占いの話もまだ記録したいことがあるのですが、今回は置いといて。

 

夏らしく(お盆は過ぎましたが)

怖い話でもしてみたいと思います。

信じない方にはくっそ興味もないと思いますが。。笑

 

私は比較的そういう話は信じています。

見たことはあまりなくて、、気配とか、気のせいだったのかも。程度で済むくらいです。

なにより、極度のビビリなので「見えません、見えてもなにもできません!来ないでください!」という精神でやってきてますww

……ただ、不思議なことは時々起こったりするので、そういう世界もあるのかもと思っています。

 

今回は写真。についてです。

心霊写真。昔は夏になるとそういう番組でよく出てましたね。

私が小さいころに一度撮れたことがあったようで、今も母がアルバムに保管しているものがあります。

(お寺にやらないでいいんかい、とは思いましたが。。)

 

その前に、私自身がうっかり撮ってしまい、非常に怖い思いをしたお話をひとつ。

 

えー、賛否両論あるとは思います。

が、私は以前に勧められたことがありました。

「お墓を写真におさめること」

決してふざけているわけではないのです。

えー、と思う方もいると思うので積極的におすすめはしません。

 

私の祖父が眠るお墓は飛行機で遠く離れた地にあります。

なかなかお墓参りに行けない人は、お墓を写真におさめて時々それを見て先祖を想うと供養になると聞きました。

そこで、祖父が亡くなったあと、親族で参った際にそのお墓を写真におさめました。

そのお墓に入るのは祖父が初めて。

と思ったけれど、墓石には祖母と祖父が大昔に亡くした水子の供養の記載もありました。

七歳離れた父と叔母の間にいた、臨月近くまで育った男の子だったと聞いています。

 

祖父を送り出し、飛行機で帰路についているとき。

ちなみに、遠方という事で夫や子供たちは置いてきていて、私だけが飛行機で帰っていました。

 

一人ですることもない、あまり乗るのが好きではない飛行機。

写真でも見よう。と、祖父の葬儀前後の写真を確認していました。

 

すると、墓石を撮った写真の1枚に明らかに違和感がありました。

 

その写真は2連続で撮れていて、その一枚。

写りこんでいる人物は2枚で全く動いていないのに、片方にだけ黒い人影が、そこにはいないはずの人影が見える。

黒く、表情も見えない影。おそらく女性?

 

うわ……と思い、その画像をその場で削除してしまいました汗

 

恐らく、その辺を彷徨っているものが映り込んでしまったのだと思われます。

 

 

うっかり撮ってしまうと焦ります。

 

調べると、白い影と黒い影、黒いと怖い感じがしますが、そこにある霊体が偶然写っただけなのでどちらも影響はないそうです。

写っている人にかかってるとか、顔が変わってるとか、身体が欠けてるとかの方が問題あるそうです。

 

あとは光。

私が幼少のころに撮れたというのも、赤い光でした。

赤は、怒りと警告。非常に危険な分類です。

 

こわいこわい。

でも、実はもうとっくに影響を受けています。

その写真を撮った直後に、私は全身麻酔に輸血の大手術をする大怪我をしています。

 

当時の医療では私の手(指一本の神経)は諦めないといけないくらいの。

けれども両親の、神経は取らずにどうか置いておいて欲しい。という願いと、まだ3歳というという幼さが持つ未知の再生能力(あるのか?)と成長を祈って。今の私の手はあります。

指も、神経を取ってしまっていたらもう動くことはありませんが、残してもらったおかげで今、日常生活で困らない程度の動きをしています。

リハビリは毎日やったのを今でも覚えているし(たまに通った病院の器具での内容も、日々家でやった内容も)、最初は本当に動かすことが出来なくて片手だけで生活していたことも覚えています。今でも服の脱ぎ着は片手で出来ると思います笑

リハビリのために始めたピアノ、上達するにつれてどうして思い通りに動かないのか右手は出来るのに左手には出来ないことを何度も悩み、自分の手を打ち付けるくらい苦しみましたが、、合唱コンクールで中学3年間伴奏者を務めるくらいまで出来ました。音大は・・狙えなかったけれど。笑

 

怪我した部位は赤い光がある部分のすぐそばでした。

正確に言うと、私と兄の間にあり、どちらかというと兄寄りだったんですが汗

兄が跳ね返したのでしょうか。だとしたらえらい迷惑です。

写真を見たのが怪我から復活して何年も経ってからだったので、どうしようもなく、写真をお祓いするでもなく。

さがせば今でも母が保管しているアルバムにあるはず。

 

