前記事からの放置誠に申し訳ございません(^_^;)
毎日色々ありすぎて気力が。。笑
4/4-5日、父が我が家にお泊まり。
31~関西には来ているのでそこであった色々な話を聞いたり、札幌での話を聞いたり。
土日ということもあり家族みんなで父をいろんなとこに連れて行ったりでした。
高野山ではご先祖のお墓、苦労の末見つけたようです!!
発掘セットを購入して、現地ガイドさんまで雇い一緒に行ったらしいです。
数時間見つからず、小雨の中諦めようとした時にガイドさんが発見してくれたそうです。
門の右手の提灯の家紋が私の実家のもの。
石碑?玉垣??に紛れもない私の旧姓。
そしてこの本王院という宿坊(と言うらしい)は室町時代に9代目さんがスポンサーとなり建てたらしい。(初代か誰かが源頼朝の重鎮だったらしい。)
17代目の時に秀吉さんに滅ぼされ、青森まで落ち延びてきた17代目の長男の子孫と言われている祖父の実家です。
しかし普通、そうなったら嫡子も一緒に殺されるんじゃないかと思うので長男さんが本当に青森に逃げおおせたのか、、時代やその子の年齢、恩赦恩情云々にもよるのかな。
その後、明治になるまで庄屋として16代続いたとか。
その真偽はいかに。
探しに行ったお墓は、庄屋7代目さんが父親のためにたてたお墓なんだとか。299年前らしい。
2回も高野山に出向いたという。その時代に青森から和歌山まで行く熱意があるならやっぱり血筋は途絶えてないのかなー。
それから箕面にいるという祖父の従弟に会ってきたそうで、父は嬉しそうでした。
大阪には2名しかいないそうです。私の旧姓の名字の人。
ルーツをたどる旅、父には楽しんでやってもらいたいと思います。
☆☆☆
それから先週から下の子の慣らし保育が始まり。
9時~10時半までという。。
兄は春季保育で12時までなので一体幼稚園何往復したやら。。
初日兄と手を繋いで平気そうに入っていきました。
教室でちょっと泣いてしまったらしいですが、基本クラスの子はみな在園児の弟妹という集まりなんでみんな場所にも慣れているし結構楽しそうに遊んでいたようです^^
以後、一度も泣いてません。よかった。
朝は第一子ばかりのクラスの子たち見かけるけどみんな泣いててかわいらしいです。
上の子のときはそういう状況で、みんなドアにへばりついてうあああーーーーと号泣していてペットショップのようだったそうです笑
それから上の子の始業式と。
入園式も無事終わりました。
今月は下の子は11:45、上の子は15時までの保育となってます。
昨日、うっかり二人分お弁当つくりそうになった(^_^;)
今週は保護者顔合わせ、役員決め。。。。
兄妹分、2日出向かないといけないのが面倒です。。
午前中一人きりなのが不思議~~~~
追記部分:
登園初日、妹は園の玄関先で泣きませんでしたが、
兄は泣いていたらしいですww
ほかのママさんに「◎くん泣いてたよ。笑」と言われて笑
帰宅して聞いたところ、「聞こえたん!??」と驚いてしばらく隠してましたが
「はるたんがおらんくなったから・・。あと、靴箱がわからんかったから。。知らない子のとこに靴入れた。」
という情けない発言してました。
しかも、給食開始日には
「唐揚げパンのからあげ落とした。。」
「仕方ないから捨てた。」
「キャベツも1枚落とした。。。」
という事態に陥ったそうです。
家なら拾って食べたらー?と言うのですが、、笑
幼稚園では落ちたものを食べてはいけませんという教育なんでしょうな。
どんくさい息子ですが、通常保育開始初日に習った「ブリッジ状態から壁を蹴って回転して立つ」ということをマスターしてきました。
バク転の後半状態、という感じでしょうか。
立った状態からブリッジになる練習は見事に失敗して頭打ってました。
まだ腕だけで支えられないみたい。私はそれはできるのでやって見せたらすごーいと言われましたが、
ブリッジ状態から頭側に回転して立つということは壁があっても出来ないよ。。
そんな記録でした。
最後に、従弟の第一子が4月1日に誕生しました。
3月に亡くなった叔父を思うと何とも言えない気持ちですが、うちは実兄義兄ともに子供がいないので親戚の子の誕生は嬉しいです!!
気力があればアメ限で父訪問やら入園式やら顔出し記念写真アップします♪