今日は長女の卒業式のじゅんびと、
あしたは、今年度最後の読み聞かせと
神戸、です。
今週中に、
卒業式と
ボランティア講座受講があります。
来週そうそう、
山登り、第一弾、です。
書き出してみると
日々いろいろあって
こなしているわりには、
実際動けている感ありません。
◇
日常生活送れて、ちゃんと仕事をしているのに
動けてない、って感じるのは、
頭がいつもぎゅーっとなってしまって
ゆるみがないから。
((あるいみずっと緊張の異常状態)
動けないと感じさせることで
全身に「警告」を伝えようとしているのかもです。
あたまから
「頭のなか、ゼロの状態になれ」
「新鮮」「清浄」「純粋な気持ち」
「わからなかったら、とにかく元気にまるっと10時間寝なさい」
のサインをおくられる、、。
ちなみにわたしの
「清浄」「純粋とむきあう」になるポイントは、
おわかりかと、おもいますが、、
「書きつづることです」。
基本なにも考えて書いていませんので、
なに書いているかも覚えていませんが💦
「過去と現状を出すことと、上から入ってくること」
それはしっかりできていると
それははっきり感じているので、
わたしの場合はそれでいいのでしょう。
きっとみなさんにも
それぞれあると思います。
ひとつに限らず、
いろんな方法が。
おのずとすべてをわすれられるほどに
ただただじぶんが純粋なきもちだけ
やれちゃっていることが。
そんなことを
むすめとはなしていて
わたし
「上手いとか下手とかじゃなくて。
認められなくても、というか
わたしは、好きかきらいかもわからない。
じぶんのなかの本来のしあわせ、っていうんかな、、」
むすめ
「趣味をしごとにしないほうがいいと言われるのって、そういうこと、って次女は思うよ。
それだけでは一生ぶんを稼げない、ってものあるけれど
趣味のために、嫌いなことや苦手なことも頑張らないといけなくなり、(仕事となると、相手の要望や世の中の傾向や需要を気にしないといけなくなり、いつもじぶんの好みばかりを書けなくなる。)
そうなると、本当に好きだったことさえ、なにが楽しいのかわからなくなる。
それなら最初から選ばないほうがいい、って考えだけど、
でも、次女は最初から仕事にする。
おなじ20歳そこそこの年代のなかだと
この分野では今まで関わるじかんが多かったから、ふつーよりは「できる」し、
結局のところ、実際人間が生きるとなったら、どこの世界でもいっしょ、なんかもしれないけれど
じじょはやっぱりこの世界にいたいから。」
という。
勉強は好きではなかったという次女ですが、
「好き」を貫いた結果、
いま彼女はここにいます。
わたし
「わたしはまわりのひとにわたしができることで
「なにか「今ある幸運」が、つたわって、、」
「じぶんがわくわくする未来に、じぶんでなにか気づくきっかけになれば、、」とおもって仕事をしているから
まだまだだなあ、、」
むすめ
「ママは、ママでいいと思うよ。
ママの考えに、共感する考えのひともいるから(*^^*)
じじょも、ママの考えもわかるし。
じゃ、ポートフォリオしてくるわ👋」
・
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わたし
「あ!次女、ごはん!!ごはんたべてない!」
むすめ
「・・・バレたか💦」
といって、
わたしがわたしたおにぎりを、受けとりました🍙
昔から制作モードにはいったら、
ごはんを食べるのをわすれるむすめ。
よく一定の時間が過ぎたら
わたし、彼女におにぎりを🍙持っていってたなあ、、。
昔からほんとかわってない。
ちょっとほっとします。
あ、ごはんは、食べてもらわないと、
生命の生存問題になるから、
こまる!!