それってちょっとだけ、怖いような。

 

※最初になぜかアメンバー限定記事にしてしまい、これってメールで通知いっちゃう恥ずかしいやつ、と気づいて大慌てしていました。

大変申し訳ございません。。。。。通知いかないようにするには一体どうしたら。。

しかもそのあと普通の記事にする方法がわからず、しばらくAmeba内で迷子になっておりました、、、もうやだ。。

 

非常にお久しぶりの投稿です。

ブログを頻繁に書いていた時の読者さまはもうほぼいらっしゃらないかと思いますが笑

 

気が付いたらピグもライフも全部終わってしまっていて、

私の庭が・・アイテムが・・と思いました笑

 

それはさておき、ただの記録なのですが書き綴っていこうと思います。

 

昨年のお話ですが久しぶりに占いに行ってきました。

 

占いって……

結婚前以来。

人生に迷った時、迷走してる時に方向性をアドバイスしてもらうために行く場所。という認識です。

 

え、昨年人生に迷っていたの?笑

うーーん、若干、迷ってました。

 

仕事、適職なんかについて。

自分の方向性が見えなくて。

 

一番下の子が幼稚園に入園して、自分の時間が少しできた。

 

働く?なにするの?

 

社交的じゃないのに華やかな接客業ばかりやっていた昔。

疲れるよね。

 

だったら好きなことを仕事にしたい。

なにかを作ること、文章を書くこと。

そんなことで食べていくような収入を得るなんて夢のような話、やめてくれ。

夫には言われました笑

 

でも文章を書くことは一時、低収入だった空港職員時代の月収同等の収入をあげたことがあったりしました。

ちなみに某乙女ゲーム?恋愛シミュレーションゲームのシナリオも書いたことがあり、Switchのソフトも出てますww

 

話は逸れましたが、そんなこんなで周囲で話題になっていて紹介してもらった占いのお店に行きました。

 

自分の生年月日、両親、兄弟、わかるなら祖父母の生年月日も必要。

何故なら、同じ生年月日でもそれを育てる両親家族によって運命は変わるから。

大きく言うと、そういうことらしい。

 

余談ですが知人の知人が、家族の生年月日を間違えて持っていったら「この人とは縁がないように見えるけど、生年月日間違えてない?」と言われたそうな……!!

 

私は自分、夫、子供3人、両親、旦那両親、祖母、伯母、兄、を持っていきましたww多すぎかww

 

自分に関して。

 

「作ること。書くこと描くこと。得意じゃない?」

 

開口一番です。

 

全部、好きです。。

 

「アクセサリーとか作る?」

「作ります」

「文章は?〇〇賞とか出してみたらいい」

「書きますけど、、根気がなくて」

「そう?好きな事には没頭するって出てるけど。そんなことないと思うから頑張ってみて」

 

適職を聞きました。

 

「企画系。アイデアの引き出し無限大だから向いてる。どんどん出るね」

 

あ、でも、と言われました。

 

「あなた仕事で外に出ると没頭して家庭を顧みないと出ているね。家庭崩壊する。せめて今はやめたほうがいいかも。お子さん小さいんだし」

 

自分の父親のようだと思いました。

うっすら、自分にそういう傾向があるのは自覚していました。

自分がなにかに没頭すると寝食も忘れるくらいで性格が豹変するというか、話しかけるなって思ってしまうくらいになってしまうんで。。。

 

なので、作業をしていても夢中になりすぎないところで切っていた気がします。

だから、続かない。笑

 

何度かアクセサリー販売をして売り上げがあがっても、だんだん在庫の補充とか新作考えるのが面倒になっちゃう。

やめちゃうと一気に閲覧が減ってせっかくついたお客さんが離れる。そんな感じでした。

 

「家は離れない方がいいとして家でできるお仕事、やっぱりなにか作ったり、書いたりがいいんじゃないかな」

 

そう言われました。

 

「帰ったらすぐになにか作りなさい、書きなさい!」とも。

 

そして重い腰を上げて、某小説コンテストに応募しました。

前からプロットはあって、それをまとめて約7万文字。頑張った。

忘れたころ、一次通過して最終選考に残っていると連絡が来ました。

 

しかも、東京03から電話があり、知らない番号怖いので放置していたら

 

「電話に出て下さい」とメールが。

 

なんと小学館からの電話でした。

受賞した場合の担当になるとまで説明がありましたが、結論、受賞しませんでした笑

 

