヨタには、お風呂で私が泣く意味が分かってたと思う。



だからああして、朦朧としながらもあの時私に向かってオイオイってしてくれた気がする。












それから体を洗うんで、濡れないようにとヨタをお風呂場から出そうとしたんだけど。




ヨタはお風呂場の扉のところで脚をぐっと踏ん張って出る事を拒否した。



そんなの珍しい事だった。



いつも自分から出たがったし、そうじゃなくても私が出そうとすれば素直に出ていくのが常だった。



なのにこの時は違ってた。




私はこの頃ずっと風邪気味で、もう二日か三日くらいちゃんとお風呂に入ってなかった。


浴槽で温まることはしてたけど、髪や体を洗ったりってことをしてなくて。


だからこの日はどうしても洗いたかったんだ。





仕方ないから昔みたいに浴槽のふたを半分閉めてそこにヨタを乗せた。


ヨタは相変わらずポーーーッとしてて、ずっとふたの上にうずくまってた。



私は体を洗うのも髪を洗うのも、あれほどもどかしく面倒に感じたことがなかった。


洗いながら何度もヨタを見て確認して、殆どやっつけのようにして洗い終えた。




私がお風呂から出るまでふたの上でずっと待っててくれるなんて、本当に昔みたいだって思った。




そしてヨタと一緒にお風呂を出た。








これがヨタと18年間ずっと一緒だったお風呂の、最期の日になってしまった。