じいちゃん、ありがとう。 | CFRの思い出

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1月19日

じいちゃんが天国に旅立ちました。

82歳でした。


今日は大好きなじいちゃんの思い出を個人的に書き留めようと思い、ブログにします。




まず、あたしという存在がここに在るのはじいちゃんのおかげと言っても過言ではないかもしれません。


お父さんとお母さんは付き合ってから5年ほど交際してたみたいです。

お母さんはそろそろ結婚したいなと思ってたみたいなのですが、お父さんがなかなか行動に移してくれず、

「本当にこの人でいいのかな・・・」と悩んでいたとか。


そんな時にじいちゃんが母の実家に来てこう言ったとか。


「どうか、うちに嫁に来てください。」


それでようやく2人は結婚の覚悟がついたらしい。


というか!

お父さんがプロポーズしたのか、じいちゃんがプロポーズしたのか分からない件w


お父さん頑張れよww


まぁでも無事2人が結婚できて良かった\(^o^)/




じいちゃんとは生まれた時から高校出るまで一緒に住んでました。


両親が共働きだったので、小さい頃はじいちゃんとばあちゃんと一緒にいる時間のほうが長かったかもしれません。

寝る時もじいちゃんとばあちゃんとよく一緒に寝てました。



小さい頃はバイクに乗って近所を走り回ったり、

田んぼの中でトラクターを一緒に運転したり、

裏山にキノコや山菜を一緒に採りに行ったりしました。


口笛や花札もじいちゃんに教えてもらいました。


習字がすごく得意で、宿題で習字の課題が出たときはじいちゃんに「助けて~」って教えてもらいに行ってました。

でも最後まで上達しなかったです><じいちゃんごめんよ!



高校の頃は、毎日バス停まで迎えにきてくれました。


じいちゃんは日本酒が大好きで毎日飲んでたのですが、迎えの時間まで飲むのガマンして待っててくれたみたいです。


待たせて申し訳ないな~って思ってたのですが、


葬儀の時、近所の人とかに

「じいちゃんはね、孫の迎え行くの毎日楽しみにしてたんだよ~。それが2人になれる大切な時間なんだって」

って言われた時は泣きました。



東京に出て、最初に送ったプレゼントがお茶碗とお箸と湯呑でした。(貧乏で申し訳ない)


それが一膳箸に使われてた時も泣きました。

ばあちゃんが「これが主人の一番お気に入りだったんですよ」と葬儀屋の人に差し出してた。




働き者だったじいちゃんは倒れるまで、毎日働いてました。


農業に植木に郵便に、毎日動き回ってた記憶があります。


ご飯もいっぱい食べるし、病気なんかしてるの見たことなかったし、歯も最後まで全部自分の歯でした。


そして何よりいつも笑顔!

どんな時でも笑っているような根っからの明るい人でした。


そして本当に本当に優しい人でした。

怒られた記憶がほぼないです。



じいちゃんが脳梗塞で倒れてからは、2年8ヶ月病院で闘病生活を送りました。


左半身の自由が利かなくなって、毎日走り回ってたじいちゃんにはとても辛かったと思います。


それでもリハビリは頑張ってたみたいです。

お父さんが病室に泊まって、夜中目を覚ました時は自主的にリハビリしてたとか。


実家もじいちゃんがいつ帰ってきても良いようにバリアフリーにしたのですが、最後まで生きて帰ることはできませんでした。


お見舞いに行くたびに「ゆい~~来てくれたのかぁ~」って泣きながら出迎えてくれたあの姿は一生忘れません。


最後にお見舞いに行ったのは今年の1月1日。


「風邪引くなよ~」って声かけてくれたのが最後の会話でした。


最期はスヤスヤと眠るようにだったそうです。





じいちゃん。


闘病生活大変だったよね?

お疲れ様でした。


これからは楽に動けるかな?



ゆいね、

じいちゃんの孫として生まれてきて本当に幸せだったよ。


こんなに優しくしてくれて

たくさん愛情をくれて

いっぱい可愛がってもらえて


感謝してもしきれません。



じいちゃんの作ったお米は世界一美味しかったよ!

もうあんな美味しいご飯が食べれないのかと思うと寂しいです。



これからは空の向こうから見守ってくれるのかな?

大好きなじいちゃん。



本当にありがとう。



ゆっくり休んでね。






写真は葬式帰りに自宅から撮ったものです☆