それは残念でしたが、応募が1300くらいあったそうなので自信にはなりました。

 

 

ちなみに、母も占いが好きでかつて幼い私を有名な占い師のところに連れて行って言われた言葉が

 

「この子は何でも出来る、なにをやらせても上手だよ」

 

なんだそうで、母が言うにはそれはまさに「器用貧乏」だそうで。

 

「なにをやってもそこそこ」

 

そうなんです。。最終選考には残るけど、受賞するあと一歩が足りない。

子供のころに絵画展に出した作品が佳作だった時からその傾向は出ていたと思ってしまった一件でした。

大賞はとれない。

 

そこそこならそこそこなりに、小さい一歩を積み重ねて生きて行かないとね。

 

現在はヘアアクセサリーをぼちぼち作って販売しています。

可愛いものを見るのが大好きなので、満足いくものが仕上がった瞬間は達成感があります。

売り上げがあがると、お客様から「このデザインが好きで」と言われると一番やりがいを感じます。

自分が使いたいか否か。それから、お客様の「ここ、もう少しこうならない?」という要望はかなり重要です。

私も、見ていて「この商品素敵なんだけどここがこうなってたら絶対買ってたのに」って思う事あるので。

 

なにかを作るのは大好きですが時間がもう少し出来て余裕が出てきたら、また文章を書いたりしたいなぁと思います。

 

文章を書くのは好きです。どちらかというとそちらが本業になれば言う事ありません。

 

アクセサリーって、材料いるじゃないですか笑

文章って自分の手とPCがあれば書けちゃうんで。

 

 

子供たちの適職、夫の事、家族の事も詳しく詳しく教えてもらいましたがそれはまた機会があれば記録したいと思います。

 

 

 

新年明けましておめでとうございます。

 

久しぶりにファッションのお話でも。

最近インスタでおしゃれな方々のファストファッションを見ていて思うのは

 

・メンズサイズを大きめにゆるく着ている人が多い

・ブラウンコーデ流行中?

・アウターはショートダウンで色はブラックが多い。次いでベージュ

 

という印象を受けました。

まあ、目に留まるものは自分の好みによるのでどれも同系統なのだと言われたらそうなのかもしれませんが・・

 

特にUNIQLO・GUコーデで見ているとそういう傾向があります。

 

そこで私も物色してきました。

 

アウターはUNIQLOのシームレスダウンがいい感じでした。

(ノースフェイスもとても多かったです)

軒並みブラックとベージュは売り切れ

この色、私は驚異的に似合いませんでした。

流行ってるのに…

ブラックも試着しましたが、あんまり似合わない。

誰もが無難に着こなせるはずのブラックなのに!?

 

私が着るとなんだか

「おしゃれに自信がなくて、無難な黒にしてみました✩」感が出ちゃう。。。

何故。涙

 

自分に似合う色ってこの年になると明確になって来る気がします。

 

ブルベとかイエベとかそういう診断した方が確実そう。(したことないんですが)

 

色が白いとか黒いとかもあるし、黄色白いか青白いかによっても大分違うと思います。

もちろん、年齢もありそう。

 

私も、自分が似合う色は他の人に教えてもらって知ったところがあります。

それも友人が自分が可愛いと思って購入したものの、着てみたら全く似合わなくて…(試着はしたはずなんだけど)

ゆきんこは色が白いからこういう色が似合いそう。着てみて。と言われ着てみたらその場にいた人がみんな賛同。

その子がやっぱり!もう!これ、ゆきんこが着るべきや。と譲ってくれたことがありました(^_^;)

そのスプリングコートは色がハゲるまで愛用させてもらいました。

 

流行ってるから可愛いはず!と思い込んで買っちゃうのは極めて危険です。

加え、自分が着て自分の目で確認する以外に第三者に見てもらったほうが確実です。

ついでに、スウェットシリーズも人気の様子なので見ました。

これはメンズのスウェットプルパーカ・ブラウン

ブラウンだけどパープルかかっているそうで、これは私が見たお店ではどのサイズもなく拝見することは出来ませんでした。

 

それからこちら

こちらはレディースのスウェットプルオーバー

 

これは見ましたが私は個人的にはこういう素材を着こなすことができないと思いました。

ほんとに昔でいうトレーナーって感じで、これ着て外に出ていいのか?と思っちゃう感じで。

おしゃれな人ならかっこよく着こなすことが出来るんだと思いますが汗

 

そんなわけで私が新調したのは無印のアウターでした。(散々UNIQLO語っておいて無印かい)

