私みたいな人、けっこういると思うんだけど、皆日々の生活に一生懸命だし、そもそもそんな知識なんてないから、無意識に動いてると思う。
涌き出てくる思考に収集がつかなくて、自分でも訳がわからなくなる。
私は超がつくほどHSPなんだけど、この社会で生き抜くためには「普通」を演じる能力も必要だからね。
社会生活では周りに合わせるけど、自分は自分。
これは絶対わけておかないと狂ってしまうよ。
私も本当に仕事に子育てに超忙しい毎日で。(好きでやっています。)
仕事も息子の塾の送り迎えも、車をずっと使ってるけど、今日はイライラしている人が多かったなー。あおられるのは普通。私も時間に追われてるから、人のことは言えないけど、あおったりはしないなあ。人の気持ちが自分でも怖いほどわかってしまう。
私みたいな人は、自分とは正反対な人がいる。ということをちゃんと理解することかな?
私も長年ずっとわからなかった。
こんなことを言うと、アホちゃう?って思う人は、私とは違う人種だ。
大抵の人間は、人を疑う。
それが人間形ゲシュタルトだ。
批判を覚悟で言うけど、宗教やスピリチュアルにどっぷり浸かっていた人はやはり思考が偏っている。
「これじゃなきゃダメだ!」って言っている人の顛末を皆わかってるのでしょうか?
私は人間と関わる職業をずっとやってきて。
何百人、何千人と関わるうちに、「絶対」なんてないって若いころに悟りました。
いや、元々わかっていたみたいです。
ここからは私の余談です。
知っている人は知っているヌーソロジー。
だけど…
やっぱり男性脳主導なんですよね。
男性ばかりで話していると、女性性が抑圧されているのが本当、よく見えるんですよ。
しかし、とうしんさんはバランスが絶妙。広宣さんとのバランスも絶妙。彼は本当に頭がいい。やはり世代のギャップもあります。
LGBTに関する発言で世論が反発したのは私もびっくりしました。
私は元々反発も容認もなく、普通のことと思ってましたが、世間の考えは私と違うと思っていたからです。
これは良い兆候です。素晴らしい。
これを広宣さんが見ないことを祈ってますが、大学の講座になってしまったところが人間形ゲシュタルトそのものでちょっと古い…。
難しくしてしまってるのも人間形ゲシュタルトですよね。
だからなかなか浸透しない。
思考を支えているのは感性なんです。
ヌーソロジーばかりが先行すると、本人が言うように無機質になります。
めんどくさいから、無機質になりたいのは理解できます。
私が思うのは、宗教に捕らわれていた人は反対にはしりますが、私のように無宗教の人間は、その極端がわからないのです。
広宣さんは「愛は感情的なもの」と繰り返し言います。それは宗教でどっぷり教えられてきたからです。
私は無宗教なのでわからないのです。私にとって「愛」は普遍的なもので、人間形ゲシュタルトではありません。魂そのものです。
私の知らないところで言葉が独り歩きし、勝手に考察、批判されることがブログではあります。
内容を読めば、全く違う言葉に翻訳されています。
それは、その人のフィルターを通されるからですが、これは日常でも頻繁に見られます。
「文字」こそ、人間形ゲシュタルトが作ったものです。男性原理です。
(反してカタカムナは素晴らしいです。)
私は、この紙面上で言葉を綴ったとしても、1パ―セントくらいしか相手には伝わらないと思っています。
実際に会って、相手の感覚を感じなければ。
文字だけの理論を聞いていても…。
しかし、その批判を書く人の心理もよくわかるので、傷つきますが、受容できます。忙がしいので、いちいち読んでられないのもあります。ごめんなさい。笑
結局、私が尊敬するのは、「日常」を一生懸命生きている人なんです。
自分はこんなんで凄いんです。
なんてブログで書いてても、実際どうなの?って思います。
私が昔からずっと実感しているのは、目立たない、主張しない人に学ぶことです。
私はそんな人とずっと一緒にいたい。
自分自身をわかっている人と。
今まであったことや、また宗教に捕らわれて偏ってしまった思考は理解しますが、それに巻き込まれたら本末転倒。
自分は自分。
人中心、ではありません、人との関わりから「自分」を理解していくのです。
私のような人間は、何でも鵜呑みにしないこと…なんだけど、なんか違うね。
純粋すぎるからね、疑うことを知らないのは、これからの人間だよ!
だから、打ちのめされたとしても、そのままでいて欲しいな。