今日は息子の通う小学校の学校公開日でした。
母は娘をプール教室に連れて行く前に2限目の英語の授業
を見てきました。
息子の通う小学校では1年生から「国際科」」という
ネイティブの英語の先生が週2回授業(担任も同席)っています。
クラスには様々な国の外国籍のお子さんもいることもあり、
子どもの頃から肌の色や言語、宗教による
アイデンティティの違いがあることを
認識し、認め合います。
また、校長先生のお話では小学校2年生までは
とにかく基礎的学習を重要と考え、
算数も公式を単純に覚えるのではなく、「なぜこの公式が
導きだされるのかを子どもたちに考え
させる」ことを重要としているそうです。
小学校3年生以上になると
習熟度別授業も行うらしいです。
つまり、できる子どもは更にその能力を伸ばし、できない子どもには
できるようにその子どもに合わせた速度に合わせた学習をする。
母の時代と教育方針もかなり変わってきていることを感じました。
母は「分数の割り算の仕組み」と
「速さ×時間=道のり」の公式構造が
どのようなしくみなのか、お恥ずかしい話、未だにわかっていません。
公式として暗記したものはその計算においては答えを導き出せますが
それ以上の応用式は生み出せません。
ある意味、小学生の時に母の理数系の将来は閉ざされたともいえます。
微分・積分などその後にももちろん習いましたが、チンプンカンプンです。
こんな私が大学院生であることはすごく滑稽に思いますが、不得意が多くても
人間生きていける証明ってことですよね。
話はそれてしまいまいましたが・・・
私がずっと疑問に思い続けていた自分が経験した学校教育のあり方が
確実に変わっていることを息子の小学校入学で認識することができました。
「詰め込み教育」「暗記教育」が否定されて
「ゆとり教育」の時代へ。
そして、今新たな「教育」への模索がされている時代
を感じます。
私も自分が受けた教育を否定するのではなく、経験を踏み台にした議論を
提示し、そして今の子どもたちのために有意義な教育を母として、模索して
いきたいと校長先生のお話を聞いていて思いました。