昔、「愛は恐れをサバ折りにする」という本を読みました。1990年に出たものです。ジャンポルスキーの本は好きでしたがタイトル通りで、この時から私の座右の銘になっています。
私は「恐れ」をきちんと感じられる人ほど伸びる人だとわかっています。
これはわかる人には通じますよね。
もちろん、「楽しい」という感情は必要ですが、それは無理矢理に感じるものではなくて、実は「恐れ」をしっかり感じた人に自然発生的に生じるものなのです。
私は昔から羽生選手のファンですが、彼は不安や恐怖をしっかり感じて、そこから自分は何を今すべきか、きちんと考えています。
ファンが不安にならないよう、試合前には世間には言いません。というより、言う必要はなく、自分は勝つと決めているのです。
この意思決定がそのあとを左右します。
話は変わりますが、私は周囲に馴染めず困っていた時期があります。
しかし、仕事の依頼はあとを立ちません。
実際今もその状況です。
何故こんなに生きるのが苦しいのか。
色んな人に出合い、自分のことが今ではわかっているのでもう大丈夫ですが、その一つに私は「全知感」があるとい言われたことで納得がいきました。
全知感とは、元々私たちは全てを持っていて、全てを知っているということです。
ヨガの師匠は、私のことを「一を知って十わかる人」と表現してくれました。
だから私が言っていることを理解できない人がいるのは当たり前のことなんです。
しかし、仕事では本当に困っている人が多く、私自身が色々とその人のことがわかってしまうため、その人に応じた受け答えやケアを無意識にやっているのです。
もちろん他人にはこういったことは絶対に言いませんし、言う必要もありません。
それはエゴを拡大し、自慢になってしまうからです。
他人さまに関わる時にエゴはいりません。
衛藤先生が言うように、透明人間になることです。
本当に相手の立場になった時。
自分はこんなに凄いというアピールは必要か、よく考えて下さい。
最初のつかみは大切ですが、本性は長い付き合いをしてると絶対にわかります。
今(昔からか)流行っている成功哲学で一時の成功をつかむ。
それも人生経験上必要な人もいるでしょう。
私は一通り全てやってきたので、友人が頑張っているのを温かく見守りっています。
商品を買ってもらうためのうたい文句は全て知っています。
目覚めて欲しくて時には厳しい言葉も言います。
のれんに腕押し、ぬかにくぎ状態ですが、まあ見守っていきます。
成功哲学やスピリチュアルをしていると、だいたい初心者ははまるということがわかっています。
だから!だから!ヌーソロジーを少しでも見て欲しい!
いつまでも誰かに頼って崇めて。
それで本当に幸せですか?
それは誰かに洗脳されたことではないですか?
お金は確かに必要ですが、では、何のために必要なのですか?自分のエゴのために?
何かを作ってもこの3次元世界では壊れていきます。これからはエゴで名前を残そうとしても、消えていきます。
そう、名前のない時代。
私とあなたの境目のない時代に入っていくからです。
自ら創造すること。
自分の本当の本当の目的を知ること。
私は自分の目的が明確です。
それは以前から変わりません。
ヌーソロジーでいう、「目の前は私」。
それは自分が創造しているということです。
これが本当にわかれば人を傷つけるとかおとしめるという感覚は理解できなくなります。
わかりやすいように一般向けに一生懸命書いていますが私には本当に理解出来ないのです。
ただ純粋に、自分があります。
ヌーソロジーの半田さんは「愛」という言葉はあまり使いたくなくて、それは吃りながらあ、あ、あ、愛というものであると。
凄くわかります。「愛」は本来3次元的なイージーなものではなく、私たちの本質です。
動物的なはれたほれたというものではなく私たちの根元です。
だから軽く扱われるものではないと知っているからなのです。
関西ヌーソロジ研究会に行ってきました。
この記事を書いたあとです。
ちまたでは目の前に起こることは自分の内側の投影といいます。
うーん。惜しい❗️
ヌーソロジーでは目の前全てが心なのです。
文章では私の力ではこの違いを説明するのがとても難しくて。
しかし、このボールペンも飲んでる水も、「私」の奥行きなんです。
この物質は私にとって唯一無二のもの。
唯物論とスピリチュアリティは対立しますが、ヌーソロジーは両方を融合します。
私自身にとっては対立は過去の産物でもう必要ないもの。
すべてを受け入れるのです。
それが変換人、トランスヒューマーです。
もっとわかりやすく表現したいのですが、またこれから細かく言語化できるよう研究します