 

 

おまけ:アンナチュラルの石原さとみが可愛い。そしてつけているティファニーのネックレスも可愛い。

 

Tスマイルシリーズ、可愛いけどこれは定番品になるのか、10年後にはつけていると恥ずかしいものになってしまわないか心配で手が出ない。

 

一番小さいマイクロタイプだと小さすぎて30代にはちょっと物足りない。

石原さとみがつけているミニタイプがちょうどいいのがよくわかる。

 

でもまだまだ小さい子供がいるうちは恐ろしくてこんな華奢なものはつけられないと思いました。

今はどうなってるかわかりませんが…

大昔、ティファニーのプラチナのネックレスがちぎれてお店に持っていったら修理不可で、どうにかならないか相談したら

消耗品ですから・・・

と暗に新品買い直すことを提案された。シルバーならいざ知らず、プラチナのネックレスは10万以上したのに!信じられない!と

言っている方がいました。

買い直しなんて決してお安くないですよね。。

 

それがあって、華奢なチェーンのネックレスはお店のアフターケアが気になっちゃいます。

 

ちなみにスタージュエリーは切れた場合はきちんと対応してくださるそうです。

 

 

お洋服からアクセサリーの話でした。

今日の長男(8)との会話。

 

ここ最近、こくご(下)の教科書で「かさこじぞう」をやっているそうで毎日音読をしていた長男。

聞いていると、私がちょうど長男と同じ年頃の時に習った「かさこじぞう」と同じものだと気づきました。

 

担任の先生があの人だったから、一年生か二年生かのどちらかだと思うんだけど、、同じ二年生かなぁ?

 

今日、長男が「かさこじぞうのテストやった」と言うので私からも問題を出してみました。

 

私「つけな、とはなんでしょう?」

長男「つけな かみかみ のとこやな。お野菜の葉っぱを漬け物にしたやつ!」

私「正解!じゃあ、その次の文章は覚えてる?」

長男「つけな かみかみ、おゆをのんで休みました」

私「正解。じゃあ、なんでお湯を飲んだのでしょうか?」

長男「知らん。習ってへんで」

私「ママは先生に習ったよ!今でも覚えてる」

長男「えーなに?」

私「おじいさんとおばあさんはとても貧乏でした。本当はお茶を飲みたいんだけど、お茶っ葉が買えないくらい貧乏。だから、お湯だけなの。それだけ貧しかったってこと」

長男「へえ~~!知らんかった」

 

というやりとり。

 

当時の私も、へえ!と思った記憶があります。

もう長い年月経っているのに、この部分だけ覚えています(笑)

 

当時の担任の先生は二年同じで、おじいちゃんに見えたのだけど当時確か52歳くらい。

 

まあ、忘れ物とか、授業聞いてないとか、うるさくしたとか、いろんな理由でゲンコツ落とす先生で。

全員鉄拳くらってましたね。毎日くらってる強者もいたような(笑)

今だったら大問題。

でも、だから精神的に成長したような気もしたり。

 

懐かしいです。

特に長男を見ていると、自分が同じ年頃の時はこんなんだったなぁと懐かしく思います。

 

年かな。(笑)

 

 

お久しぶりの更新です。

 

私も含めアメンバーの皆さんはもうずっとブログから離れているのできっと偶然訪問した方が目にするくらいだと思います。

知っている誰かに報告したいわけではなくただ書きたいだけなので徒然と書いてみたいと思います。

 

ちょっと前に、火垂るの墓が放送になっていましたね。

高畑勲監督が亡くなってすぐ追悼的な感じで。

 

これを見ると悲しい気持ちになるのでもう何年も観ていませんでした。

でも、放送自体も結構久しぶりかな?

 

大人になって観ると、感情移入できる部分が変わって感想も違うものになりますね。

人って面白い。

 

居候先のおばさんはもちろん、まあまあいけずな人だと思うけど、お兄ちゃんも保護者としてもっとしっかり判断出来ていたら違っただろうなぁとか、

でもまだ14歳の子には難しいのかなぁとか・・

 

清太が節子を思って母の死を隠していたのに、実はおばさんにバラされていて、節子はそれを兄には言わずに自分の中で頑張って消化していたのがわかるシーン。

「だってお母ちゃん死んだんやろ?おばさんに聞いたで」的なセリフで清太が全てを悟って涙するシーンが切なかったです。

ああ、だからあんなに夜泣きしていたんだ。(その夜泣きも居候先のおばさんのイヤミの種になるし)

 

あと、結末、原作では清太も亡くなるけど、先日の放送ではなんだかどうにでも受け取れる結末になってましたね。

辛すぎて放送禁止になったんだろうか。

 

舞台が今住んでいるところの近くだというのは聞いていたけれど、実際今回観て

「ここ、あの場所!」

「あの道通ってる!このまま進むと、海に出るあの道!」

とよくわかるのが驚きでした。

 

裏話的な話で、あれは半分実話で、

節子は4歳ではなく1歳半。

兄はあんなに優しく献身的にはなれず、夜泣きには頭小突いたりしたし自分の空腹には耐えられず妹の分も食べてしまったりしていた。

だから餓死させた。

という悲しい事実もわかりました。。

今、似た年頃で丸々と肥えまくっている我が子をぎゅーっとしてしまいました。。

 

うちの子供たち7歳5歳も観てました。

なにか、心に残ったらいいのだけど。

 

✩✩

 

祖母の話。

GWに、祖母(97)に会いました。

ここ数年は救急車騒動もあったり弱っている様子でしたが、思ったより元気で。

 

自分で採ってきた山菜(蕗)を炊いたりしてました。

蕗も、場所によってはエグかったりするとかで秘密の場所から採ってきてるんだって。

欲張って全部摘むと、翌年からはもう採れなくなる。だから半分だけ採ってくる。

その場所は娘である伯母にも言ってないらしい。

どこ行くん?と聞いても、あっちの方。としか言わない。

 

でも、実は祖母の姪である方を連れて行ってたらしい。

その方は、祖母の姉の娘。

祖母は兄弟姉妹(正確に言うと末っ子なので兄と姉)がたっくさんいるので、何番目の姉なのかは聞きそびれたんだけど。

姪(A子おばさん)は姉の末娘らしい。

 

それが祖母の長女(5年前、65歳で亡くなっている)と同い年でなにかと比べられた。とA子おばさんが言っていました。

 

出来る方(私の伯母)と出来ない方(A子おばさん)て言われたのよ~とww

 

祖母はA子おばさんの母親である姉とは仲が良かったようで、嫁ぎ先にもよく遊びに行っていたんだとか。

その嫁ぎ先は由緒ある家で出石の方の藩主の傍系なんだとか。(直系は滅びてしまってるとか)

 

そして祖母の姉は、そこの主人の後妻!として嫁いだ。

嫁ぎ先には先妻の子供たちもいたし、大所帯。

そんな中に祖母が紛れ込んでも全然違和感なかったらしい。ww

そして、姉のご主人はもうおじいさんのような年頃だった。とも。そらそうだろうね。

 

その家にはお手伝いさんがいっぱいいて、子供ひとりひとりに専属のお手伝いさんがついていたらしい。

A子おばさんはそんな家で正真正銘の末娘として蝶よ花よと育てられて、

食事で出る魚なんかも全て小骨が取り除かれた状態で出されていたらしい。羨ましい。笑

だから自分ではなんも出来ない状態に育っちゃった、という自虐ネタも聞いたような。

でも、教員として定年まで立派に働いていました。A子おばさん。

 

話し方も上品で、私の祖母の口調がおっさんのようなのを聞いて

(私や母や伯母に向かってオメエと言うし一人称はワシ)

 

「私はA子さん。と言われて育ったわ」と仰ってましたww

同じ姉妹でも嫁ぎ先で全然ちがう~

 

祖母は姉の義理の娘である先妻の娘と意気投合して、よく遊んだらしい。2歳違い。

一緒にその子のイトコが働いている神戸まで出かけた時に空襲にあった。という話も聞かせてくれた。

すぐそばをB29が飛んでいた。

自分たちは知らない土地で逃げ遅れなんとか防空壕を探し走っていたけれど、爆弾を積んでいる飛行機はたった二人を狙うより人の多いところを探しに行って通り過ぎたんだと思う。

 

というような事を言っていた。

 

たまに、戦争の話を聞かせてくれるけれど、これは初耳。

過去には

 

・京都の方で、通夜のために光を灯していた家が爆撃の標的になって犠牲になった

(夜は人がいるのがわからないように光を消したり遮光するのが鉄則)

・自分は兵隊たちのお弁当を作ったりしていた

 

ということを話してくれたことが。

 

その2歳違いの姉の義理の娘さん、その後どうなったの?と聞いたところ

 

「まだ生きてる。」(99歳!?)

 

 

と言われたのでした。

激動の時代を生きてきた人は強い。